第1話魔女
砂浜の小さな穴から、一匹の海ガニが顔を出した。潮はすっかり引いており、陽の光がさんさんと降り注いでいる。それがどうも気に入らないらしい。だが、餌を探さねばならない。海ガニは穴を這い出し、脚を交互に動かしながら進む。ハサミを振りかざして、まるでこの場所の王者だと宣言しているかのようだ。
海辺まで進むと、目の前に巨大な影が行く手を遮っていた。見たことのないものだ。
海ガニはその巨物に這い上がり、観察を始めた。また打ち上げられたゴミか。いや、海ガニは気づいた——この塊には呼吸がある。巨大な生き物だ。
何であれ、ここは海ガニの縄張りだ。どれほど巨大でも、今は眠っている。縄張りを侵すこの存在は大きな脅威だと感じた海ガニは、奴が目を覚ます前に先制攻撃を仕掛けるべきだと判断した。
「あああああああああ、何かが俺を挟んだ!痛え!」
瞬が飛び起きた。
「このクソガニ!」
海ガニのハサミが瞬の顔を挟んでいた。瞬は慌ててカニを引き剥がし、投げ飛ばした。
海ガニは敗走した。
「クソガニめ、俺が寝てる間に顔を挟むなんて!」
(待てよ……カニ?なんで寮にカニがいるんだ?)
瞬は目をこすり、周囲を見渡した。
波が砂浜を打ち、太陽は高く昇っている。背後には見通せないほどの密林。足元の砂は柔らかく、耳に届くのは波の音と林の鳥の声だけだった。
「俺……ここどこだ?」
瞬が空を見上げると、巨大な多層構造の魔法陣が浮かんでおり、それぞれが異なる色の幽かな光を放っていた。
(あの魔法陣は何だ……夢か……?)
瞬は自分の腕をつねった。痛い。
(夢じゃ……ない。)
「誰かいますか!」
瞬は大声を上げた。
(どうして俺がこんな無人島で目を覚ましたんだ?ここは一体どこだ?あの巨大な魔法陣以外、人の気配は一切ない。あんなに複雑な魔法陣は初めて見た。この島には何か秘密が隠されているに違いない。確かめてみよう。)
瞬は林の奥へと歩き出した。
おお、全知の『マレフィカ』よ、汝は我に、我が追い求める問いの答えを授けられるのか。
林は非常に密生しており、時折、鳥が枝に止まっている。
植物に関していえば、これはごく普通の孤島だった。魔法植物は一本も見当たらず、魔力が驚くほど低いことがわかる。林の中の動物も、よくある虫や時折現れるヤモリ、カナヘビ、カエルくらいのものだった。
瞬は周囲を観察しながら、慎重に進んでいった。
(普通の無人島なのに、あんな魔法陣が空にある。ここには何か秘密が隠されているに違いない。)
しばらく歩くと、木々の数が減り、目の前に巨大なストーンサークルが現れた。その中央には、空中の魔法陣の真下にあたる場所があり、一本の赤い光柱が中央から天へと伸び、空中のすべての魔法陣を貫いていた。
(どうやらここが魔法陣の下のようだ。)
見えない障壁をくぐり抜け、瞬はストーンサークルの内側へと足を踏み入れた。
八つの巨大な石が円を描いて並び、それぞれの石の中央には異なる紫色の記号が刻まれ、淡い蛍光を放っていた。地面にも魔法陣がびっしりと描かれている。瞬は中央の光柱へ向かって歩いていった。
おお、『マレフィカ』よ、最後に、我はこの拝謁を永遠に胸に刻もう。
「人間よ、矮小なる存在が、よくも禁断の地に足を踏み入れたな」
「誰だ?誰が話してる?」
「勇気があるというのなら、その光柱に触れてみよ」
「なんで俺がお前の言うことを聞かなきゃならねえんだ」
瞬はあたりを見回したが、人影は一つも見えなかった。
「魔女の言葉に逆らえる者はいない」
「魔女?お前、魔女と関係があるのか?」
「面白い人間だ」
「どういう意味だ!」
「魔女の言葉に逆らえる者はいない」
「出てこいよ!ネズミみたいに隠れてないで!」
「はははははははは!お前は本当に面白いな。魔女に逆らえる人間に会ったのは初めてだよ」
「お前が本当に魔女なのか?」
瞬にとって、魔女は良いものではない——世界に災厄をもたらし、人間を虫けら同然に扱う存在だ。
「その通りだ」
「お前が俺たちの目にどう映ってるか分かってるのか?なんで俺がお前の言うことを聞かなきゃならん」
「戻りたいんだろ?なら、あの光柱に触れろ」
「魔女の言葉は信じてはいけない」
瞬はその名言を思い出した。
「魔女の言葉は信じられない」
「ならば永遠にこの島に留まるがいい。この島には特殊な結界が張られ、無限の海に囲まれている。お前に逃げ出せるはずがない」
「そんな嘘、信じるか。俺は自分で脱出方法を見つける」
瞬は背を向けて歩き出そうとした。
「待てよ。いい言葉を知っているだろう——『魔女の言うことを聞かねば、必ず苦労する』ってな」
「誰の言葉だよ、聞いたことないぞ」
「俺の言葉だ。教えてやろう。ここは人間が言うところの『ネモポイント』よりも遥かに大陸から離れている。無限の海のど真ん中だ。つまり、ここは大陸から無限に遠い場所なんだ」
「じゃあなんで俺がここに来たんだ?確か寮で昼寝してたはずだ」
「さあな。全知全能の俺をして、お手上げだよ」
「お前の仕業じゃないのか?」
「違う。俺はここに封印されていて、お前と話すことしかできない。最も簡単な魔法すら使えん。おい、早く言う通りにしろ。さもなければ本当に逃げられなくなるぞ」
瞬は長く考え込んだ。
「わかった。信じる。もしお前の言う通りなら、確かに他に手はない」
瞬は赤い光柱のそばに立ち、右手を伸ばした。手が光に触れた瞬間、上空のすべての魔法陣が急速に回転を始め、徐々にすべてが赤く染まった。空もゆっくりと暗くなり、地面の魔法陣はまばゆい白光を放ち、八つの巨石からは紫色のレーザーが発射され、回転する魔法陣に連結した。魔法陣の回転が速まるにつれ、光の輪が瞬の視界を赤一色に染め上げた。
「ははははは、成功だ!成功したぞ!」
次の瞬間、すべての光が一斉に刺すような白光へと変わった。
「あああああああああ、目が!」
瞬はその場に倒れ込んだ。
一時的な失明の後、視界が再び戻ってきた。
先ほどまでの魔法陣はすべて消え去り、巨石の記号も光を失っていた。
「ははは、愚かな人間よ、ついに俺は自由になった……って、なんでお前がまだそこにいる?なぜ俺はお前の体を支配できないんだ!」
「どういう意味だ?封印が解けたのか?やっぱり魔女の言葉を信じるべきじゃなかったんだ」
「まあいい。俺にも分からん。本来ならお前の体は俺のものになるはずだったのに、お前がまだいるとはな。本当に訳の分からん奴だ」
「じゃあどうやってここを離れるんだ?騙して封印を解かせた後はどうするつもりだ?」
瞬の目の前に、白い粒子の集まりが現れた。やがて、それらは白く長い髪と赤い瞳、紫色の法袍に大きな魔法帽をかぶった少女の姿へと変わった。
「改めて自己紹介しよう。私は八大魔女の一人、最悪の魔女——ラスヴィス。もちろん、神崎白夜と呼んでも構わない。そして今、私はお前の頭の中にいる」
「は?マジかよ」
「嘘をつくと思ってるのか?私は最悪の魔女だ。本物だ、偽物じゃない。お前に力を貸してやってもいい」
「で、どうやって戻るんだ?」
「簡単だ。俺が転送魔法陣の描き方を教えてやる。お前にはなかなか魔力があるようだし、これだけ遠距離の転送魔法陣を起動できるだろう」
「でも魔法陣を描くには専用の顔料がいるんじゃないのか」
「ああ、無知な学生よ。あんな顔料は魔力を伝えやすくするための便利道具に過ぎない。俺が顔料なしでやる方法を教えてやろう」
「いいぜ」
「さっさと砂浜に行け」
瞬は砂浜にやって来た。
白夜が手を一振りすると、砂浜に複雑な魔法陣が現れた。
「お前、直接描けるじゃないか。なんで俺に描かせるんだ」
「バカ。俺はお前の頭の中にいる。現実には影響を与えられない。お前が見ている俺も幻だ。この魔法陣はお前が『見えた』と思っているだけだ。さあ、枝を拾ってなぞれ」
瞬は木から枝を折り取り、魔法陣を一つ一つ丁寧になぞり始めた。
(この魔法陣、めちゃくちゃ難しいな。線の間隔が狭すぎる)
「当然だ。何しろ高級な転送魔法陣だからな。この島からお前の寮まで直接飛ばすんだぞ」
白夜は両手を腰に当て、胸を張って誇らしげに言った。
「俺の考えてることも聞こえるのか?」
「もちろん。俺はお前の頭の中にいるんだ。これからは考えることもちゃんとしろよ、へへ」
「終わったな、プライバシーがゼロだ」
「思春期の少年が何を考えようと、普通のことだよ」
白夜は一歩前に出て、瞬に近づいた。
「神崎さん、な……何をする気だ?」
「そんな呼び方やめろよ。白夜でいい。我慢できなくなったら、姉さんが解決してやってもいいぞ」
瞬の顔は真っ赤になり、後ずさりしながら、白夜はじりじりと迫る。
「そ……それって、あ……あの……」
「そうだよ」
「そ、それはちょっと……白夜さん……」
「ははは、冗談だよ。まさか本気にするとはな。やっぱり童貞くんだな」
「それなら、白夜さんは処女なのか?」
「え?!な……」
今度は白夜が赤くなった。
「私、こんなに長く生きてきたのに、まさかまだ……処女なわけ……」
「白夜さん、そんなにどもってるってことは、やっぱり処女なんじゃないですかね」
「バカ!お前が大嫌いだ!」
白夜は瞬に拳を打ち込み、真っ赤な顔で走り去った——と思ったら、そのまま消え去った。
(あれ?どこに行った?)
「そんなこと考えてないで、さっさと魔法陣を描け!」
「あ、そうだ。帰ることが先決だな」
(はあ……なんで俺の周りには暴力女ばかりなんだろうな)
「誰が暴力女だって?ぶっ飛ばすぞ」
「すみませんでした!魔女様、お許しください!」
時は過ぎ、夕方になっていた。日が沈み、空は暗くなり始めている。
「ついに描き終えた!」
瞬は枝を置き、その場に座り込んだ。
白夜が再び瞬の前に現れた。
「遅すぎだぞ。待ってて疲れた」
「で、次はどうするんだ?どうやって起動させるんだ?」
「魔力を魔法陣の線に沿って流せ。魔法陣の隅々まで魔力が行き渡ればいい」
「え?そんなことできるのか?」
「魔法陣全体をイメージして、魔力を導けばいい。魔力で魔法陣を構成できるようになれば、あんな顔料は要らなくなる」
「やってみる」
瞬は立ち上がり、手を差し伸べて魔力を集中させた。
魔法陣の一角が淡い白光を放ち始め、光は掘られた溝に沿って少しずつ広がっていく。最初は一本の線、次に小さな範囲、そして魔法陣全体の半分にまで達した。
「ああ、難しい」
白光が消えた。
瞬は汗まみれで、ひどく疲れているようだった。
「リラックスしろ。お前にできると信じてる。魔力は十分だ。緊張するな」
「よし」
しばらく休んだ後、瞬は二度目の挑戦をした。
今度は複数の白光が同時に広がり、すぐに半分以上の範囲を覆った。
(もう少しだ。あと少し)
白光はさらに広がり、魔法陣の一角で収束していく。
やがて、魔法陣全体が魔力で満たされた。
「よくやった。できると思ってたよ。あとは起動用の魔力を少し注げばいい」
瞬がさらに魔力を放出すると、魔法陣全体の光が広がり、彼を包み込んだ。
気がつくと、周囲の風景は変わっていた——そこは自分の寮の部屋だった。




