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11. 折れた強がりと彼の揺り篭

 




 野営の岩陰を出てから一時間。

 宿場町を出てから、丸一日と少しが経過した、二日目の冷たい朝。

 私の右足はもはや拷問と言ってもいいほどの激痛に苛まれていた。


 ――痛い。痛い、痛い。


 一歩体重をかけるたびに、目の前が白く明滅する。

 昨日ワンピースをちぎって敷いた布も大した意味を持たなかった。


 靴の中は自分の血でぐちゃぐちゃに濡れている。

 血液が乾いては革に張り付き、歩くたびに容赦なく剥がされる。

 その悪夢のような激痛の反復に、頭が上手く働かなくなってきていた。



「……。くそっ……おい、お嬢ちゃん。いい加減――」



 リカーが苛立ちと焦りの混じった震えた声を出しながら、私を振り返る。

 まさに、その時だった。

 痛みを庇い、不自然に浮いていた私の右足のつま先。

 それが、地面から突き出ていた岩の出っ張りにわずかに引っかかった。



「あっ……」



 普通なら簡単に踏みとどまれたはずの、本当に小さなつまずき。

 しかし、私の足は激痛と疲労で完全に感覚を失っていた。

 結果、自身の体重を支えきれずに、ぐらりと横へ折れ曲がる。



「しまっ……!」



 視界が、大きく反転する。

 咄嗟に手をつこうとしたが、疲弊した身体は思考に追いつかなかった。

 私は荒涼とした山道の岩肌の上へ、顔から勢いよく崩れ落ちてしまったのだ。



「……っ、うぅ……っ!!」



 転倒した衝撃で足裏が激しく擦れ、声にならない悲鳴が漏れた。

 あまりの痛みに肺が痙攣し、呼吸が全くできない。

 手のひらや膝にも鋭い石が食い込み、ワンピースの麻布が破れて血が滲む。

 だが、足裏の激痛に比べればそれらは無いに等しいものだった。



「エクラッ!!」



 リカーが弾かれたように私の元へと駆け寄ってくる。

 私の傍に膝をついた彼は、血の気を失った私の顔を見て表情を激しく歪めた。



「おい、しっかりしろ! どこを打った!?」

「だ、だいじょうぶ……。ただ、少し、転んだ、だけで……っ」



 私は地面に手をつき、必死に身を起こそうとした。

 しかし、右足にわずかでも力が入った瞬間。

 脳天を真っ二つにされるような痛みが走り、再びその場に倒れ込んでしまう。



「……」



 私のその明らかな異常を見て。

 リカーの藍玉色の双眸が、恐ろしく静かで、冷たい光を宿した。

 彼は私が動かせずにいる右足へと視線を落とし、ギリッと強く歯噛みする。

 そのまま有無を言わさぬ凄まじい力で、私の右足首をガシッと掴み上げたのだ。



「……っ!? リ、リカー、やめて……っ!」



 私は恐怖と焦りでパニックになり、彼の腕から逃れようと必死に暴れた。

 いやだ。見られたくない。

 血まみれの足を見られたら、私が彼の優しさを無駄にしてしまったことがバレてしまう。



「離してください! 本当に、何でもないんです! 少し休めば、また普通に歩けるから……っ!」

「いい加減にしろ、バカ野郎がっ!!」



 ビリビリと空気を震わせるような、リカーの怒鳴り声。

 山に木霊したその強烈な声に、私はビクッと肩を震わせた。

 彼は荒い息を吐き、絶対に逃がさないという強い力で私の足首を固定する。

 そして、もう片方の大きな手で、私が履いているブーツに手をかけた。



「……っ、あ、やめ……見ないで……っ」



 リカーは私の声に一瞬だけ躊躇うように動きを止めた。

 だが、すぐに覚悟を決めると、血と汗で固まったブーツを乱暴に引き抜く。

 ズチュッという生々しい音が響くと共に、血の匂いが周囲に広がる。


 リカーの動きが、完全に凍りついた。


 私の足は、もはや見るに堪えない凄惨な有様だった。

 彼が買ってくれた白い麻の靴下。

 それは元の面影が全く見えないほど赤黒い血と膿に染まっている。


 擦れて破れたその布の隙間からは赤く腫れあがった肉が見える。

 皮膚が完全に剥がれ落ち、痛々しく空気に晒されていた。


 誰がどう見ても、今日一日の軽い靴擦れでついた傷ではない。

 二日前から血を流し続け、それでも無理やり歩いたことでできた裂傷だった。



「……なんだよ、これ。なんで。なんで、こんなになるまで……」



 ブーツを握りしめたままのリカーの手が、目に見えてガタガタと震えていた。

 彼の瞳が見開かれ、瞳孔が収縮している。

 その視線をゆっくりと移動していく。

 自分が握りしめている牛革のブーツが目に入る。


 そして、すべてを理解した。


 私の足をここまで破壊し歩けなくなるまで痛めつけた元凶。

 それは他でもなく、彼が私を気遣って買い与えたこの靴であるという事実に。



「……アホかよ、お前は」



 喉から血を吐き出すように絞り出した、ひどく掠れた声だった。

 彼は血塗れのブーツを乱暴に放り投げた。

 懺悔するように、私の足首を掴んで嗚咽を漏らす。



「なんで言わなかった! サイズが合わねえなら、痛えなら、どうしてすぐに口に出さなかった……!」

「だって……」



 視界が涙で滲み、彼の歪んだ顔が二重にぼやける。

 喉の奥に固まっていた熱い塊。

 それがせきを切ったように言葉となって溢れ出した。

 指先まで震わせながら、私は泥と血に汚れた地面を強く握りしめる。



「だってっ……リカーが私のために、わざわざ買ってくれたものだったから……っ!」

「……!」

「貴方から貰ったこの靴を……痛いから嫌だなんて、言えるわけないじゃないですか!」



 私の言葉を聞いた瞬間、リカーは弾かれたように顔を上げた。

 その藍玉色の瞳には、かつてない激しい痛みが走っていた。

 私はそんな彼の顔を見て、初めて気がついた。

 私の強がりが彼を深く傷つけてしまったということに。



「……ふざけんなっ!!」



 リカーは激昂し、怒りを一切隠さない瞳で私を睨みつけた。

 だが、その激しい感情は私に対してではなく。

 どうしようもなく彼自身へと向けられているように感じた。



「俺が買ったからなんだってんだ! そんなゴミみたいな安い靴のために、自分の足を腐らせるバカがどこにいる!」

「ごめん……ごめんなさい……っ」

「謝れって言ってんじゃねえ! ……俺がっ!……俺が、そんなに信じられねえのかよ……!」



 彼のその不器用で、ひどく傷ついた響きに。

 私の中で張り詰めていた何かが切れてしまった。


 違う。信じていないわけじゃない。

 貴方に迷惑をかけたくなかっただけ。

 貴方の優しさを無駄にしたくなかっただけ。


 でも、それが結果として彼をこんなにも絶望させ、悲しませた。

 そして、自分自身を歩けなくして、最大の足手まといにしてしまったのだ。



「……う、あぁぁ……っ、うぅっ……」



 私は地面に突っ伏したまま、ついに声を上げて泣き出してしまった。

 足の激痛のせいではない。

 自分の不甲斐なさと、彼への申し訳なさ。

 そして彼がここまで本気で私を案じ、怒ってくれた。

 そのことへの安堵で涙が止めどなく溢れて出してくる。


 リカーはそれ以上、何も言わなかった。

 苦しそうな、痛ましそうな表情をしながらただ唇を強く嚙み締めていた。

 彼は懺悔するように目をきつく閉じ、片手で顔を覆う。

 同時に一つため息をついたあと、小さく呟いた。



「……全部。全部、俺が悪かった。本当に……」



 えぐえぐと子供のように泣く私の頭にそっと手を置き、優しく撫でる。

 どこまでも甘やかすようなその手つきは、かつての騎士と全く同じもので。

 その優しさが、ますます私の胸を突き刺してくる。



「だから、もう、泣かないでくれ。お前が血を流してまで守らなきゃならねえ贈り物なんて、この世のどこにもねえんだよ」



 リカーは一音一音、深い後悔と自責の念を乗せた言葉を紡いだ。

 口を閉ざしたあと、私の頭からそっと手を離す。

 私が履いていたもう片方のブーツも慎重に脱がせて状態を確認していく。

 そして、自身の革袋から清潔な布と、残りの水袋を取り出した。


 冷たい水が、砂埃と血にまみれた傷口を容赦なく洗い流していく。

 ひりつくような痛みに私が小さく肩を跳ねさせると、彼は「……我慢しろ」と今にも泣き出しそうなほど小さな声で低く呟いた。


 そのまま、ひどく慎重な手つきで傷口に軟膏を塗り込んでいく。

 痛む足裏をふわりと清潔な布が包み込んだ。

 最後にぐるぐると包帯を巻かれ、丁寧に止血される。

 その間、彼はただの一度も私と目を合わせず、黙々と贖罪のように作業を続けていた。



「……終わったぞ」



 リカーは余った包帯を革袋にしまった。

 そして、私が履いていた牛革のブーツを拾い上げる。

 そのままそれを、険しい山道の谷底へ躊躇なく放り投げた。



「あっ……」

「あんなゴミ、もう二度と履かなくていい」



 彼は私に止める間も与えず、自分自身を切り捨てるように冷たく言い放った。

 そして包帯を巻かれた私の両足を見て小さくため息をつくと、私の前に背中を向けて片膝をついた。



「乗れ」

「え……?」

「その足じゃ、もう一歩も歩けねえだろ。俺が背負ってく。早く乗れ」



 彼の唐突な提案に、私は涙で濡れた目を丸くした。



「だ、駄目です! 貴方だって連日の寝不足で限界のはずなのに。私をおぶってこの山道を越えるなんて……っ」

「靴もなくてどうやって歩く気だ。いいから、黙って乗ってくれ。……頼む」



 その悲痛さを孕んだ懇願の言葉に、私はもう抗うことができなかった。

 私は震える両腕を伸ばし、彼の広く温かい背中へゆっくりと身を預けた。



「しっかり首に捕まってろ。落ちても拾わねえからな」



 私がこくんと頷くと、彼はゆっくりと立ち上がった。

 自然、私の視界は一気に高くなる。

 口では悪態をつきながらも、私を支える彼の手は傷口に触れないように気遣われていた。


 ――ザクッ、ザクッ。


 彼の力強い足音が、規則的に聞こえてくる。

 その足音と、全身で感じる背中の揺れが酷く心地良く感じる。


 私は彼の首に両腕を回し、その広くて温かい背中に、こつんと額を押し付けた。

 安酒と煙草と、微かな汗の匂い。

 私を安心させる、世界で一番大好きになった匂いだ。



「リカー、ありがとう。そして……ごめんなさい」

「……謝んな、もう寝てろ。お前が起きる頃には、山の麓の街に着くはずだ」



 山の斜面を吹き抜ける風が、熱を持った頬を撫でていく。

 私は彼のコートの襟をギュッと握りしめたまま、ゆっくりと重い瞼を閉じた。

 彼の背中で揺られながら、私の意識は、深い夢の中へと沈んでいく。


 それは、十年前のあの日のこと。

 誰よりも美しく誇り高い英雄であり『白銀の騎士団長』だった彼。

 その彼が『全てを裏切った大罪人』として城を追われた、あの夜の記憶だった。







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