16
次の日の朝。
レスターは身支度を調え、ザテリーテン城を背にして立っていた。
雲一つない空の下で、跳ね橋の上で羽を休めていた小鳥が、親鳥の背中を追って飛んでいく。
「ヒール1で三軍神……浄化の旅かあ……」
レスターは独り言つると、名残惜しげに城を後にした。
別れ際、レスターはヴァルターにお願いをして、人魔族が記した歴史書を借りられないか頼んでいた。本の虫であるレスターが旅の途中で読む為である。
結果、ザテリーテン興亡記第三巻の複写本を貰うことができた。
これで旅の楽しみも増えたというものだ。
服も新調して貰い、古い服は処分して貰った。
旅をするには荷物は少ない方がいい。鉄則だ。
「ルントラ湿地帯……ルントラ湿地帯っと……」
青い空の上に地図を広げて、レスターはザテリーテン王国の領土を俯瞰しながら、目的のルントラ湿地帯の名を地図上で探す」
「東ソーレンセン地方の末端、カルナフ森林を抜けたナメル山を越えた先よ、途中にネブラ瀑布があるから、時間があればいきましょう」
ミルヒに言われた先の地名を追っていくと、確かにあった。
中央ソーレンセン地方、ルントラ湿地帯。中間地点にミルヒが言うネブラ瀑布もある。
ともあれ目的地は今いるカリーサ段丘から直線距離で百キロほど離れているように見えた。
ミルヒが言うように、今いるザテリーテン城の前からでもうっすらとナメル山を視認することができる。
「諄いようですが、ザテリーテン王国は広いのです」
ヴァルターの言う通り、地方と冠がつく場所が少なくとも十三か所もあった。
昨日見た絵にもそんなふうに描かれてたな。
しかも街もある。海にも面しているのか。
時間があれば、見てみたいな――なんてね、って???
「――見送りして貰ったのに、何でついてきてるの!」
レスターの後ろをしっかりと、ミルヒとヴァルターが歩いていた。
ちゃっかり助言までしちゃって一体どうなってるんだ。
「アルナイル一人だと、ノーマル・デーモンにも手を拱きそうだからねえ。そういうときは私の出番。腕がなるじゃないの」
ミルヒは相変わらずのロングコートの軍服だが、唯一違うのは踵のあるブーツが、歩きやすいように平らになっていたことぐらい。
ってか、どう考えても一緒に行く気満々じゃん。
さては昨日から準備してたな。
ヴァルターは荷物持ちと言ったところか。
「本件については私から御説明させていただきます」
な、何だ急に。
ヴァルターが急に真面目になった。
いや、出会ったときから、完璧な家令だったわけなのだが今回はまるで様子が違った。
「誰とは申しませんが、ここ数百年の間、朝になると書類整理を私に任せて城を抜け出し、昼になったと思えば、鍛錬だ何だでノーマル・デーモンの討伐に行くと言い、夜遅くになって一通り終わったところで帰ってくる毎日なのです。戦いたくて仕方がない性分なのです。尚、王国の実務、治安維持については、私以下、第一執事を筆頭に家臣が責任を持って取り仕切っておりますので御安心ください」
「随分とザテリーテンさんはリア充してるのですね……」
「馴染みのない言葉ですね、私達にも教えていただけますか?」
「やりたいことをやって毎日を生きることを転じて、現実が充実してるって言うんだよ。略してリア充って具合にね」
「そうすると私はリア不とでも言いましょうか……ああ、労しい私……」
「まあ、何と言いますか……想像出来てしまって怖いです。すみません」
「いえいえ、そう言っていただけるだけで私は十分であります」
レスターとヴァルターは二人で笑い合った。
「魔王を出しにするとは随分といい身分ですねえ、ヴァルター・R・アルギエバさん。それにこれは領土視察よ、領土視察!」
ミルヒが二人の間に割り込む。
「罰として私の荷物を持ちなさい」
「お言葉を返すようで恐縮ですが、既に私が全てお持ちしております」
ヴァルターはまるで山に行くような重装備に比べ、ミルヒは三種の魔器以外殆ど手ぶらだった。ってか少しは手伝ってあげようぜ……。
「でしたら家臣に駕籠を用意させなさい、それで全てが解決ね」
何を言いだすかと思えば……。
レスターは開いた口が塞がらない。
「そんなことをすれば、民への信頼も地に落ちるのは分かっているでしょうに……ああ、亡きクロード様もさぞお嘆きでしょう」
「今のは私なりの冗談です! 真面目に受け取らなくていい!」
ミルヒは怒って地面をぐりぐりしてる。
「はて……ミルヒ様が今迄御冗談を遊ばされることがありましたでしょうか」
ヴァルターはとぼけ、ミルヒは顔を赤らめた。
「人間は日々の会話で常に冗談を言い合う種族だと、興亡記の七百二十五ページで読んだからよ。嘘だと思うなら見て見なさい!」
ミルヒは何故か威張って見せた。
つうか五百年前の文献の、冗談の下りがある下り、すんげえ気になる。
取り敢えず言われた箇所を読んでみた。
確かに書いてあった。理由は分からないが。
あったけど――しかし何故?
「そしたら俺も何か考えないとだよなあ……」
レスターは自分も言わなきゃいけない衝動に駆られ、
「そんなに歩きたくないなら、俺が負ぶるけど……」
と言う始末の悪さときた。
「なっ……!」
「昨日の戦いで疲れがとれてないのかなって思ってさ。って言っても俺に出来ることそれぐらいしかないし……迷惑かけっぱなしだからさ」
レスターは真顔で言った。
女性付き合いの殆どないレスターならではの発言である。
勿論これは冗談だ。
だが、ミルヒはそんなことなど知る筈もなく、
「誰が人間なんかに……って、何で私がアルナイルに負ぶられないといけないのよ!」
真っ赤にしながらカンカンだ。
「何分、女性とこうして話をまともにするのも久しぶりなのでね。どう俺も冗談言っていいか分からなくてさ……ごめん。でも元気になったなら良かったよ」
「アルナイルも冗談だなんて……恥ずかしいじゃないのよ。でも、ザテリーテン興亡記も……満更ではないのね。少し疑っていたこともあったけれども、史実通りで嬉しいわ」
怒ったかと思えば、今度は頬を落ち着いた赤に染める。
んな習慣ねえしと言えたけれども、流石に言わない。夢は夢のままでいいときもある。
「ミルヒ様に茶々入れは厳禁ですぞ。千四百歳付近は人魔の人生の中でも最も脂の乗った良い年頃なのですから」
「いやいや、ヴァルターさんも言ってた気が……って、千四歳って人間で言うとどれぐらいの年なんですか」
「大分ざっくりですが、実に六十五――」
「マジですか……」
はははと笑うことしか出来ないレスターに、
「冗談ですよ、レスター君。君とさほど変わりません、いい年頃ですね。契りを交わし、婚約もし初めても良い頃です――ああ私もミルヒ様のときはとても楽しい思い出が――」
何てレスターはぼそぼそすると、ミルヒが咳払いを大きくした。
ヴァルターが謝るも、二人は言い争いに入ってしまう。
荷物を自分で持つからと言ってきかないミルヒと、家令として全てを担うと引かないヴァルターの攻防である。
何とまあ忙しい人達だ。
でも何で普段から冗談言わないのに、言ってきたんだろう?
何かあるのかな。それとも――今はいいや。
一人でいるより誰かと一緒に旅が出来る楽しみが優先といこう。
刺激ある楽しい旅になりそうだなあ。
レスターは気分上々に地図を広げながら、麓の街へと歩みを進めた。




