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最終章:新たな物語と断罪されない未来


 王都へ戻り、王立中央図書館の司書として働き始めてから、数年の歳月が流れた。


 私の生活は、かつて誰もが羨んだ公爵令嬢のそれとは大きく異なっていた。きらびやかな夜会に出席することもなく、身に纏うのは動きやすいシンプルな仕立ての司書服。毎日、重い古書を運び、書架の整理に追われる日々だ。

 けれど、この静かな図書館こそが、私の新しい戦場であり、居場所だった。


 私はここで、単に本を管理するだけでなく、前世の知識とミルフェの町で得た経験を活かし、ある大きな試みを始めていた。それが、農村の子どもたちや平民の女性を対象とした「巡回文庫」と「夜間教育」の制度だ。


「アリゼ先生! この前貸してもらった本、全部読めました! 次の本、ありますか?」


 昼下がりの閲覧室に、元気な足音が響く。やってきたのは、近所の職人の息子である小さな男の子だ。かつての王宮であれば、平民の、それも泥のついた服を着た子どもが私に近づくことすら許されなかっただろう。


「まあ、もう読んでしまったの? 偉いわね。じゃあ、次はお野菜の育て方が優しく書いてあるこの本にしましょうか。お父さんのお手伝いにもなるわよ」

「わぁ、ありがとうございます!」


 男の子が嬉しそうに本を抱えて走っていく姿を見送りながら、私は胸の奥が温かいもので満たされるのを感じていた。

 かつてゲームの中で「悪役令嬢」と呼ばれた私は、誰の心にも残らない、ただ排除されるだけの存在だった。けれど今の私は、自分の意志で、誰かの未来を照らす光になることができている。


 週に一度、休館日には、王宮の奥にあるプライベートな温室で、エリゼとお茶を飲むのが定例の習慣になっていた。

 エリゼは王太子イザイア様と正式に結婚し、今は民から絶大な支持を集める聡明な王太子妃となっていた。


「アリゼ様、今期の巡回文庫の予算、イザイア殿下にお願いして少し増やしていただきましたよ。あなたが提案してくださる教育改革は、本当に国の未来を変える素晴らしいものですから」


 エリゼは楽しそうに笑いながら、私のお気に入りのアールグレイの紅茶を淹れてくれる。


「ありがとう、エリゼ。でも、あまり無理はしないでね。私はただ、かつての私のように、孤独や無知のせいで間違った道を選んでしまう人を、一人でも減らしたいだけなの」

「ふふ、アリゼ様は本当にお強い方です。あの時、あなたが王宮から逃げ出してくださらなければ……私は今でも、あなたと傷つけ合わなければいけない『運命』に怯えていたかもしれません。あなたが逃げてくれたから、私たちは本当の友達になれたんです」


 エリゼのまっすぐな言葉に、私は微笑み返した。

 ゲームのシナリオという見えない壁を壊したのは、あの夜、私が窓から飛び降りた、たった一歩の勇気だったのだ。


 その年の冬。私は図書館の仕事の合間に書き進めていた一冊の小説を、市井の小さな出版社から自費で上梓した。

 平民の子どもたちでも読めるよう、分かりやすい言葉で書かれたその童話のような物語の表紙には、誇らしげにこうタイトルが刻まれていた。


『悪役令嬢ですが今回は逃げました』


 中身は、運命に縛られた一人の少女が、檻を飛び出して世界を知り、自分の居場所を見つけるまでの冒険譚。かつて私が辿った、泥臭くて美しい逃亡の記録。


 その日の夜。

 私は自著を愛おしく撫でたあと、自宅のベランダに出て、冷たく澄んだ夜空を見上げた。頭上には、あの大雨の夜には見えなかった、満天の星々が瞬いている。


(……あのとき、もしプライドにしがみついて、逃げ出さなかったら)


 私は今頃、冷たい地下牢の隅で、冷え切ったスープを前に自分の境遇を呪い、エリゼへの醜い嫉妬の火を燃やし尽くして一生を終えていたかもしれない。

 けれど、私は逃げた。恥も外聞も捨て、悪役の看板を投げ打って、泥にまみれて走り続けた。


「逃げることも、戦うことと同じくらい、勇気がいることだったのよね」


 風が、私の銀色の髪を優しくなでて通り過ぎていく。

 悪役令嬢の物語は、あの日、王城を出た時に幕を閉じた。

 そして今、私の目の前に広がっているのは、私が自分で白紙のページをめくり、紡ぎ続けていく──優しくて、どこまでも自由な、私だけの新しい物語だ。


THE END

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― 新着の感想 ―
アリゼが本当はどこまで罪を犯していたのか、王家との関係はどこまで知らされたものだったのか。 騎士が追いかけてきて、罪を認めろと言っていたのに、王太子が来た時には見逃される。 そのへんがわかりにくかった…
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