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抜き打ちという言葉には、人間の本性を暴き出すという悪趣味な機能が備わっている。
教育という名目のもと、生徒のプライバシーを白日の下に晒す突然の持ち物検査などは、その最たる例だ。
ある種の生徒にとって、この合法的なガサ入れは社会的な死を意味する。例えば、表向きは学園の王子様として君臨しながら、カバンの中に大量のファンシー要素を隠し持っている剣道部主将などにとっては。
朝のホームルームの終わり際、担任が教室のドアを閉め、無慈悲な宣告を下した。
「よし、今から持ち物検査を行う」
教室がざわつく中、俺の前の席に座る剱嵜さんの背中が、ピクッと硬直するのが見えた。
「……どうしよう、國木田」
剱嵜さんが、振り向きながら小声で助けを求めてきた。
こっそりと俺に見せてきた彼女のカバンの中には、パステルカラーのウサギやクマが描かれた、破壊的なまでに可愛らしいアイシングクッキーが入っていた。
しかも透明なラッピングが施されており、一目見ただけでそれが『カワイイ』代物であることは疑いようがない。このままでは彼女のクッキーが先生に見つかり、クラスメイトに晒されてしまう。それはつまり、彼女の王子様キャラの崩壊を意味した。
「いっそ、堂々と見せてみる? 『剣道の厳しい稽古を乗り切るための、糖分と可愛さのハイブリッド補給物資です』って」
「馬鹿言え! そんなこと言ったら、私の王子様ブランドが粉々に砕け散る!」
「ですよねー」
「頼む、お前のカバンにこれを一時避難させてくれ……!」
担任が前の席から順番にカバンの中身を確認し始めている。
俺は小さくため息をつき、剱嵜さんが机の下で差し出してきたクッキーを受け取ると、自分のカバンの中へと移した。
「……よし、次、剱嵜」
担任が剱嵜さんの机の前に立つ。
「はい。特におかしなものは入っていません」
彼女は完璧なイケメンスマイルでカバンを開けて見せた。中には教科書とノート、そして剣道着の入った袋だけだ。担任は満足げに頷き、次の俺の席へと移った。
「次、國木田。……ん?」
担任の眉がピクリと動いた。
俺の地味な黒いカバンの底で、パステルカラーのウサギとクマがファンシーなオーラを放っているのだから、当然の反応だろう。
「國木田……お前、これはなんだ?」
担任が、ウサギのアイシングクッキーを指差して尋ねる。
教室中の視線が俺に集まったのを感じた。斜め前では、剱嵜さんが息を呑んで硬直している。
俺は、一切の表情を崩すことなく、担任の目を見据えて答えた。
「アイシングクッキー。非常食です」
無表情のまま、淀みなく教師を論破する。
「……ひ、非常食? この、ピンク色のウサギが?」
「ええ。茶道部の活動において、深刻な糖分不足に陥った際、視覚的な癒やしと物理的なカロリーを同時に摂取できるよう最適化された携帯用レーションです。何か校則に違反していますか?」
俺の堂々とした態度に、担任は一瞬言葉を失った。
「……い、いや、違反はしていないが……お前、そういう趣味があったんだな……」
担任は微妙な顔で俺のカバンから目を逸らし、「よし、次!」と逃げるように隣の列へと移っていった。
教室に奇妙な静寂と「國木田って案外可愛いところあるんだな」というヒソヒソ声が広がる。
俺は静かに目を閉じ、自分の平穏な学生生活の何かが少しだけ削り取られたのを感じた。
◆
放課後の茶室。
シュンシュンと湯が沸く音が響く中、俺は柄杓でお湯を掬っていた。
目の前の畳では、無事に持ち物検査を切り抜けた剱嵜さんが、俺のカバンから救出されたアイシングクッキーを大事そうに抱えている。
「……今日は本当に助かった。お前がいなかったら、私は今頃クラスの女子たちから『kawaii王子』という不名誉な称号を与えられていたかもしれない」
「その代わり、俺が『ウサギのクッキーを非常食にしてるヤバい奴』って認識されたけどね」
「犠牲はつきものだ。それに、お前が無表情で『非常食です』って言い切った時の先生の顔、最高だったぞ」
剱嵜さんはクッキーの袋を開け、ピンク色のウサギを躊躇なく真っ二つに割って口に放り込んだ。
「……んんっ、甘い! アイシングのシャリシャリ感がたまらない……!」
いつものように、姿勢を保つ糸が切れてぐにゃりと溶ける王子様。俺は点て終わった少し渋めの抹茶を、彼女の前に滑らせた。
「ほら、お茶」
「……ありがと」
剱嵜さんは茶碗を受け取り、一口飲んで息を吐く。
そして、茶碗を持ったまま、悪戯っぽい目で俺を見た。
無事に助けられた彼女が、俺に向けて不敵に笑う。
「國木田、今日はありがと。本当に助かった」
剱嵜さんはにっこりと笑ってお礼を言い、目を細める。その表情はイケメンでもあり、美少女でもあった。
真正面から受け止めるにはあまりに強すぎるビジュアルに、思わず顔が赤くなるのが分かった。
半分から更に半分に割られたクッキーを差し出され、俺は渋々それを受け取る。
「……別に。ただの共犯だよ。ここでお菓子をこっそり食べて、剱嵜さんのキャラを守るのに協力してるだけだから」
「うんうん。楽しいよねぇ」
「けどさ、なんでそんなに気にするの? 別に甘いものや可愛いもの好きだって思われても良くない?」
剱嵜さんは俺の純粋な質問に、クッキーを口元に運ぶ手をぴたりと止めた。
「いやー……私のお父さんが剣道の師範で厳しくて。『武士たるもの毅然とせよ』って小さいころから言われてさ。女子っぽいパステルカラーの物とか買ってもらえなかったんだ。甘いものは和菓子でギリギリセーフ。洋菓子はアウト」
「えぇ……」
「本当さ、なんでも白か黒なんだよね」
「すごいね……」
「そう。だから外で可愛いものとか、甘いものとか、そう言うのが好きっていうのは出せなくて……家だとバレたら怒られちゃうから学校でこっそり食べてたんだけど……」
そこに俺が鉢合わせた、ということらしい。
「なんというか……大変だね」
「ま、もう慣れたけど。変だよね」
「変だよ、すごく変」
「ふふっ、ハッキリ言われちゃった」
「けど……そういうことならもっと協力するよ。前向きに。前向きな共犯だね」
「前向きな共犯……いいじゃん」
この人は王子様なんかじゃない。なんて面倒で、可哀そうな人なんだろう、と思った。俺は小さくため息をつき、自分の分の茶を点て始める。
少なくとも、この甘ったるい匂いが充満する茶室で、同情を抜きにしても彼女との共犯関係を楽しんでいる自分を否定することはできそうになかった。




