3,複数
川原井は取り調べ室に戻ろうとしていた。
写真の資料を手に持ち、重い足取りで向かう。
戻りたくはない。
戻ってしまえば、あのサイコパスとまた話さなくてはならないのだ。
そう思うと、足取りは重くなり、着いてしまわないようにとわざと遅く歩いたりする。
心のどこかで正義感が疼いてしまったのだろう、気がつけば、取り調べ室の扉の前にまで来ていた。
ドアノブを握った瞬間に、ため息なのか気合いを入れたのか分からない息を吐く。
ガチャっとドアの音がなり、ゆっくりと開ける。
部屋には先程と変わらない光景があった。
目の前にはあのサイコパス、壁の端には石井がパソコンと睨めっこしている。
「俺がいない間、何もなかったか?」
「ええ、別に話しかけてもきませんでしたよ。
部屋の中をグルグル見回してたぐらいで」
念の為に石井に聞いた。
自分がいない間に、石井のことをそそのかしていてもおかしくはない。
人の心を弄び、操るのが志村のやり方なのだと考えていたのだ。
石井の言葉を聞いて、川原井は視線を志村の方に戻す。
石井の言う通り、部屋の中を見ているようだった。
川原井が見ているというのに気がつくと、目線を合わせてきて、ニヤッと口角を上げる。
背筋に氷の柱を打ち付けられたように凍った。
やはり、こんなやつとまともに会話するなんて気が狂いそうになる思いだ。
それでも、やらなくてはならない。
白鷺にあんなにも大きな発言をしながら、やっぱりやりたくないは通らないのだ。
ため息を必死に抑えながら、席にドサッと座る。
またこの場所に戻ってきてしまった。
現実がドシッと肩にのしかかるのを感じる。
志村の目を見つめた。
志村も川原井のことを見ている。
まるで決闘の始まる直前だ。
お互いに何も言わずに沈黙の時間が流れる。
沈黙を最初に壊したのは川原井の方だ。
手元に用意していた資料を志村の前に出す。
「志村さん。これ、どういう事なのかな?」
「どうって言われても。僕には説明がつきませんね。
だって、僕はここにいるんですから」
クスクスと笑いを堪えている様子だった。
明らかにシラを切るつもりでいるらしい。
「あんたは俺の目を見て嘘を見抜いた。
人が死んだことを。
それが本当かもしれないが、本当は知ってたんじゃないのか?
人が死ぬってことを」
「知るわけがない。
知っていたとしても、それは僕の罪じゃないでしょ?
殺したその犯人が悪いんだから。
僕が関与する理由が見当たらない」
志村の前に置いた写真は、被害者の死体だけだった。
川原井はここで被害者の手元にあった紙切れの写真を志村に見せる。
ほんの一瞬。
ほんの一瞬の出来後で、確実とまではいかないことだが、川原井は感じた。
志村の眉間に一瞬シワがよったような…
気のせいかもしれない、勘違いかもしれないと、この考えを脳内にしまいこむ。
「さぁね。
僕の熱烈なファンでもいたんじゃないのか?」
マスコミには報道をまだしていない。
捕まってから、それほど時間が経たずして1人目の犠牲者が出た。
1人目の犠牲者には犯人からのメッセージが残された形跡はゼロ。
単なる無差別殺人として、志村との関係性はないと扱われた。
そして、さらに時間が経ち、2人目の犠牲者。
死体の手には紙切れが置いてあり、血で文字が書かれていた。
紙には名前がハッキリと「志村卓也」と記載されていたのだ。
絡んでいないとは誰も言わないだろう。
事件を起こす前に、志村と関わっていた人物が共犯と見て間違いないだろう。
これまでも共同して犯行を行ってきた可能性だってあるのだ。
本人がやっていなくとも、川原井は目の前のサイコパスが人の心を操ると考えていたため、共犯者がいるのだと考えたいた。
共犯者が精神的に追い詰められ、やらされていたとしたら、志村の罪を重くしてやることだってできる。
やりがいが出てきそうだと、心の中で感じた。
「熱烈なファン…ねえ。
そんな奴がどこにいるってのさ?
あんたは皆が馬鹿みたいに真似したがるシリアルキラーじゃないだろ?
使ったんだろ?人を」
「使う?」
「人間は道具、なんだろ?」
「共感してる、ということでいいですかね?」
「共感者なんかするか。
ただ、あんたの心の内がそうだって言ってるだけだ」
志村はまだ余裕そうな顔をしている。
その様子を見ていると、さっき一瞬見えた眉間のシワは気のせいだったのだと思うことができた。
完全に考えから消すことはできずとも、納得のいく形になったことにホッとしたのだ。
一瞬でも、本当に知らないのではないかと考えてしまった自分を想像の中で殴った。
「おや、そっちの刑事さんもイケメンですね」
志村の標的が石井に向く。
石井は振り返った川原井の顔を見る。
「おい、今話しているのは俺だぞ」
川原井が志村の意識をこちらへと戻そうとする。
「いいじゃないですか、話す相手は多い方が楽しいですからね」
石井は判断を川原井に委ねているようだった。
「話してもよいのですか?」言葉はなくともそう言っているのが聞こえるようだ。
川原井は判断を急ぐ。
何かの材料になればと思い、石井と志村が話すのを許す。
何か狙いがあるのかもしれないが、石井も刑事だ、ボロを出させてやれ、と半ば責任を押し付けるような形であった。
自分はこれ以上、話したくないから。
パソコンに文字を打ちながら、石井は志村と話し出す。
ほとんど、パソコンに目がいっているが、耳は志村の方を向いている。
「刑事さん、名前は?」
「石井です」
「なるほど、石井さん。
川原井さんにも聞いたんですが、複数の異性に恋心を抱かれたことは?」
「1度だけ」
「おお!これはいい!
川原井さんでは分からないことがあなたには分かるんだ!」
侮辱されているようだった。
実際、されたのだろう、と川原井は思う。
複数の異性から恋心を持たれる?
それがなんだ?
モテることの証明だとでもいうのか?
結局はどちらか1人を選ばなければならないのだから、どうでもいいことだろう。
あくまでも他人事と捉えていた。
警察の仲間という間柄でも、1人1人の事情など知らない。
深く踏み込むことが地雷だとは川原井は思わなかった。
「石井さん。それで?
片方を選んだんですか?」
「はい」
「じゃあ、もう片方の女性は深く悲しんだでしょうね。
あなたは今や人々の幸せを願い悪を殲滅する刑事だ。
そんな刑事の過去には人を幸せにできるのに、自らの選択で幸せを断ち切ってしまったと」
パソコンをカタカタと打つ音が途中で止まる。
川原井は石井の方をもう一度振り返って見た。
過去を思い出し、その時の後悔を今突きつけられたのか、それとも、後悔を志村に植え付けられたのか、そんな表情をしている。
まるで、何かに似ていると感じた。
すぐに分かった。
先程まで話していた自分とそっくりな顔になっているのではないかと思ったのだ。
心を今の一瞬で抉ったのだと悟る。
「もういい!それぐらいでいいだろ!
人をおちょくるのもいい加減に…」
「おや、その顔。
後悔があったみたいですねぇ。
つまり、石井さん、あなたは自分が後悔する、相手の幸せを断ち切ると知りながら、自分が幸せになる道を選んだということ!」
川原井が止めるまもなく、志村は言葉をツラツラと並べる。
刑事として、動揺する石井にものすごく不満が募った。
けれども、先程、川原井自身も動揺してしまったことは確かだ。
だからこそ、喝を入れてやることができずにいた。
同じ経験をしたのだなと、同情すらしてやりたくなった。
「川原井さん」
急に、志村の標的が川原井へと向く。
石井に対して、精神的な攻撃をしたのは、おそらく楽しむため。
こちら側の精神を徹底的に不安定にさせることが目的だと川原井は考えた。
「一夫多妻制ってどう思います?」
「はぁ?なんだ急に」
「いいじゃないですか、石井さんとの会話は終わったんです。もう話せるような状態じゃないでしょう。
川原井さんとの会話に戻りましょう?
で、どう思うんですか?」
「そんな制度、今の時代で、できるわけがないだろ」
なんなんだこいつは、それは最初に話した時から思っていたこと。
なのに、志村と話しているとそれが加速していくように感じるのだ。
頭がおかしいやつとの会話、刑事であれば慣れていても不思議ではないはず。
なのに、志村という男はこれまでを凌駕してくる。
これが「サイコパス」というものなのだろうか?
こんなにも自分と違うものなのだろうかと、関心とは言い難いが、何か別の発見した時のような感覚になる。
「そう、できないんですよ。
でも、人々は求めます。
男も女も、そういう思想があるからこそ、何人もの恋人を作る人がいる。
自分の満足感のために人の心を弄ぶ。
それでも、遊ばれている方は事実を知らなければ幸せでいれると思いませんか?」
「だからって、一夫多妻制なんて認められるわけがないだろ」
「僕は、今まで恋人が1人だったことはありません。
必ず2人以上はいました。
でも、どの女も幸せそうでしたよ」
「じゃあ、あんたが浮気してたって事実を知ったらどうなるかな?」
「さぁ、僕の思想を聞いて納得してくれればいいですけどね」
拳を川原井は握りしめる。
今にも目の前の男を殴ってしまいそうになるからだ。
まだこんなやつとの会話が続くと思うと先が思いやられる。
今のところ、殺人の報告はされていない。
何としても、掴まなければ。




