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第八章:帰還の決意と王都の再会


 それから数ヶ月が経ち、ミルフェの町には爽やかな秋風が吹き抜けていた。

 エリゼとの文通は、月に一度、信頼できる商人の手を通じて密かに続けられていた。彼女からの手紙は、いつも王宮の何気ない日常や私を気遣う言葉で溢れており、それを読むたびに、私の心の中で「ある決意」が少しずつ形を変えて膨らんでいった。


 私は相変わらず『木漏れ日亭』の女中として忙しく働いていたが、私の懐には、自分で汗水垂らして稼いだまとまった額の貯金と、エリゼから届いた大切な手紙の束が保管されていた。


 ある夜、私は久しぶりに部屋の床に他国の地図を広げた。

 かつてこの地図を開いたときは、王都から一日でも早く「遠ざかる」ためのルートを、血眼になって探していた。けれど今、私の指先がそっとなぞっているのは──王都ドゥランシルへと、真っ直ぐに向かうための街道だった。


(私はもう、何かに怯えて隠れる必要はない。なら、自分の足で、私の人生を取り戻しに行こう)


 翌朝、旅支度を整えて一階へ降りていくと、私の姿を見た主人が寂しそうに眉を下げた。常連の冒険者たちも、私の荷物を見て心なしか元気がなくなっている。


「リル、本当に言っちまうのかい?」

「ええ。マスター、今まで本当にありがとうございました。ここでの生活は、私の人生で一番温かい時間でした。皆さんのおかげで、私は自分自身を取り戻せたんです」

「訳ありなのは最初から察してたがよ……。何かあったらいつでも帰ってきな。お前の席と、美味いスープはいつでも用意しておくからな」

「ふふ、ありがとうございます。でも、大丈夫です。もう私は、何からも逃げません。自分の意志で、前に進むために戻るんです」


 私は、茶色く染めていた髪を、本来の美しい「銀髪」へと戻していた。悪役令嬢の象徴だと呪っていたその髪は、今や私が自分の力で生き延びた証、誇るべき自分自身の色だった。


 数日後。私は数ヶ月ぶりに、ドゥランシル王国の王都の土を踏んだ。

 かつて大雨の夜に泥まみれで逃げ出した時のような悲壮感は、もう微塵もなかった。手配されていた馬車に乗り、厳重な手続きを経て、私はかつて暮らした広大な王城の庭園へと足を踏み入れた。


 大理石の回廊を抜けた先、見事な真紅の薔薇が咲き誇る中庭で、一人の少女が熱心に鋏を握って手入れをしていた。純朴で、どこか可憐な雰囲気を持つその姿。


「……エリゼ」


 私が静かにその名を呼ぶと、彼女はハッとして振り返った。私の姿を視界に捉えた瞬間、彼女の大きな瞳にみるみるうちに涙が溜まっていく。


「アリゼ様……! 本当に、本当に帰ってきてくださったんですね……!」


 エリゼは鋏を放り出し、ドレスの裾が汚れるのも構わずに走り寄ってくると、私の体に強く抱きついた。小さな体から伝わる確かな温もりと、ほんのりと香る薔薇の匂いに、私の胸が熱くなる。


「ごめんなさい、エリゼ。挨拶もせずに突然いなくなってしまって……たくさん心配をかけたわね」

「いいえ、いいえ……! あなたが無事で、こうして私の目をまっすぐ見て笑ってくれる。それだけで、私はもう、何もいりません!」


 その日の夕方、私は王城の執務室で、王太子イザイア様とも正式な再会を果たした。

 彼は以前よりも精悍な顔つきになり、相変わらず山積みにされた書類を片付けながら、私を温かい眼差しで迎えてくれた。


「よく戻ってきてくれた、アリゼ。君の身の安全と名誉は完全に回復している。公式には、君は公爵家の陰謀をいち早く察知し、それを王家に報せるために身を隠して動いていた『功労者』ということになっている。君のこれからの人生の償いとして、君が望むなら新たな爵位を与えよう。例えば、君が過ごした町の名をとって『ミルフェ女男爵』として、自立した領地を持つのはどうだ?」


 それは、元貴族令嬢としてはこれ以上ない、名誉ある自立の提案だった。しかし、私は静かに、けれど毅然と首を振った。


「いいえ、イザイア様。ありがたいお話ですが、私はもう、高貴な血筋や爵位という肩書きに縛られたくはありません。私はただの『アリゼ』として、この国で自分の力でできることを見つけ、平民の方々の役にも立ちたいのです。ミルフェでの暮らしで、私はそれを学びました」

「……ただのアリゼ、か。君らしいな。あの夜、私に『ゲームの世界だ』と言い放った時の強さを思い出す」


 イザイア様は降参したように苦笑し、しかしその瞳には、かつてのような冷徹さはなく、一人の自立した女性への深い敬意が宿っていた。


 こうして私は、爵位ではなく、王宮の知識層が集まる『王立中央図書館』の職員としての身分を与えられた。政治の表舞台からは完全に退き、しかし自分の意志で新しい未来を築くための、確かな一歩を踏み出したのだった。


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