1,疑問
とある小学校。
昼休みの時間、誰も近寄らないような校舎裏で1人の男の子が何かをしていた。
1号館と2号館の間。
小さな人口の池があり、魚や亀などがいる。
生き物係という役職を持っていなければ、その池を気にすることは少ない。
昼休みという限られた時間の中なら尚更だった。
皆、グラウンドでドッチボールや鬼ごっこ、鉄棒に竹馬など、それぞれが思い思いの遊びをする。
通り過ぎる際に亀が頭を出していても誰も気にも止めない。
生き物係が餌を与え忘れていても、係以外の人間が気がつくことはないだろう。
1人の女の子が池をじっと見つめる男の子を見つけた。
女の子は図書室に行く途中だった。
1号館と2号館の間には屋根のついた通路があり、そこから池の方を見ることができるのだ。
あの子は…同じクラスの子だったなと思い、近ずいていく。
同じクラスの子だと分かってもほとんど印象に残っていない。
地味だという印象だけがあり、話しかけようとも思ったことはないし、グループワークでも協力的とは思えなかった。
自分の意見を発さず周りに身を任せている。
女の子は単純に、「何をしているのか」が気になったのだ。
すごく近くまで来たが、男の子は全くと言っていいほど気にしていない様子だった。
しきりに手を動かしている。
「ねぇ、何してるの?」
優しさから出た言葉だった。
こんなところに1人でいるなんて、きっと友達もまだいないんだ、そう思っていたのだ。
実際、その子が他の子と仲良くワイワイやっている姿を見たことがなかった。
しかし、後悔することになる。
男の子が振り向いた時、その目は何も感じていないという目をしていたのだ。
少なくとも、女の子はそう感じた。
普通、自分のような女の子に話しかけられたら嬉しいものじゃないの?
女の子じゃなかったとしても、嬉しいもののはずだと思っていた心を砕かれる。
男の子は光のない目で女の子を凝視した後、自分の手のひらを見せた。
ここでようやく、その女の子は話しかけてしまったことを後悔した。
彼の手のひらにあったのは、虫。
3種類の虫だった。
詳しく言うのなら、虫だったもの。
アリだったものは、体を3つに引きちぎられている。
ダンゴムシだったものは、体の真ん中から引きちぎられており、体内の一部が外に露出していた。
1番酷いのは、幼虫だ。
体は見る影もない。
できる限り小さくちぎったのだろう。
体の数がとてつもなく増えているのは間違いなかった。
何が酷いって、体から溢れ出る汁が手のひら全体に広がっていたということ。
そこから更に匂いがするという追い討ち。
女の子の方はその光景を目にして、4時間目の終わりに楽しんだはずの給食が胃袋から食道の辺りにまで登ってくるのを感じていた。
吐き出してしまう前に、叫びながら逃げていく。
男の子に残ったのは「疑問」だった。
なぜ、あんなにも叫んで逃げていったのだろう?
手で口の方を抑えていたが、この光景が吐き気を催すものだとは思えなかった。
むしろ美しいとさえ感じていたのだ。
別に自分のしていることは変じゃないはず…
ただ捕まえて、ちぎった…
それだけ…のはずなんだ。と。
それにこれは、自分のためにやったことではなかったのだ。
男の子は手のひらにある虫だったものを池へと落とす。
すると、魚や亀などがそれに群がる。
パク、パクと1つずつ、自分が苦労して捕まえた虫の残骸が消えていく。
捕まえる時間とちぎる時間は努力した時間。
池に落として餌として与え、それらが食べられる瞬間はあっという間だった。
「もう終わっちゃったのか…」
そう心の中で思う。
まだ昼休みが終わったという合図のチャイムがならない。
時間はある。
彼は再び、その近くで虫を探し始めた。
今度はもっと長く、虫たちが食べられていくのを見ていたい。
実際のところ、食べれる姿が見たいというのは、幼いながらに作った口実だったのかもしれない。
本当は「ちぎる」という行為そのものに魅力を感じていたのかもしれなかったのだ。
捕まえた虫はすぐに引きちぎって池の周りの岩のところに置いた。
しかし、与える時間はなくなってしまう。
さっきの女の子が先生を連れてきたのだ。
真剣な眼差しで自分に迫ってくる先生。
横には涙を流す女の子の姿があった。
虫たちの残骸を岩の上に残し、職員室へと連れ去られる。
男の子は振り返り、岩の上に残った虫たちの死骸を見て自分がちぎった瞬間を脳裏に甦らせる。
女の子の近くを通った時に感じたのは、彼女の息だ。
酸っぱい匂いがツンと鼻を刺激する。
おそらく、さっきのあれを見たせいで吐いてしまったのだろう。
職員室に連れていかれる途中でも、ゲロを処理している現場を目撃した。
「なんでこんな事したの?」
先生に聞かれたが、男の子は理解ができなかった。
「こんな事」とは何のことなのか。
首を傾げるしかできなかったのだ。
その様子を見て、先生は呆れてため息をつく。
「なんで虫の死骸なんか見せつけたの?」
「見せつけた?」それじゃまるで、自分が女の子に無理やり見せたように聞こえるじゃないか。
視線を1度、女の子の方へと移す。
彼女の目には涙が映っていたが、男の子の目にはそれが嘘なのか本当なのか分からずに終わり、先生の方に視線を戻した。
「何してるのって聞かれたから」
正直な答えだった。
嘘偽りは一切ない。
男の子には「怒られている」という感覚すらないほどだった。
だって、自分は何も悪いことをしていないのだから。
だが、その答えに先生はさらにため息をつく。
「あのね、虫を無理やり見せつけられたって先生は聞いたんだけど?」
その言葉を聞いた時に分かった。
あの涙は嘘でもあり、本当でもあると。
ゲロを吐いたという現実と、自分が見せた虫の残骸を見て流した涙。
そして、話しかけてやったのに、自分をこんな目に合わせやがって、という逆恨みからの嘘の涙。
先生がどっちを信じるかは明白だった。
男の証言と涙ありの女の証言。
男が信じられることは少ないだろう。
真実を言ったとしても、誰も信じない。
証明をするものもない。
5時間目が始まるため、女の子は教室に返される。
だが、男の子はその場に残された。
先生はまだ問い詰めるつもりらしい。
男の子は先生が説教をすることで自分の快楽を満たしているのだと思った。
「なんで、虫をバラバラになんかしたの?
そんなことしちゃ可哀想でしょ?」
「何がいけないんですか?」
素朴な疑問だった。
男の子にはそれが悪い事だと思ったことはない。
保育園時代からやっていたこと。
その時は先生に見つかることはなかったとはいえ、遊び場で大きな毛虫が現れてしまえば、先生が踏み潰していた。
何が違うのだろうと思ってしまう。
他の命のためにやったことなら、賞賛されるべきではないのか?
例え、ちぎるための口実だったとしても不利なことは言わなくても良い。
男の子は「無理やり見せつけた」という事実を捻じ曲げることは不可能だと感じていた。
だから、話の流れに合わせてはいたが「何がいけないんですか?」という質問が悪い方向に走ってしまったらしい。
放課後に親を呼ばれることになった。
それが決まったあと、既に授業が始まった教室へと戻される。
教室の扉を開けると、クラスのみんなが悪人を見るような目で男の子を歓迎した。
それでも男の子の心は平常だ。
何も感じてはいない。
授業中なのに、ヒソヒソ話がやまない。
自分のことを話していることを理解してなお、焦りや罪悪感などは一切なかった。
席に座る前に、あの女の子と目が合う。
顔では分からないが、目で分かる。
こちらを嘲笑っているということが。
話を広められた。聞かなくても分かる。
頭の中で虫をちぎった場面の虫の部分が、女の子に移り変わった。
想像だというのに、ものすごくリアルで鼓動が早くなり、自分が興奮していたという事実を理解する。
放課後、親を呼ばれて叱られる。
涙を流すことはなかったし、心から反省する気もなかった。
車の助っ席で話される親からの説教も右から左に流れていくだけだ。
頭の中にあるのはただ1つ。
「自分は何か悪いことをしたのだろうか?」ということ。
1ヶ月後。
あの女の子は事故死した。
これが男の子の仕業という証明はされなかったが、クラスの中では殺されたという噂があとを立たなかった。
元々、孤立していた男の子は何も変わらない日常を過ごしていたが、前までは煙たがられていたのに、今は恐れられている。
感覚としては少し違和感だった。
その後は何事もなく小学校を卒業していったのだ。
卒業式のあと、池へとひっそり足を運ぶ。
たまたまそこにいた、幼虫を捕まえて引きちぎる。
池の生き物に「これで最後だからね」とバラバラになった幼虫を与えた。
終わるとすぐに、親の元に戻る。
手は洗っておらず、男の子はその手を家に帰ってからも風呂に入るまで洗わなかった。
手を見返す度に思い出されるものは何か?
彼の頭に繰り返し再生されるのは…
虫を引きちぎったあの瞬間だけだった。




