30. 逃亡の終わりと白銀の帰還
――ガキィィィンッ!!!!
凄まじい鋼鉄の衝突音が広場を揺るがす。
リカルドがカシムの投げた長剣を見事に掴み。
そのままの勢いでオスカーの渾身の刃を完璧に弾き返したのだ。
「遅ぇよ、カシム。もう少しで姫様の綺麗な首が飛ぶところだったじゃねぇか」
リカルドは、十年前と全く変わらない不敵な笑みを浮かべ、血のついた唾を吐き捨てた。
広場の下で血塗れになっているカシムが、ニヤリと凶悪に笑い返す。
「文句は、その無鉄砲な王女様に言ってください」
「ハッ……違いない。本当、とんでもねぇじゃじゃ馬に育っちまったな」
リカルドは剣を肩に担ぎ、私を庇うように一歩前へ出た。
そしてバルコニーで腰を抜かしているオズワルドを、氷のように冷たい眼差しで射抜く。
「……姫様、怪我はないな?」
「ええ。貴方が守ってくれましたから」
私の迷いのない声に、彼は「ハッ」と短く笑った。
それから、かつてオスカーが憧れた白銀騎士団長としての、凄まじい覇気を解放した。
「……バカな。深手を負い、まともな食事もとっていないはずだぞ! なぜ立てる!?」
「スラムの用心棒を舐めんじゃねえよ、オスカー」
驚愕して後ずさるオスカーに向かって、リカルドは一気に距離を詰めた。
そこからの光景は戦いというよりも、二人の男による魂の対話だった。
オスカーが気を引き締め直し、次々と剣技を繰り出す。
十年間、ただリカルドを呪いながら研ぎ澄ませてきた執念の剣。
だが、リカルドはその刃をすべて、完璧な太刀筋で受け止めていく。
重い鎧を着て綺麗に戦っていた騎士団長時代よりも。
スラムで泥水をすすり生き抜くために磨き抜かれた『用心棒リカー』としての剣はあまりにも強く、そして優しかった。
「なぜだっ……! これほどの腕を持っていながら、なぜお前は私たちを見捨てた……っ!なぜ何も打ち明けず、城を出て行ってしまったんだ!!」
――ガキンッ!
火花が散るたびに、オスカーの悲痛な叫びが漏れる。
「お前のせいで! 私も、かつての同僚たちも! この十年、地獄を見たっ!!」
「……ああ、そうだな。全部、俺のせいだ」
リカルドは彼の憎しみも悲しみも、村を焼いたという生涯消えない罪悪感も。
すべてをその長剣で余すことなく受け止めた。
そして、鋭い踏み込みと共に、紙一重でオスカーの刃を躱す。
その隙に、リカルドはオスカーの懐へ完全に潜り込んだ。
「腕は上げたな、オスカー。だが……お前は相変わらず、甘すぎる」
リカルドはオスカーを斬り捨てることはしなかった。
長剣の柄の底を、彼の黒い胸当ての中央へと思い切り叩き込む。
――ドゴォッ!!
骨の髄まで響くような鈍い衝撃音が、処刑台に響き渡った。
黒い甲冑に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
それと同時に、オスカーの身体が後方へと大きく吹き飛ばされた。
それは、彼を辱めるような暴力ではない。
かつての戦友へと贈られる、圧倒的な力の差による完全なる決着の打撃だった。
「ガ、ハァッ……!」
オスカーは血を吐き、仰向けに倒れ込んだ。
もはや指一本動かす力も残されていなかった。
彼は荒い息を吐きながら、眩しい王都の空を見上げる。
そして自らを見下ろすリカルドの姿をその目に焼き付けた。
「……結局、私は……十年間足掻いても、お前の背中にすら、届かなかったか……」
自嘲するような呟き。
けれどその声色は、どこか憑き物が落ちたように清々しいものだった。
リカルドはその呟きを聞き届け、静かに長剣を下ろす。
そして、かつての部下に向けて、ひどく柔らかく労うような視線を向けた。
「……十分強くなったよ。今までよく一人で国を支えてくれたな、オスカー」
その、たった一言の赦しの言葉を聞いた瞬間。
オスカーの瞳から、一筋の涙が静かにこぼれ落ちた。
彼は満足げに薄く笑うと静かに目を閉じ、安らかな表情で完全に意識を手放した。
「ひぃぃッ……! くるな! ば、化け物めッ!!」
頼みの綱だったオスカー。
その彼が倒されたのを見て、叔父は完全に腰を抜かし無様な悲鳴を上げた。
彼は権威の象徴であるマントをばっと脱ぎ捨てた。
そして、這うようにしてバルコニーから城の奥へと逃げ込んでいく。
「追え! 決して逃がすな!!」
カシムの号令が響く。
だが、私とリカルドは焦って追うことはしなかった。
既に彼は、詰みを迎えていたからだ。
◇◇◇
王城の裏口。平民が使うような泥だらけの狭い退路。
そこからオズワルドが、息を切らしながら転がり出てきた。
「はぁっ、はぁっ……クソッ! 財産をまとめて、隣国へ逃げればまだ……!」
ブツブツと独り言を呟きながら、停めてあった馬車へと駆け寄ろうとした彼だが。
その足は、ピタリと止まった。
「……どこへ行くつもりだ、オズワルド公」
裏口の暗がり。
そこには別動隊として密かに回り込んでいた、数名の白銀騎士たちがいた。
王都の城門を突破した直後、カシムの指示で動いていたのだ。
彼らは皆一様に血走った目でオズワルドを見ている。
その剣の切っ先が、逃げ場のない叔父の喉元へと一斉に突きつけられる。
「ひっ……! ま、待て! 金ならある! 領地でも、爵位でもくれてやる! だから私を……っ」
豪華な衣装を泥だらけにしてオズワルドが地面に這いつくばり、無様に命乞いを始める。
十年間、涼しい顔で他人の血を啜ってきた悪党。
その男の、あまりにも哀れな末路だった。
私はその光景を眺めながら、ゆっくりと彼に近づいて行った。
傍らには当然のように、長剣を携えたリカルドがいる。
「リ、リカルド……っ! お前なら分かるだろう、私を殺せば、隣国が黙ってはいないぞ! 王女を玉座に就かせたいなら、私を生かして交渉の札に……っ!」
必死に叫ぶ叔父を、リカルドは無表情で見下ろしていた。
一切の感情を交えない、氷のように冷たい目線を目の前の老人へと向けている。
そして、彼が持つ長剣の冷たい刃の切っ先がゆっくりと持ち上げられた。
泥にまみれた叔父の喉元へと、ピタリと突きつけられる。
「……御託は地獄で並べな」
リカルドの低く絶対的な死を告げる声が、泥だらけの裏路地に響いた。
「お前の薄汚えゲームはここで終わりだ。――この男を捕えろ」
彼の宣告と共に、別働隊の騎士たちが一斉に動いて叔父を拘束する。
そして、未だ御託を並べ続けるその口を乱暴に布で塞いだ。
空を見上げれば、雲の切れ間から眩しい陽光が差し込んでいた。
彼の瞳のように澄んだ青空。
父の死から十年。
彼が大逆人の汚名を被り私が鳥籠の中で怯え続けていた、長くて暗い夜。
それが今、ついに終わったのだ。
「……終わりましたね、リカルド」
私は彼を見上げながらそっと微笑んだ。
彼は長剣を肩に担ぎ直しながら、私の泥だらけの顔を見る。
そして、いつものように短く鼻を鳴らした。
「本当に、俺の雇い主はとんでもねえじゃじゃ馬だったよ。……帰るぞ。お前の玉座へな」
彼は空いた大きな手で、私の泥だらけの髪をクシャクシャと乱暴に撫でた。
私は、彼の不器用な優しさに目を細めながら。
彼と並んで、私たちが帰るべき場所へゆっくりと歩き出したのだった。




