2,抑制
小学生だった男の子は中学生になっていた。
中学受験をして受かった中学校。
受験を受けるものは少なかったが故に、ほとんどの生徒と離れ離れになる。
彼からすれば、その方が良かった。
変な噂を流されても嫌だったが、別に気にする訳でもないという気持ちもある。
噂が流れない分、頭の片隅に変な考えが巡ることはないのだ。
小学校時代から頭は良かった。
中学受験だって、ほとんど受かっていると自信を持っていたのだ。
もちろん、中学校側は、彼がとある不祥事を起こしたことなんて知らない。
そもそも、彼は悪くないと思っていたし。
親や学校の先生はそのことを言わなかった。
世の中、不利になることは言わなくても良い。
けれども、誰かから勝手に言われてしまうことはある。この世の理だった。
中学校に入っても、彼はそこまで変わっていなかった。
池にバラバラにした虫を入れる、なんてことはもうできなくなっている。
チープなマスターベーションをしたところで、虚しさが残るだけ。
AVや漫画を見たって、何も感じない。
興奮を唯一覚えたこと、それこそが虫をちぎったあの瞬間だったのだ。
別のもので欲求を満たそうとしても、あの時のことが頭から離れない。
それとは全く違う光景も頭に浮かんでいた。
罪を擦り付けられ、自分が悪いことにされたという事実が。
中学校の授業は退屈だが、頭の中に入れなくてはいけない。
気持ちだけで勉強をしていた。
そんな彼にも恋人ができたのだ。
ほとんど喋らない性格の彼に近寄ってきたのは、同じくクラスで地味な女の子だった。
彼が告白をOKしたのは、興味本位。
色んなことをしてみたいと思った。
手を繋ぐ、キスをする、ハグをする。
最終的に、AVで見たような内容を経験するのだろうか?
経験すれば、心は満たされるのだろうか?
様々な興味が湧いたことだけは確かだった。
恋や愛という感情を理解していなかったため、理解してみたいという気持ちになったのだ。
親からの愛を受けていないというわけではない。
虐待をされる訳でもないし、言ってみればかなりいい家庭環境だと言える。
それでも、彼には自分が生きるための何かに過ぎなかったのだ。
だからこそ、愛というものを、恋人というものを通じて知ってみたいと思った。
一緒に帰る、手を繋いでみる、肌に触れる。
頭の中で考えたことをほとんど行うことができた。
何の感情も湧かなかった。
初めてキスをしたときでさえ、何も感じなかった。
ただ、自分の唇と相手の唇がくっついただけで、なんの意味があるのだろう?
相手の唾液が自分の唾液と混ざり合い、おそらくは交換されているのだと感じた。
中学生…。
故に、セックスをするのはもっと先であろう。
今の彼にはセックスをしたところで、何かを得られるとは考えられなかった。
日に日に、彼は深く考え込むようになる。
彼女の話が耳に入らないくらいには。
「私といて楽しい…?ちょっと不安になっちゃって…」
そんなことを言われることもしばしば。
彼はそれに対して「不器用だから」「考え事してた」とだけ答えていた。
彼女の方もそれを次第に理解していく。
だが、それが「理解」なのか「諦め」なのか「慣れ」なのかは分からない。
同じことが続けば人間は次第に慣れていく。
自分にとって不満でも、諦めてしまう。
そして、「諦める」ということに慣れてしまうのだ。
これが完成してしまうと、ある一種の洗脳のようになってしまう。
彼女がメールするのが苦手だから、メールをしなくなる。
何度頼み込んでも、営みに発展しない。
下ネタ系の話をしたいと言って、拒否されれば話さなくなる。
相手が話すのが苦手なら、次第に会話はなくなる。
出かけるのが好きでないなら、出かける機会は減っていく。
自分の思い描いたような行動を教えても努力ずらしてくれない。
そんな状況が続いていけば、自ずと人は諦め、その状況に慣れてしまう。
嫌でも、恋人を手放すのが嫌で、振ることができずに、悪循環の中に永遠に囚われ続ける。
これは「相手を理解する」ことなのだろうか?
自分自身を「壊す」ことなのではないだろうか?
つまり、誰かと一生を添い遂げるということは自分を壊し、自由を失うことなのではないのか?
「愛」とはそういうものなのかと、彼は考え始める。
彼は彼女の心を抑制していった。
逆に、自分は彼女に抑制されないようにしてみる。
自分が興味を持っていたこと以外のことはどうにか逃げるのだ。
そうしているうちに彼女は何も頼んでこなくなる。
彼女から1つずつ自由を奪っていった。
気づかぬうちに。
自分の自由は手放さないようにと気をつけていたが、恋人をそばに置いている時点で少しの自由が奪われていた。
だが、本当の問題は彼女の家族にあった。
彼女の母親はヒステリックで、何の理由もなく、彼女に手を挙げてしまうらしい。
そんな暗い話を聞いても彼には慰めることができなかった。
周りの人間と自分の考えが違っていることぐらい分かっている。
分かっている上で理解しようと思えないのだ。
慰めよりもいいものがあると彼は思っていた。
自分に不利益なものは排除してしまえば良いのではないか?
とある日、公園のベンチで2人で座っている時、いつものように彼女が親のことを話す。
なぜ、その時は「不器用だから」と言わなかったのか分からない。
言って、彼女が慰めを諦めてしまえば、彼女は壊れ、自分のいい実験台がいなくなってしまう。
そんなところだろうか?
彼からすれば、恋人なんてそんなものなのだから。
そんな時、不意に出た言葉。
「お母さんのこと、殺したい?」
彼女は目をまん丸にして彼のことを見た。
そんな言葉が彼の口から出るとは思ってはいなかったかのように。
「時々…思う時もあるよ。
もっといいお母さんだったらな…なんて。
でも殺すなんて。私にはできないし」
育ててくれてはいる。
なのに、殺意が湧く。
でも、やらない。
なぜなら、殺したあとのことが不安で仕方がないからだ。
もちろん、殺すことも躊躇するだろう。
「僕が、やるよ」
彼女の目は驚きの目から、恐怖の目に変わる。
「そんなことさせられないよ」
「なんで?」
「なんでって…
私の大事な人が殺人犯になっちゃうなんて嫌だよ」
「でも、僕はずっと大切な人が苦しんでるのを見てないといけないの?」
この時、彼は愛を語った。
しかし、残念なことに本心から彼女のことを大事な人だと思った訳ではない。
自分に利益のある存在、その程度の考えだった。
間違った、歪んだ愛が生まれてしまったのだ。
もう1つの理由は、合法的に殺しを行えると思った。
彼の心の奥底にある気持ち。
人のために行う殺しは悪い事だという認識ができなかったのだ。
虫をバラバラにした光景が目に焼き付いていたように、彼の頭が正常に動くことはない。
彼女には断られた。
何度も説得を試みたが、次第に彼女の目は怯え始めていった。
殺したあと、自分家で匿うと、わけのわからないことを言ったことも。
会話は火種となり、2人は対立することが多くなり、別れてしまうことに。
その時から、彼は自分の中にある内なるサイコパスを抑え込んで生きることを決めた。
どれだけ自分が気に入らなくとも、周りの感情に合わせて生きていく。
彼にはできた。
理解してからの日々は辛く、段々と自分が自分でなくなってしまう音がするのを感じつつ、それを無視して大人になる。
この世界、人間の世界で生きるための道だから。
本当の自分を押し殺す。
そうしなければいけない悲しい世界なのだから。




