2,死体
6月2日。19時30分頃。渋谷のアパート。
志村からの自首の報告を受け、川島健人は現場に到着していた。
既に、捜査が進められていたが、住民は少しパニックに陥っていて、宥めるのがかなり難しそうだなと思った。
アパートは志村が住んでいたと思われる場所。
「しっかりしろよ」
一緒に来た先輩である、柊木依央という刑事に背中をバシッと叩かれる。
依央という名前に見合わず、身長は180以上は確実にあり、顔も強面という印象。
しかも、声まで野太いときた。
これで、依央なんて名前はそうそうに似合わないだろうと川島は思っている。
似合うニックネームがあるとすれば「ゴリラ」なんてのがあるが、それを考えた時、笑ってしまいそうになるのだ。
そんなことは知らずに、身長差15cmぐらいはあるかないかぐらいの川島を置いてアパートへ先陣を切っていった。
後に続き、川島もその後を追う。
室内は死体があること以外はごく普通の1人暮らしの部屋といった感じだ。
冷蔵庫、電子レンジ、ガスコンロなどの家電があり、風呂とトイレは別、洗濯機だけが外にあった。
本棚や時計、ポスターなどもあり、学生の1人暮らしと言っても疑われなさそうだと言える。
「ご苦労さま。死体は?」
ゴリ…柊木さんが答える。
「中の方に、ですが、かなり損傷が激しいですね。
身元の特定にも時間がかかるかもしれません」
近くにいた警官が答えた。
警官の間を通り抜けて部屋の中へと入っていく。
部屋の中に入った時から感じていた異臭。
死体の匂いというのは、何度嗅いでも慣れる気配がないし、慣れてはいけない気がしていた。
慣れてしまえば、ちょっとの匂いの変化に気がつくことができなくなってしまう気がして。
けれども、いわゆる「臭い」という匂いを嗅ぐと胃袋の辺りから食べ物がなくても胃液が逆流して来そうになる。
目が回っている訳でも、酔っている訳でもないのに、吐き気に襲われるのだ。
必死に堪えるので精一杯。
吐き出してしまえば、迷惑になる。
川島は死体の方に目を移す。
警官が言っていたように、死体は誰がどう見たって状態がいいとは言えなかった。
壁にまで飛び散った血。
顔は面影がなくなっていて、死んだ時の表情すら分からない。
葬式をする時に、こんな状態で埋葬されてしまうのが気の毒に思えてしまうぐらいだ。
顔もぐちゃぐちゃにされていたが、上半身も酷いもので、内臓を無理やり外に出されている感じになっている。
柊木は慣れているかのように、その場にしゃがみこみ、手を合わせた。
それを見て、川島も手を合わせて黙祷を行う。
目をつぶっても、鼻を刺激する異臭が、その死体の光景を頭の中に蘇らせてくる。
堪えていた吐き気が今にも爆発しそうだ。
「にしても酷いなこりゃ」
ある程度、場数を踏んでいるはずの柊木でもこの発言。
「先輩はこういうの見たことありますか?」
唐突に質問をしてしまった。
刑事になってから、まだベテランと言える立場ではないため、聞ける先輩がいるのなら聞いておくのがベストだと思ったのだ。
「いや、ここまで酷いのは初めてだ。
だが、普通の殺人じゃないのは確かかもな」
「普通の殺人?」
柊木が立ち上がり、ぐっと川島の方へと寄った。
その巨体が近ずくと、川島は柊木の顔を見上げるしかなかった。
仲間だと分かっていても、何も言われずに近寄られると恐怖に近い感情が湧いてくる。
「な、なんですか?」
「川島、電話での犯人の自首内容は?」
「え、確か、人を殺してしまった、と」
ここに来るまでに連行される姿を少し目撃していた。
ストレート髪のまだそんなに歳をとっていない青年がパトカーに乗せられ連れていかれる時を。
「そうだ。『殺して《《しまった》》』と言っていたな。
つまり、感情に身を任せて衝動的にやっちまったってことにならねぇか?
でもよ、この死体を見てどう思う?」
柊木を見上げていた顔を下げ、死体に目を移す。
確かに、と柊木の言いたいことを理解する。
「快楽で殺したように、見えますね」
「だろ?」と言わんばかりの顔を柊木は川島に向けるが、顔の位置が違いすぎて、川島は気づかなかった。
「でもなぁ、一概に快楽とも言えないのがな。
衝動的で一時的な狂気に走ったってのもありえない話じゃない。
この有様を見ると、手馴れているようにも見える」
柊木は自分の考えを独り言のように話している。
川島の耳には入って、頭の中の棚のどこかにはその言葉がしまわれた。
それよりも、死体に釘付けになっている。
好き勝手やったあとの状態が今見ている死体という末路なのか。
死体はカーペットの上、血がカーペットに染み込み、黒くなっている。
ここで1つ疑問を感じた。
「すいません。死体の死亡予想時刻は?」
川島は咄嗟に近くにいた警官に聞いた。
「え、おそらくは犯人が連絡してきた時刻よりちょっと前かと思われます」
腑に落ちなかった。
何かを見落としている気がして。
「一応、解析して貰えませんか?
ある程度の時間が分かればでいいので」
警官に頼み込み、検査されることとなった。
その様子を柊木は静かに見守っている。
何を言っているんだと自分は思った。
「見落としている?」何に対して?
犯人は既に自首していて、捕まって警察署に連行されたんだ。
事件はこれにて終了したに決まっている。
犯人が自首してきたという事実に不信感を抱くものは少なくは無いだろうが、それを無理に捜査しようなんてもの好きはもっといないはず。
しかし、数十分後には、嫌でも捜査をしなければ行けなくなってしまった。
柊木の携帯に電話がかかってくる。
少し席を外すといい、外へ電話をしに行く。
違和感の正体は血だった。
あまりにも黒い。
時間が経っていたとはいえ、ここまで黒く固まるだろうか?
たったそれだけの違和感から死亡推定時刻を川島は聞いたのだ。
川島は死体を見ながら、あの男を思い出す。
あの青年は本当に「感情的」「衝動的」に人を殺してしまったのだろうか?
やはり柊木の言うように、快楽殺人犯なのだろうか?
それならなぜ自首をしてきた?
逃げればよかったというのも変だが、本当にその通りだ。
「逃げればよかったのに」という感想しか出てこない。
考えを巡らせていたが、すぐに柊木に呼ばれ、その考えを一旦中断することとなる。
「川島!すぐに行くぞ!」
どこへ向かうのか。
なぜすぐに行かなくてはならないのかを聞く暇もなく、柊木につられるままに、パトカーに乗って現場に急行した。




