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23. 護送の馬車とかつての友★

※リカルド視点

 




 ガタゴトと、車輪が荒野の石を弾く無機質な音が、ひたすらに鼓膜を打ち続けている。

 窓のない護送馬車の中は、ひどくカビ臭く、湿った木材の匂いが充満していた。


 両手首と両足首に食い込む、分厚い鋼の拘束具。少し身じろぎをするだけで、ジャラリと重い鎖の音が狭い空間に反響する。

 左肩から二の腕にかけては、まだじわじわと嫌な熱を持った痛みが脈打っていた。

 だが俺の心は不思議なほどに軽く、澄み切っていた。


 ――これで、いい。


 薄暗い馬車の床を見つめながら、俺は内心で小さく息を吐き出した。

 あの廃屋で、俺がすべての罪を被ることで、あの世間知らずのお姫様は完全にオズワルドの標的から外れた。

 これでもう、あいつが追っ手の影に怯える必要もなくなる。



「……本当に、ありがとうな。オスカー」



 俺は痛む脇腹を庇いながら、壁に背を預けたままゆっくりと口を開く。

 向かいの席にはオスカーが座っていた。

 彼は腕を組み、微動だにせず俺を監視している。


 かつて俺と剣の腕を競い合い、実直に剣を振るっていた騎士。

 彼は誰よりも正義感に溢れ、キラキラとした笑顔を見せていた。

 だが、今の彼の顔にあの頃の純粋な面影はない。

 十年という歳月が彼を変えてしまった。

 その瞳は氷のように凍りついており、俺を見る目にはどこまでも敵意がある。



「勘違いするな、大罪人」



 オスカーは、微かに眉間を顰め吐き捨てるように答えた。



「王族があんな貧相な格好をしているなど死んだも同然だ。それに彼女は剣の腕もなく、権力を持っている訳でもない。放っておいても大した脅威にはならないだろう。だから見逃した。それだけだ」

「ハッ、そうかよ。まあ、理由はどうあれ助かったのは事実だ。……変わったとは思っていたが、根っこの部分は昔のままなんだな」



 俺がそう言うと、オスカーは剣の柄を強く握った。

 その指の関節が白く変色している。

 おそらく俺に対して強い怒りと憎しみをたぎらせているのだろう。


 無理もない。

 彼から見た俺は裏切り者でしかないのだから。


 俺は国を裏切り、信頼していた部下たちを巻き添えにした最低の卑怯者だ。

 その憎悪こそが、彼を十年間生かしてきた原動力なのだろう。

 俺が今更、真実を語って弁明しても意味はない。



「……お前に、私を語る資格などない」



 不意に。

 馬車の揺れ音に混じって、オスカーの喉の奥から、ギリギリと歯ぎしりをするような音が漏れた。



「十年前。お前が裏切って王宮を去ったあの日から……私が、どれほどの地獄を見たか。お前に分かるはずがないッ!!」



 普段は感情を完全に殺している彼の声が、ひどく痛ましく、ひび割れて裏返った。



「お前が消えた後! 私はオズワルド公の命で、辺境の村へ向かわされた。『あそこには反乱軍の武器が隠されている。すべて燃やし尽くせ』と命じられてな!」

「……っ」



 俺の心臓が、ドクンと跳ねた。

 辺境の村。それは俺たちがかつて中継拠点として使い、彼女と休憩したあの廃村のことだ。



「武器などなかった!! あそこにあったのは、ただその日を懸命に生きる村人たちの暮らしだけだ! なのに私は、騎士の誇りを捨てて、逃げ惑う彼らの背中に火矢を放った! 泣き叫ぶ子供たちの声が、今でも耳から離れないんだ……!!」



 彼の声はひどく痛ましく、ひび割れて裏返っていた。

 十年前に心を壊された、一人の無力な青年の絶望。

 それが手に取るようにわかった。

 彼は剣の柄から手を離し、己の膝を血が滲むほど強く叩きつけた。



「お前が……お前が本当に誇り高き騎士だったのなら! なぜあの時、王を殺そうとした!! なぜ私に何も言わなかった!!」

「…………」

「お前の罪のせいで、私は悪魔の猟犬に成り下がるしかなかった! この国を守るためにと自分に言い聞かせながら、何かおかしいと感じながら……それでも正しいことをしているんだと、そう信じるしかなかったんだ!!」



 彼がオズワルドの手先となった理由。

 それは、権力欲でも出世欲でもない。

 己の手で罪のない村人を焼き殺してしまったという、耐え難いトラウマと罪悪感。


 あれは裏切り者のリカルドが悪いのだ。

 自分は国を守るための正義の剣だ。

 そう思い込むことでしか、彼は正気を保って生きてこられなかったのだ。


 馬車の中に、彼の荒い呼吸音だけが痛ましく響く。

 俺は、鎖に繋がれた両手を膝の上で組み、ゆっくりと深く目を閉じた。



「……悪かったな」



 俺の口からひどく掠れた、酷い声が出た。

 たった一言の短い謝罪の言葉だ。



「ふざけるなッ! その一言で済むとでも――」

「ああ、済むわけがねえ。俺は一生、てめぇに恨まれたままで構わねえよ」



 俺は目を開け、藍玉色の瞳で真っ直ぐに彼を見据えた。

 弁明はしない。

 あの日、たった一人の少女の命を守るために。

 俺は彼らの信頼も、誇りも、すべてを意図的に裏切ったのだから。


 俺がここで言い訳をすれば、彼はさらに行き場のない絶望に苛まれるだろう。

 ならば、俺は最後まで、彼の中で『国を裏切った大罪人』であり続けるべきだ。

 それがあの村の亡霊と、今にも壊れそうなかつての部下に対する、俺なりの唯一の贖罪だった。



「……お前は……。お前は、本当に救いようのない大罪人だ」



 俺の態度を見たオスカーは、すべての期待を捨てたように冷たく吐き捨てた。

 彼は深く背もたれに寄りかかり、再び腕を組んで目を閉じる。


 ガタゴトと無機質な車輪の音だけが聞こえる。


 暗闇の中、ふと、あの廃屋で彼女に押し付けた革袋のことを思い返す。

 食料品に火打石、予備の包帯、毛布。

 そして袋の一番底に、油紙と白い布で何重にも包んで隠しておいたあの純銀の塊。

 俺が十年間、スラムでどれほど泥水をすすり飢え死にしかけても、決して手放さなかったもの。

 あれを闇市にでも持ち込んで売り払えば、一生、遊んで暮らせるだけの莫大な金に換わるだろう。


 おれが捕まったあの小屋からグレイフォールまでは歩いて二日といったところだった。

 あの砦までつけば、あとは彼らが彼女を保護してくれるはずだ。


 日当たりのいい小さな家でも買って、豪華ではないが普通の飯を食って、誰かと結婚して。

 そうすればただの田舎娘として、笑って生きていけるはずだ。


 もう、俺という不格好な盾は、あいつの隣にはいらない。

 それでも俺が残した財産で、あいつの未来が少しでも明るく、安全なものになってくれるなら。

 俺が十年間、大逆人の泥を被って這いずり回ってきた意味は十分すぎるほどにあった。



「……おい。着くぞ」



 不意に、オスカーの冷ややかな声が馬車の中に響いた。

 馬車の小さな鉄格子の窓から、光が差し込む。

 巨大な白亜の城壁がその姿を現したのが見えた。


 王都だ。十年間、死に物狂いで生きてきた、俺の死に場所。


 馬車が城門をくぐり、石畳の感触が変わる。

 周囲からは王都の民衆たちの喧騒と活気が伝わってくる。



「……お前の命運も、ここまでだな」



 オスカーは腕を組んだまま、冷酷に俺を見据えて宣告した。

 その声にはかつての友人に対する最後の哀れみと、完全なる決別の意志が込められていた。



「おそらくお前の処刑は、オズワルド公の戴冠式と同時に行われるだろう」

「……戴冠式、だと?」

「ああ。新たな王の誕生と、逆賊の死。これ以上ない王都の祝祭になる。……それまで暗い牢の中で、自分の犯した罪に怯えて生きるんだな」



 戴冠式と聞いて納得した。

 オズワルドは自分が玉座に座るための最高の生贄として、俺の首を民衆の前に晒すつもりらしい。

 悪趣味な余興だが、俺にとっては好都合だ。

 俺の処刑が大々的に行われれば行われるほどオズワルドの目は俺へと向き、辺境へ逃げた彼女の存在は思考から消え去るだろう。



「ハッ……。せいぜい、首を洗って待たせてもらうよ」



 俺は鎖をジャラリと鳴らし、壁に頭を預けたまま、窓から見える青い空を眩しそうに見上げた。


 俺がここで死んでも。

 あいつがどこかの遠い空の下で、馬鹿みたいに甘い菓子でも食いながら。

 足の傷が痛むとか、飯がまずいとかいいながら。

 それでも、生きていてくれるならばそれでいい。

 自分の命など、あの十年前の雨の日に捨てたのだから。


 俺の心は、これから訪れるであろう残酷な拷問と処刑を前にしても、奇妙なほどに穏やかで満ち足りていた。






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