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15. 彼女の抗議と譲れないベッド

 




 ガルドガの路地裏を進んでいく。

 そこは王都の下町と似たような雰囲気だった。

 踏み固められた土の道沿いには粗末な木造の建物がひしめき合っており、すれ違う人々の身なりは決して豊かとは言えない。


 ガラの悪い傭兵たちの姿もチラホラと見える。

 彼らは路地裏にある酒場に集い、昼間から安酒を煽って笑い声を上げていた。



「ふう……。入れたはいいが油断はできねえ。すぐに宿を探すぞ……っと、危ねぇ」



 私を抱きかかえたまま、リカーが短く息を吐き出した。

 それと同時に少し足をふらつかせ、小さくたたらを踏む。

 その様子に彼が限界なのだと察し、首に回した腕にぎゅっと力を込めた。


 それも当たり前のことだ。

 おそらく、彼は昨日の朝から今まで一睡もしていない。

 私を背負ったまま、険しい山道を夜通し歩き続けたのだろう。


 それに、彼の胸から伝わってくる熱は、明らかに平熱よりも高い。

 私を支える腕の筋肉も小さく痙攣している。

 これ以上彼に無理をさせたくない。



「リカー。私、もう自分で歩けますので降ろしてください」

「バカも休み休み言え。靴もねえのに、皮の剥けた足でどうやって歩く気だよ」

「靴がなくとも包帯を何重にも巻けば──」

「大丈夫だから黙って運ばれとけ」



 彼は私の抗議をピシャリと撥ね退け、早足で路地裏を進んでいく。

 そして宿の看板を見つけると、扉を足で乱暴に蹴り開けた。

 その勢いのままカウンターの方へと歩き、驚いている女主人へ早口で告げる。



「部屋を一つ頼む。目立たない、通りに面してねえ部屋だと助かる」

「ひ、一部屋だけなら空いてますが」

「なら案内してくれ。見ての通り手が塞がってんだ」

「わ、わかりました……ご案内します」




 ◇◇◇




 そうして通された部屋は、宿場町で泊まった部屋よりもさらに狭く薄暗かった。

 カビと古い油の匂いが染み付いた空間。

 そして、粗末な木組みのベッドが『一つだけ』置かれている。

 リカーは、そのベッドを見てピタリと動きを止めた。



「……」

「……」



 沈黙が落ちる。

 ベッドは一つ。どう見ても彼と私が二人で寝転がれるほどの幅はない。

 王宮の広い天蓋付きベッドならいざ知らず、この安宿のベッドは、大人一人が横になればいっぱいいっぱいのサイズだった。



「……はあ。ま、雨風しのいで寝れるところがあるだけマシか」



 リカーはわざとらしく溜息を吐くと、ベッドの縁に私をそっと降ろした。

 分厚い毛布はゴワゴワとしていて埃っぽい。



「俺は床でいい。お前はベッドを使え」



 彼はガシガシと後頭部を掻き毟りながらベッドから数歩離れた。

 そして、部屋の入り口付近に自身の外套を敷き始める。



「えっ……そ、そんなの駄目ですよ!」



 私は弾かれたようにベッドから身を乗り出した。

 咄嗟に立ち上がろうとして、右足に鈍痛が走る。

 思わず顔をしかめると、リカーは眉間に皺を寄せながら慌てて駆け寄ってきた。



「おい! バカ、動くな! 傷が悪化したらどうすんだ!」

「だって! 貴方、一睡もしてないじゃないですか! ずっと私を背負ってくれて、関所でもあんなに気を張って……!」



 私は痛みを堪え、彼に向かって大声を出した。

 ただでさえ彼はボロボロだ。

 目の下には濃い隈が落ち、無精髭の生えた顔は土埃で汚れている。

 吐く息はどこか熱を帯びているようで、体調も万全とは言えないだろう。

 そんな彼を冷たく硬い床に寝かせて、私だけがベッドを使うなど絶対に許せなかった。



「貴方はベッドで休んでください! 私、床で寝ます! 昨日だってたくさん背中で寝かせてもらいましたから!」

「バカ言ってんじゃねえ!」



 リカーは語気を荒げると私を鋭く睨みつけた。

 低い声で威圧するように一歩踏み込んでくる。



「雇い主を床に寝かせて、てめぇがベッドに寝る!? そんな用心棒がどこにいるんだよ……。頼むから自分の立場を考えてくれ、お嬢ちゃん」

「用心棒だとか雇い主だとか、今はそんなこと関係ないです! 貴方は人間です! 疲れている時に冷たい床で寝たら、本当に倒れちゃいますよ!」

「倒れねえよ。スラムじゃこの床も上等な部類に入る」

「嘘! 貴方、さっきもふらついていたじゃないですか! お願いですから、ベッドを使ってください!」



 互いに一歩も譲らない。

 私が目の前の彼をベッドへ引っ張ろうと両手を伸ばした、その時だった。



「はぁぁぁぁ……」



 リカーは天を仰ぎ、長く深いため息をついた。

 そして、瞬きする間もない速度で私の両手首を右手で束ねて掴み上げる。



「えっ……」

「ったく、お前ってやつは……警戒心がなさすぎだ」



 次の瞬間、視界が回った。

 ドサッという鈍い音と共に、私は彼によってベッドの上へと強引に押し倒されたのだ。

 それを理解し、心臓がドクンと大きく鳴る。



「えっ……リ、リカーっ!? な、にを──」



 背中から柔らかいマットレスに沈み込む。

 私の頭の左側に大きな手がつかれ、その重みでベッドが大きく軋む。

 至近距離。彼の顔が視界一杯に広がり、顔が真っ赤に染まる。

 彼の蒼玉色の瞳が、すぐ目の前にあった。



「……よく聞け、お嬢ちゃん」



 怒っているような、低く、ひどく掠れた声だった。

 それなのに、私をベッドに縫い付けるその手つきは恐ろしいほどに優しい。



「俺は、お前を守るって契約したんだ。お前が床で寝て風邪でも引いたら俺の経歴に傷がつく。……俺の仕事を、お前の安い同情で邪魔すんじゃねえ」

「でも……っ、貴方が……」

「俺は自分がベッドで寝るよりも、お前がベッドで寝てる方が何倍もよく眠れるんだよ。だから、四の五の言わずに寝ろ」



 彼は私の額にコンッと軽く自分の額をぶつけた。

 そして、私の手首を解放するとゆっくり身体を起こす。



「とりあえず身体は拭くだけに留めておけ。風呂なんざ入ったら傷口が化膿する。井戸から水を汲んでくるから、それまで大人しくしとけ」



 彼はそう言うと部屋にあった木桶を手に取り、部屋の扉を開けて足早に出て行ってしまった。



「……本当に、過保護なんだから……」



 私はベッドの上に残されたまま、真っ赤になった顔を両手で覆った。

 彼の匂いと、熱が、まだ私を包み込んでいる。


 ドクドクと心臓がうるさいほど激しく鳴る中で、先程の光景が繰り返し脳内で再生される。

 荒い息の音、喉仏が上下する姿、少し乱れた胸元。

 私はしばらくの間、その体勢のまま動くことができなかった。




 ◇◇◇




 数分後。

 彼が汲んできた冷たい水で布を濡らして、ワンピースの下の汗と汚れをどうにか拭い落とした。


 足には、彼が新しく包帯を巻き直してくれた。

 彼が薬草の軟膏を丁寧に塗ってくれたおかげか、熱を持っていた患部が冷えていく。



「終わったか」

「はい。ありがとうございます」

「それじゃあ、今日はもう寝るぞ」

「わかりました。おやすみなさい、リカー」



 私は麻のワンピースの裾を直してベッドの端に座った。

 リカーは「ああ」と短く答え、部屋の照明である小さなランプの火を吹き消す。

 部屋が、青白い月光だけが差し込む薄闇に包まれた。


 彼はベッドには一切近づかず、部屋の入り口に胡座をかいて座り込んでいた。

 用心棒らしく、長剣は抱きかかえるようにして腕を組んでいる。

 背中を木の扉にぴったりと預けて目を閉じ、静かに呼吸を繰り返していた。


 私は毛布を引き上げ、青白い月光に照らされた彼の横顔をじっと見つめた。

 王宮の門の前で、冷たい雨に打たれていたあの日の記憶が蘇る。



『貴女がこの先大きくなって、いつか戴冠するその時まで。私は決してお傍から離れません』



 毛布の中でギュッと自分の胸の布地を握りしめる。

 胸の奥が、痛いほどに熱い。

 彼のこの狂おしいほどの自己犠牲に、私はどうやって報いればいいのだろう。


 今の私は、彼に守られることしかできない。

 それがひどくもどかしくて、悔しかった。


 私は、彼の静かな寝息を聞きながら、心の中でそっと誓った。


 貴方が私を守り抜いてくれるように。

 私も必ず、貴方の背負った汚名を雪いで、貴方をこの泥の底から救い出してみせる。


 そんな決意とともに、関所街の夜は静かに更けていったのだった。






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