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【完結】身代わり奴隷、公爵令嬢の仮面を脱いだら大公に執着溺愛されました  作者: Megumi


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38.お父様

 誰もが言葉を失い、ただセリーヌの宣言の重さを受け止めるので精一杯でいた。


 最初に動いたのは、ロランだった。


「——待ってください」


 その声は、かすかに掠れていた。

 セリーヌの隣から一歩前に進み出たロランは、皇帝に向かって深く頭を下げた。


「陛下。どうか、彼女の証言を訂正させてください」

「許可する」


 皇帝は鷹揚に答えながらも、内心ひどく驚いていた。

 ロランのことは幼い頃から可愛がってきたが、こんなにも余裕のない姿を見たのは初めてだったのだ。


「先ほど、妻は私が彼女の出自を知らなかったと申しました。ですが、それは事実ではありません」


 会場に、再びざわめきが広がった。


「私はとうに知っていました。彼女がクロエ・フォークナーではないことを。知っていながら、陛下にご報告することなく、妻として受け入れた。——それもまた、皇族を欺いたも同然の行為です」


 ロランは頭を上げると、まっすぐに皇帝の目を見据えた。

 その赤い瞳には、燃えるような覚悟が宿っている。


「もし彼女を裁くというのなら——私も共に、裁いていただきたい」


 その言葉に、誰もが息を呑んだ。


「ロラン……っ」


 セリーヌの声が、震えた。

 反射的に腕を伸ばし、ロランの袖を掴む。


「何を、おっしゃっているんですか。あなたは被害者です。私は最初から、あなたを騙して……」

「騙されてなどいない」


 ロランはセリーヌを振り返ると、場違いなほど柔らかな笑みを向けた。


「俺は、すべてを知った上で君を愛した」

「っ……だからって!」


 セリーヌは声が震えるのも構わず、叫ぶように言った。


「あなたには、何の落ち度もありません。私が勝手にしたことで、ロランまで……そんな……」


 あまりにも受け入れがたいロランの主張に、セリーヌの言葉が途切れる。


「絶対に離さないと、言っただろう?」


 ロランはそんなセリーヌを慰めるように、そっと頬を撫でた。

 いつもと変わらない、優しい仕草。

 しかし、状況はあまりにも日常とはかけ離れている。


「俺は、君の運命を共に引き受けると決めた。それは、俺自身が選んだことだ。大公としての立場も、帝国の法も——今この瞬間、俺を止める理由には、何一つならない」

「……ロラン」


 セリーヌの視界が滲んだ。

 彼を守りたかった。彼に何も犠牲にさせたくなかった。

 だというのに——この人は、自分のために、何もかもを投げ出そうとしている。


「君を失うくらいなら」


 ロランは声を低くすると、セリーヌにだけ聞こえる声で言った。


「最期まで共にありたいんだ」


 その言葉が、セリーヌの胸を深く刺した。

 その時——


「あの女は命を持って償うと、自分でそう言ったのよ! いつまでもぐずぐずしないで、さっさと捕えなさい!」


 ラリサの甲高い声が、神聖な空間を切り裂いた。

 衛兵に腕を掴まれながらも、その顔には狂気じみた笑みが浮かんでいる。

 セリーヌへの憎悪が、彼女を完全に支配していた。


 衛兵たちの視線が、皇帝へと向く。

 エリックは止めろと言うが、陛下は動かない——

 実の息子のように気にかけているロランの手前、命令が下せずにいるのか。

 混乱の中で、そう判断した衛兵の一人がついに動いた。


「——っ」


 セリーヌの腕が掴まれ、床に押さえつけられる。

 冷たい石畳の感触が、頬に当たった。

 胸が圧迫され、呼吸が浅くなる。


 セリーヌは抵抗しなかった。

 ただ、すべてを受け入れるように、静かに目を閉じた。


「離せ!」


 ロランが即座に動こうとした。

 しかし、衛兵が四人、五人とその行動を阻む。

 ロランは衛兵を押しのけようとするが、人数の差はいかんともしがたく、彼女に手が届かない。


「止めろと言っているだろう!」


 常に温厚な笑みを浮かべている普段のエリックからは、想像もつかないほどの険しい表情だった。

 その声には皇子としての威厳がこもっており、衛兵たちの動きが一瞬鈍った。


「——そのまま拘束しておきなさいよ!」


 ラリサが甲高く叫び、衛兵たちがまた揺れる。

 混乱が、頂点に達しようとしていた。


 その時——


 大聖堂の扉が、ゆっくりと開いた。


 外からの眩しいほどの陽光が差し込み、人々が一斉に振り返った。

 扉の前に立っていたのは、壮年の男性だった。

 アッシュブロンドの髪に、どこか悲しみをたたえたグレーの瞳。


「……ソフィア?」


 シンプルながら上質な外套を纏ったその人物は、床に押さえつけられているセリーヌを一目見るなり、大股で駆け寄っていった。


「ヴィクトール様!?」


 ルヴァニア国王の名代が、息を呑んで声を上げた。

 しかし男——ヴィクトールは、その声にも、周囲の視線にも、まるで気づかなかった。

 ただひたすらに、床に押しつけられているセリーヌだけを見ていた。

 まるで、幻を見ているかのような目で。


 その様子を、セリーヌもまた見つめていた。

 アッシュブロンドの髪。自分の髪と、同じ色。

 名代が呼んだ男の名前が、頭の中で反響する。


 ——ヴィクトール。


(……もしかして)


 エリックが、以前言っていた言葉が蘇った。


 ——セリーヌに贈りたいものがある。だが、それは準備ができてからのお楽しみだ。


 彼の言っていた贈り物が、“物”ではなく、“誰かとの時間”だとしたら。


「……お父様?」


 思わず、声が漏れた。

 確証があったわけではない。

 ただ、胸の奥から、自然とその言葉が溢れ出た。


 その声を聞いた瞬間、ヴィクトールの目から、とめどなく涙が溢れ出た。


「娘を……離してくれ」


 震える声だった。

 見るからに高貴な身分の、しかし身元の分からぬ男の言葉に、衛兵たちは戸惑い、顔を見合わせる。


「——早く手を離せ」


 エリックが、静かに命じる。

 その命令に背中を押されるように、衛兵たちが今度は即座に従った。


 拘束が解かれた瞬間、セリーヌはおぼつかない動きで身体を起こそうとした。

 しかし、セリーヌが起き上がるよりも早く、ヴィクトールの手が肩に触れた。

 大きくて、温かい手だった。


「っ……」


 助け起こされたセリーヌは、その手の温もりに、言葉を失った。

 何かを言わなければ。

 そう思いながらも、セリーヌが言うべき言葉を見つけられずにいると、力強い腕に抱きしめられた。


「ああ……」


 ヴィクトールの声は、震えていた。


「ソフィア。ソフィア……君は私に、こんなにも素敵な贈り物を遺してくれていたんだな……」


 それは、亡き恋人に語りかけるような声だった。

 セリーヌに向けているのか、それとも遠い日に死んでいった女性に向けているのか——おそらく、両方だった。


 セリーヌは、その腕の中で動けなかった。

 生まれて初めて、父親に抱かれた。

 孤児院の薄暗い部屋で、誰に届くわけでもない問いかけを繰り返していた夜のことを思い出す。

 自分はどこからきたのか。誰の子なのか。望まれて生まれてきたのか——その答えが、今ここにあった。


「……っ」


 セリーヌの目から、涙が溢れた。

 堪えようとしたが、もう止められなかった。


「……素晴らしい」


 静寂の中、それまで静かに成り行きを見守っていた皇太子の、落ち着いた声が響いた。

 彼はルヴァニアの名代に一礼すると、自分の隣に立つ王女に視線を向けた。

 王女は目に涙を浮かべ、父娘の抱擁を見守っていた。

 皇太子がその手をそっと握ると、王女は皇太子の目を見て小さく頷いた。


「今日この場で、二つの結びつきが生まれました」


 皇太子の声は、穏やかだった。

 しかし、確かな力があった。


「我々帝国とルヴァニア王国の婚姻。そして——長年引き離されていた、親子の再会」


 誰もが、その言葉に耳を傾けた。


「これほど私たち夫婦の門出に相応しい日が、他にあるでしょうか」


 皇太子は、ヴィクトールとセリーヌを見て微笑んだ。

 その目には、心からの祝福が宿っている。


「……今日という日に、両国は単なる政略の縁ではなく、真の絆で結ばれたのだと——私はそう確信しています」


 隣の王女も、凛然と告げる。

 そんな二人の言葉に、参列者たちの空気が、ゆっくりと変わっていった。


 誰かが小さく拍手をした。

 それを皮切りに、次第に手を叩く音が広がっていく。


 そんな光景を尻目に、皇帝はルヴァニアの名代に向かって素早く歩み寄った。

 その顔は青ざめていたが、表情を整えながら低く告げる。


「……この件については、改めて正式な謝罪と誠実な対応を約束する。どうか今は、両国の慶事として——」


 名代は無言で皇帝を見つめ、それから温かな空気に包まれた父娘に視線を移す。

 せっかく収束しかけている事態を、再び蒸し返すのは得策ではない。

 そう判断し、静かに頷いた。


「……これ以上この場で争うことは、我が国にとっても本意ではありません」


 そのさなか。エリックは静かにラリサへと歩み寄った。

 会場の視線は、セリーヌとヴィクトールに釘付けになっている。


「行くぞ」


 エリックが低い声で促すと、ラリサは生気の抜けた顔をゆっくりと上げた。

 しかし、その目はエリックを見てはいない。


「……なぜ」


 ラリサは、力なく呟いた。

 あれほど燃えたぎっていた狂気も激情も、もはやそこにはなかった。


「なぜ、あの女なの……? どうして誰も、私を愛してくれないの……」


 誰にも答えを返されないまま、ラリサは静かに、扉の向こうへと消えていった。

 大聖堂に残ったのは、二人の泣き声と、祝福の音と。


 それから——暖かな、春の気配だった。


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