将来の為の学び
俺は十五歳になった。十八歳になった兄は大学に入学した。考古学者である父親に倣うつもりはなく、兄は経済学を専攻した。カネの流れを理解できれば世界の動きも分かる。戦争も国防もカネが無ければ出来ないし、経済オンチならば貧困を解決することも出来ない。金持ちか政治家になりたかった兄の計算通りであった。法律学や政治学も学問の花形だけれども、経済学が最も実利的だと兄は感じているようだ。
俺はまだ何を学んで将来何をして自立すべきか決めていない。考古学者として真摯に研究する父を尊敬しているけれど、父は人類の蛮行に辟易している。それに考古学は奥が深過ぎて俺には不向きな気がする。
母は保育士として近所の子ども達の面倒を観ている。母はシッカリと躾けるけれども暴力どころか怒鳴りもしない。根気強く子ども達を見守りながら子ども達の行動範囲を上手く広げていく。母に躾けられた子ども達は不思議と温和で礼儀正しくなる。俺はそんな母を尊敬しているけれど真似できないし真似しようとも思わない。
ラジオからは飛行機の活躍が聞こえてくる。天気さえ良ければアッという間に大陸の沿岸部から内陸部まで飛んでいく。災害が起きれば人を避難させたり、医師や技術者を輸送したりできる。飢饉が起きれば食糧も送れる。
巨大な大陸に鉄道を敷いて汽車を動かす事業も世界各国で進められているが、莫大な費用と労力を必要とする。汽車を動かすには大量の石炭や石油が必要だし、汽車本体や線路には大量の鉄鉱を使用する。また、沢山の頑丈な男達が重労働に耐えなければならない。一度出来上がれば汽車は一度に大量の物や人を送れるが、遥かに速く動く飛行機も重要だ。
もし視力が落ちなければ飛行機の操縦士になろう。俺は漠然と夢を描く。視力は良いのに眼科に行って診察してもらっている。両親は呆れているが、目は大事だからと受診料を出してくれている。操縦士になるには様々な知識が求められるし、なれなくても勉強は大事だ。父は様々な本を俺に読ませては勉強させている。自然科学の知識は考古学者である父にとっても操縦士を希望する俺にとっても必要だ。
父は時々、歴史は勝者の物語ではないと主張する。歴史書で語られなかった物語を一次資料から復元していく作業こそが歴史だ。更に文献史料で分からなかった事を遺跡や遺物で再現していく作業が考古学だ。巷では歴史も考古学も浪漫だと言われるが、人類の愚かさを証明してしまうのもまた歴史であり考古学なのだ。父は語る。
権力を握って歳を取って死後も丁重埋葬される男達。あらゆる雑用をしても評価されずに少し老けただけで罵倒されて死後もぞんざいに葬られる女達。戦争で戦死した男達は憐れまれても虐殺された女達は忘れ去られる。そんなどうしょうもない差を父は考古学者として見てきたのだ。
性暴力がいかにおぞましいかを父は強調する。俺は気分が悪くなった。女はか弱いから守れと皆は言っているが、実際は女達に酷い事をしてきたのだ。女達が暴力を告発すると犯罪者扱いされるのだ。現在でも参政権や雇用の平等を訴える女達は異常者扱いされる。父は女達に同情的である。
俺は女に暴力を振るう悪漢にはなるまいと心の隅で誓った。




