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28. 遅刻した女王と断罪の広場

 




 景色が、凄まじい速度で後ろへと流れていく。

 風が頬を切り裂き、冷たい空気で肺が灼けるように痛む。

 十日間の記憶は、断片的な苦痛の連続だった。


 無休で走ることなど、現実的には不可能だ。

 馬が潰れれば、その時点で終わる。

 だからこそ私たちは、馬の口から白い泡が吹く直前のギリギリを見極めて手綱を引いた。



「止まれ! これ以上は馬の心臓が破裂する、二時間だけ休ませろ!」



 カシムの号令で、私たちは荒野の泥土に崩れ落ちるように野営を敷いた。

 だが、それは決して休息と呼べるような生易しいものではなかった。

 私たちは自分の乾いた喉より先に、馬の口へ貴重な水筒の水を流し込む。

 凍える手で馬の脚をさすり、少しでも疲労が抜けるようにと泥だらけの地面に這いつくばった。


 食事は馬上で干し肉とビスケットを水で流し込むだけ。

 睡眠は、互いの体を綱で結び合い、落馬を防ぎながら微睡む数十分のみ。

 鞍に擦れて股から血が流れ、意識が遠のくたびに自分の手を噛んで覚醒させる。


 それでも誰一人として、弱音を吐く者はいなかった。

 あの男が、泥をすすりながら守り抜いた十年間。

 それを思えば、この程度の苦痛、何の言い訳にもならないからだ。

 鎧を捨てた私たちはまるで風そのものになったかのように、街道を駆け抜けていった。


 そして、十日目を迎えた。


 太陽はすでに天高く昇っており、陽射しが王都の城壁を照らし出している。

 限界まで駆け続けた馬の荒い息遣いが聞こえる中。

 私たちは、王都の巨大な正門へと続く真っ直ぐな大通りを猛烈な速度で駆け抜けていた。


 本来なら閉じられているはずの堅牢な跳ね橋と巨大な鉄門。

 だが、信じられないことに、今は大きく開け放たれている。


 叔父オズワルドが仕組んだ『戴冠の祝祭』。

 彼は自身の絶対的な権力と正当性を誇示したかったのだ。

 そのために、近隣の村々から大量の見物客を招き入れていた。


 皮肉なことだ。

 彼自身のその傲慢な見栄が、私たちの前に巨大な城壁を越える道を作ったのだから。



「……なんだあいつら! 鎧も着てねえ貧乏傭兵か!?」



 城門を警備していた『鉄鴉騎士団』の兵士たち。

 彼らは土埃を上げて迫る私たちに気づいて、驚愕の声を上げた。

 彼らはオスカーの部下たちだ。

 重厚な黒い甲冑に身を包み、手には長剣を握っている。



「止まれ! 止まらねば射殺するぞ! 早く門を閉めろォッ!!」



 兵士の叫びと共に、巨大な門が地鳴りを立てて閉まり始めた。


 ――ギギギギギッ!


 錆びた鉄がこすれ合う耳障りな音が空気を震わせる。

 間に合わない。

 常識的な騎兵の突撃速度なら、確実に門の間に挟まれて圧死していただろう。

 だが、私たちは狂気とも言える完全軽装の騎兵部隊だ。



「止まるな! そのまま隙間へ雪崩れ込めェッ!!」



 カシムが飛ばした命令。

 それと同時に私たちの馬は極限まで軽くなったその異常な機動力を爆発させた。

 閉まりゆく重い鉄門の、わずかな隙間。

 私たちはそこへ、針の穴を通すような凄まじい速度と密集陣形で次々と滑り込んでいく。



「撃て! 弓兵、一斉射撃ィッ!!」



 城壁の上から、雨あられと黒い矢が降り注いできた。

 防具を持たない私たちの陣形に、無情にもその凶刃が突き刺さる。

 ドスッという鈍い肉を裂く音が背後から聞こえた。

 私のすぐ斜め後ろを走っていた騎士が、肩口を深々と射抜かれたのだ。

 そして、声にならない悲鳴を上げて落馬していく。



「――ッ!!」

「振り返るなッ! 速度を落とせば全滅だ!!」



 カシムが素早く檄を飛ばす。

 私は奥歯を噛み締め手綱を握り直し、必死に前だけを見据えた。

 落馬した仲間を見捨ててでも、ただ前に進むしかない。

 これが、彼を救うために選んだ、鎧を捨てた戦術の泥臭い代償なのだ。


 城門を突破し、王都の中央広場へと一直線に駆け抜けていく。

 沿道には、祝祭に浮かれた数万人の民衆がひしめき合っていた。

 空気中に、安いワインと香水の匂いが溶けている。

 彼らは突如現れた泥だらけの騎兵集団に悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように道を空けていく。



「どけェッ! 女王陛下の御通りだ!!」



 騎士たちの荒々しい咆哮が、王都の平和な空気を暴力的に引き裂いていく。

 やがて、視界が開け、王都の中心にある巨大な中央広場がその全貌を現した。

 太陽が真上から照りつける広場の中央。

 高くそびえ立つ木造の断頭台の上。

 そこに後ろで手を縛られた、一人の男が引き立てられていた。



「……リカルドッ!!」



 私の口から、悲鳴のような名前が漏れた。

 彼の分厚い獣革のコートは剥ぎ取られている。

 ボロボロのシャツの下からは、無数の凄惨な傷跡が覗いている。

 肩口からは、まだ生々しい血が流れていた。


 処刑台を見下ろす豪華なバルコニーを見上げる。

 そこには豪奢な衣装を着た叔父――オズワルドの姿があった。

 彼は笑みを浮かべ、片手に持った赤ワインのグラスを優雅に揺らしている。

 群衆の罵声と嘲笑が、縛られた彼に向かって容赦なく浴びせられていた。


 だが、当のリカルドは一切の抵抗を見せることなく、ただ静かに膝をついていたのだ。

 彼の藍玉色の瞳は群衆も、叔父も、処刑人の巨大な斧すらも見ていなかった。


 自分が死ねばそれでいいと思っている。

 後悔など何一つないような、穏やかな表情だった。


 自分がここで死んで大逆人の物語を終わらせればそれで済むと。

 私は辺境の砦で、カシムたちに守られて安全に生きられると。

 遠く離れた私にも、その彼の内心が痛いほどに伝わってくる。



「ふざけないで! 勝手に終わらせるなんて、絶対に許さないんだから!!」



 私は馬の腹を力の限り蹴った。

 そして、広場への入り口を固める敵陣へと勢いよく突っ込んだ。


 広場の入り口には、重装甲に身を包んだ鉄鴉騎士団の歩兵部隊がいた。

 彼らは私たちを通さないように、分厚い槍の壁を作っている。



「賊軍だ! 槍衾やりぶすまを作れ! 一匹たりとも通すな!!」



 オスカーの部下が叫ぶと、長槍がハリネズミのように私たちへ向けられる。

 だが、ここは人が密集した市街地の広場だ。

 小回りの利かない重装甲と長槍は、この場所では致命的な弱点となる。



「陣形を乱せ! 立ち止まらずにすり抜けろ!!」



 カシムの号令と共に、私たちの軽騎兵部隊は槍の壁に正面からぶつかることを避けた。

 手綱を巧みに操り、敵の横腹を掠めるようにして次々とすり抜けていく。


 重い甲冑を着た正規兵たち。

 彼らは私たちの異常な速度と変則的な動きに全くついてこれていない。

 同士討ちを恐れて長い槍を振り回すこともできないのだ。


 足元をすくわれた彼らの重装陣形は、まるでドミノ倒しのように次々と崩壊していった。

 重苦しい金属音が鳴ると共に、完全に道が開かれる。


 ――ゴォォォォン……ッ!!


 その時、王都の空に、正午を告げる重々しい鐘の音が響き渡った。

 処刑の刻だ。


 バルコニーの叔父が冷酷に手を振り下ろす。

 黒い頭巾を被った処刑人が、太陽の光を反射する巨大な斧を高く振り上げた。

 リカルドの無防備な首筋に向けて、その圧倒的な死の刃が振り下ろされようとする。



「――ッ! 間に合ってぇぇぇ!!」



 私は一切の手加減なく馬を駆った。

 崩壊した陣形の隙間を抜け、処刑台へと一直線に突進する。


 ――ドォンッ!!


 凄まじい轟音と共に、私の乗る馬が処刑台の木製の階段に激突した。

 階段の木材が砕け散る衝撃で、私の身体は大きく宙へと投げ出された。


 ――このままでは彼が死んでしまう。


 私は空中でバランスを崩しながら、右手に握っていた『銀の塊』を処刑人に投げつけた。



「彼をっ……殺さないでぇっ!!!!」



 私の咆哮と共に放たれたそれは空気を切り裂き、処刑人の手元に当たる。


 ――ガァンッ!!


 純銀と鋼が激突する音がして、処刑人が大きくたじろぐ。

 振り下ろされた巨大な斧はその軌道を大きく逸らした。

 斧はリカルドの首のわずか数センチ横、処刑台の床板に深々と突き刺さった。



「な……っ!?」



 処刑人の戸惑う声。

 斧を弾き飛ばした『銀の塊』はコロコロと床の上を転がっていく。

 そして、目を見開いたリカルドの目の前でピタリと止まった。


 それは、彼が十年間、決して手放すことなく革袋の底に隠し持っていたもの。

 王家の盾と獅子と百合が刻まれた、王国最強の証。

 『白銀騎士団長の勲章』だった。



「……うそ、だろ」



 リカルドの掠れた声が漏れる。

 彼は勲章を食い入るように見つめたあと、処刑台に泥だらけで転がり落ちた私に視線を移す。

 すべてを諦め、静かに死を受け入れていたはずの彼の藍玉色の瞳。

 それがかつてない驚愕と、そして隠しきれない歓喜に激しく揺れ動いていた。


 私は痛む身体に鞭を打ち、処刑台の床を蹴ってゆっくりと立ち上がった。

 彼が買ってくれた紅い革紐で、髪は高い位置に結んでいる。

 服はボロボロで、全身も泥と汗にまみれた酷い有様だ。

 だが、私の背筋は一つも恥じることなどないように、真っ直ぐに伸びていた。


 ざわめく数万の民衆を背にし、叔父をきっと睨む。

 彼は驚愕に顔を引きつらせ、幽霊でも見たかのような顔をしていた。



「第一王女エクラ・フォン・ガランサスは、たった今ここに戻りました!!」



 私の声は、正午の鐘の余韻をかき消すほどに響いた。

 広場に集まった民衆は、突然の乱入にざわついている。



「皆、騙されてはいけません! 十年前、お父様を毒牙にかけ! この国を不当に略奪しようとしているのはそこにいる私の叔父――オズワルド公です!!!!」



 群衆の間に、どよめきが波のように広がっていく。

 私は、かつて私を逃がすためにすべてを捨てた男の前に立った。

 今度は私が彼を背中に庇う番だ。

 凛と胸を張り、広場に響き渡るように断言する。



「私の命を懸けて、彼――リカルド団長の無実を、ここに証明します!!」





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