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14. 本気の演技と隠せない赤み

 




 チカチカと白い光が差し込む気配を感じて、私はゆっくりと瞼を開いた。

 起きてすぐ、自分の視界が信じられないほど高い位置にあることに戸惑う。

 真っ青に晴れ渡った、高い秋の空が視界に広がっている。

 太陽は既に頭上高くまで登っており、降り注ぐ日光が心地よい。

 私が起きたことに気がついたのか、砂利を踏みしめていた足音がピタリと止まった。



「――随分とよく眠ったな。もう昼過ぎだぞ」



 すぐ下から聞こえたその声には、隠しきれない疲労の色があった。

 その声にハッとさせられる。

 彼の背中におぶられたのは昨日の午前中だ。

 つまり、私はおよそ一日もの間眠ってしまったということになる。



「……っ! 本当にごめんなさい! 私ったら、ずっと寝て──」

「おい、待て。暴れんな、落ちる」



 私は反射的に彼の背中から降りようと身をよじってしまった。

 すると、私の膝裏を支えていた腕が先ほどよりも強い力で私を固定し直す。



「まさか貴方、一睡もせずに歩き続けたんじゃ……」

「ハッ。スラムじゃ一晩寝ないなんてことはザラなんだよ、気にすんな。……それより、前を見ろ」



 彼に促され、私は彼の肩越しに前方へと視線を向けた。

 険しい山道を下りきった先に広がっていたのは、深い渓谷を塞ぐようにして築かれた巨大な石造りの防壁だった。

 その上には王国の紋章を掲げた旗が風にはためいている。

 そして、その近くを武装した何十人もの兵士たちが行き交っていた。



「あれは……」

「北の辺境へと続く最大の関所街――ガルドガだ。あそこを抜けりゃ、目的のグレイフォールはもう目の前だぜ」



 リカーはそう言いながら藍玉色の瞳を細めると、舌打ちをした。



「……だが、厄介だな。普段の三倍は犬共が配置されてる。おそらくもう、王都からお前の手配書が回ってきてるんだろう」



 私の心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねた。

 関所の門前には、検閲を待つ行商人や馬車の長い列ができている。

 兵士たちは荷馬車の中まで槍を突き入れていた。

 加えて、一人一人の顔を手元の羊皮紙と照らし合わせている。

 あれが手配書なのだろう。


 あの厳重な検閲を、手負いの私を連れた彼が突破する。

 それはどう考えても不可能に思えた。



「リカー、迂回しましょう。あんなところ通れませんよ」

「残念ながら迂回できる道はもうねえよ。ここを越えなきゃ辺境には入れねえ」



 彼はそう言うと周囲の岩陰に身を隠し、私をその傍にゆっくりと座らせた。

 岩の冷たさが、服越しに伝わってくる。



「でも、どうするんですか? 強行突破も難しいでしょう」

「誰が突破するって言った。堂々と正面から抜けるんだよ」



 そういうと、リカーは不敵に笑った。

 そして、自分の着ていた巨大な毛皮の外套のボタンを外しバサリと前を大きく開いた。



「え?いきなり何を──」

「あー。今から俺たちは親の反対を押し切って辺境に逃げようとしている『駆け落ちしたバカ夫婦』になりきる。嫁は雨に打たれて酷い高熱を出してる。一刻も早く医者に見せてやりてえんだ」

「ふ、夫婦っ!? せ、せめて兄妹とか親子とか……っ!」

「それだと髪と目の色が違いすぎてな……。少しくらい無理を通せる夫婦設定の方が色々と都合がいいんだよ。ほら、行くぞ」



 言うが早いかリカーは私に手を伸ばした。

 そして開いた自分のコートの中へと、私を力ずくで引き寄せる。

 そのままお姫様抱っこされる形となった。



「ちょっと!? ま、またですか……!」

「お前、今歩けねぇんだから仕方ないだろ。それにお前の金髪と顔は目立つ。隠すにはこうするしかねえ」



 彼は私を完全に自分の胸の中へと埋もれさせた。

 そして余ったコートの布地で私をすっぽりと包み込む。



「なるべくコートから顔出すなよ、あと声も極力抑えろ。検閲の犬共に顔を見られたら終わりだ」

「でも……」

「いいから俺にしがみついてろ。お前は重病の嫁だ。震えとけばそれでいい」



 もう、逃げられない。

 私は覚悟を決めてギュッと目を閉じると、彼の首に腕をかけ、胸元に頭を寄せた。

 リカーはそれを確認すると、私を抱え込んだまま検閲の列へと歩き始める。


 周囲の喧騒が、少しずつ大きくなっていく。

 商人たちの怒声、馬のいななき。

 そして、ガチャガチャと鳴る無機質な兵士たちの鎧の音。

 私は、彼にしがみつきながら小さく震えていた。



「――次! そこの男、止まれ!」



 鋭い声が響き、リカーの足がピタリと止まった。

 すぐ目の前に兵士の気配を感じる。



「怪しい身なりだな。どこへ行く気だ」

「辺境のグレイフォールまでだ。少し急いでるんだが……」



 リカーの声は、いつもの用心棒としてのドスの効いた低音ではなかった。

 少しだけ焦りと疲労を滲ませたような、ただの男の声音に切り替わっている。



「荷物の検査をする。それと、お前が抱えているその女の顔をあげさせろ。手配書の人相書きと照合するか確認する」



 ガチャリと槍の穂先が突きつけられる音がした。

 私の全身が、恐怖でビクッと大きく跳ねる。



「……ッ、おい、やめろ!」



 その瞬間リカーが私を抱える力を強くし、兵士から顔が見えないように体を捻った。

 そして、まるで猛獣のように兵士に向かって低く唸る。



「うちの嫁は、昨日から酷い熱を出してんだ! 見りゃ分かんだろ、ガタガタ震えてんのが!!」

「だ、だが、規則で顔を……」

「今、冷たい風に当てたらマジで死んじまうかもしれねえんだよ! 早く医者に見せてやりてえ。俺たちはただ、親の反対を押し切って駆け落ちしてきただけなんだよ!」



 リカーの悲痛な、そして妻を深く愛する男の必死な叫び。

 それは、ただの芝居とは思えないほど真に迫った熱量を帯びていた。



「それにこいつの熱は、もしかしたら流行り病かもしれねえ。アンタら、顔見てえなら見てもいいが、息をかけられて伝染っても俺は知らねえぞ」

「そ、それは……!」



 伝染病という言葉に、兵士たちが怯んで一歩後ずさる気配がした。

 リカーはすかさず身体をかがませ、私の耳元に唇を寄せてきた。



「……エクラ。少しだけ咳き込め」



 吐息交じりの命令に思わず顔が赤くなる。

 彼の熱い唇が私の耳を掠め、ゾクゾクとするような電流が背筋を駆け抜けた。



「……ゲホッ、ゴホッ……! ぁ……っ、く……くるし、い……っ」



 私は指示通り極限の緊張と恥ずかしさで熱を持った身体を震わせた。

 彼の腕の中で弱々しく咳き込む。

 本当に顔が真っ赤に茹で上がっているせいだろう。

 私のその姿は、誰がどう見ても高熱にうなされる可哀想な妻そのものになっていた。



「大丈夫。……大丈夫だ、もうすぐだからな。俺が絶対にお前を助けてやる」



 リカーは、周囲の兵士たちに見せつけるように、私の頬にチュッと音を立ててキスを落とした。



「……っ!?」



 ――ビクッ!


 突然の触れ合いに私の心臓が跳ね上がり、本気の痙攣を起こしてしまう。

 だが、その過剰なまでの溺愛する夫の振る舞いと私の震えが、完全に兵士たちの戦意を喪失させた。



「わ、分かった。もういい、通れ! とっとと医者のところへ行け!」

「恩に着るぜ、役人さん! ……さあ、行くぞ」



 兵士の忌々しげな声を背に受けながら、リカーは私を抱え込んだまま重い関所の門をくぐり抜けた。




 ◇◇◇




 門を抜け、関所街ガルドガの喧騒の中へと入り込んだ後。

 リカーは私をコートの中に抱え込んだまま、足早に人通りの少ない路地裏へと向かった。



「……よし。もう大丈夫だ」



 私を包んでいた分厚いコートが開かれ、外の冷たい空気が流れ込んでくる。

 私は彼の胸から解放され、新鮮な空気を求めて大きく息を吐き出した。



「はぁ、はぁ……っ、し、死ぬかと思った……」

「名演技だったぞ、お嬢ちゃん。よくやったな」



 私が上擦った声で言うと、リカーはいつも通りの声音で褒めてくる。

 だが、彼を見上げた私の目はその表情を見て大きく見開かれた。



「リ、リカー?」

「あ?」



 完璧な演技で兵士たちを騙しきった彼の顔は、頬から耳の先まで真っ赤に染まっていた。

 私と同じくらい頬を染めたその表情を無言のままじっと見つめていると、彼はジト目で私を見下ろしてくる。



「なんだよ……その間抜け面、やめろ。俺だってあんな背筋の寒くなるようなセリフ、好きで吐いたわけじゃねえんだよ。全部演技だ、演技。わかるだろ」

「……」

「お前のその赤い顔も熱の芝居だろうが。俺の顔なんか見てねえで周囲の警戒でもしとけ」



 彼は有無を言わせないように早口でまくしたてた。

 そして、返事も待たずに私を抱え直して歩き出す。

 演技。口ではそう嘯いているけれど。

 私を抱えるその腕の力は優しく、熱く、そしてどこかぎこちなかった。


 あの日、私を突き放して王宮を去った憧れの騎士様。

 その彼が十年越しに、こんなにも愛おしい赤面を私に見せてくれている。

 その事実が私の心を深く満たしていく。



「ふ、ふふっ……そ、そうですね。名演技だったと思いますよ、()()()

「ああ、くそっ。茶化すなよ、お嬢ちゃん……」



 私が彼の胸元で悪戯っぽく囁くと、リカーは低く吐き捨て歩調をさらに速めたのだった。







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