11話 隣の芝
「卓球がいいな。バレーとか体育でしかやったことないし、自信ないもん」
6限のホームルームは長引いていた。
崩れた席順に便乗し、彩は私の席まで自分の椅子を持ってきて黒板を見つめている。
「私も、あんまり得意じゃないよ」
バレーは私も体育でやったきりだ。ただ上に上がるだけのレシーブができる程度だった。
女子もバスケなら良かったのに。
「良かった。ゆかりと一緒に卓球がいい」
特別大きな声でもなかったのに、彩の声は嫌に響いた。女の子たちの視線が刺さる。
皆考えることは同じで、楽をしたいと思ってる。なのに彩が発言すると、奇異であるかのように悪目立ちした。
彩のクラスでの立ち位置は相変わらずだ。女の子達からも男の子達からも、少し遠巻きにされている。
「だって、レシーブとか出来ないし、ミスったらいちいち嫌な顔されたりさ」
「ちょっと分かる。プレッシャー感じるよね」
一人でいた時は背中を強張らせていた彩は、私という友達を得て、人目が気にならなくなったらしい。
ちくちくと刺さる視線を無視して、私の机に頬杖をついている。
クラス委員が「卓球やりたい人」と呼び掛ける。一斉に上がった手の本数は、上限を優に超えていた。
「皆、同じ事思ってるのかも」
私のつぶやきに、彩が屈託のない笑みを見せる。
一人でも平気と強がるこの子は、他人と違うことを恐れて、皆と同じであることに嬉しそうな顔をする。
「じゃんけん行こ!」
彩が手を引いた。黒板の前にぞろぞろと女の子たちが集まっている。
あまりに人数が多いので、グループを分けたりしつつじゃんけんを勝ち進む。
幸運にも、彩も私も卓球の出場権を勝ち取った。
「ゆかりも一緒で良かった! 球技大会が急に楽しみになってきた」
「うん、私も」
席に戻ると、待ち伏せをしていたかのように一人の女の子が寄ってきた。
嫌な予感がする。私には既に、彼女が面倒事を持ってくる以外の想像がつかない。
「ゆかりちゃん、ちょっといい?」
小柄でいい匂いのする、少し髪色の明るい子。声がやたらと甘いから印象に残っていた。
「えっと……渡辺さん」
「そんな、佳苗でいいよ。あんまり話したことないけど同じクラスだし」
渡辺佳苗は視界に入っているはずの彩を、存在しないかのように無視して、私だけを見ていた。
「ありがとう。それで、どうしたの?」
陰険だと思った。腹のなかで人を見下して、馬鹿にしているのが透けて見えている。
制汗剤と、少し色っぽいムスクの香りが顔のそばまで寄って、「ちょっと耳貸してほしくて……」と囁く。
彼女のおくれ毛が頬をくすぐる。柔らかそうな髪はバームで少しベタついていた。
「球技大会の卓球と、バレー代わってほしいの。……私、生理重くて、被りそうだから」
女を武器にすることに、少しの躊躇もない言葉だ。
申し訳ないというよりは、代わってくれて当たり前だよね、とばかりに眉を下げる彼女の後ろには、渡辺佳苗に比べると幾らか地味で垢抜けない、真面目そうな子たちがこちらをちらちらと見ていた。
自分の見せ方をよく知っていて、自分より華がある子をそばに置かない。
強かで計算高いこの子の目には、私はどう映っているんだろう。
「あー……大変だよね、そういう事なら」
――いいよ。
と、答えようとしたその時、聞き耳を立てていた彩が割り入った。
「そんなの当日体調悪いですって休めば良いことじゃん。多めに人数割り振られてるんだから」
容赦のない、ボリュームを絞らない声。
「でも、他の子に悪いし、ね?」
渡辺佳苗が、囁くような小さな声を出した。音量を合わせるようにと、彩に向かって人差し指を唇に当ててみせる。
あざとくて可愛らしい仕草に私は感心していた。この子はどこまで猫を被るんだろう。
「そんなの! 皆同じ条件でやってるんだから、ゆかりの優しさにつけ込むようなやり方しないでよ」
ただでさえ、良くも悪くも目立つ二人のやり取りに、教室中の意識がこちらへ向いているのが分かる。
「ね、あんまり大きな声出さないで」
渡辺佳苗は、顔を赤くして体を縮こまらせた。被害者に転じることにしたらしい。
徹底しているし、機転が利く。彩には分が悪そうだ。
「大きな声で言えないようなことだから?」
「酷い……、なんで私のことそんなに目の敵にするの」
語気が強い彩の言葉と、目を潤ませて声を震わせる渡辺佳苗では、彩がヘイトを集めるのは自明だった。
「言い過ぎじゃない?」
誰の声か、なんて分からない一声の囁きが、狭い教室に波紋を広げる。
「別に大したこと頼んでないし、宮脇さんいいよって言おうとしてなかった?」
形勢は傾いていく。
「え、なに? 喧嘩?」
蚊帳の外にいたクラスの男の子たちも、教室のざわつきに気がついて視線をよこした。
「泣いてるじゃん、どうしたの?」
渡辺佳苗は肩を震わせて泣いてみせる。すごい。民意を味方につけるってこういうことだ。
でも、まだ取り返しはつく。
私はざわざわと雑音がひしめく教室で、音が途切れる瞬間を待った。
「——ごめんね。実は私も生理重い方で、球技大会は被りそうだから。……彩も私が言えないからって代わりに嫌な役させたね」
大きな声でもないけれど、誰に聞こえてもいいようなはっきりした発声を意識する。
まだ高校生になったばかり、身体の成長や、生理現象はデリケートな問題であるという意識だけを皆が持っている。
「そういう話か」
なんて、囁きが聞こえて、波が引くように視線は遠のいた。
私は席を立って、小さくなったままの渡辺さんの肩に手を置いた。
「渡辺さんも、そういうわけだから、申し訳ないけど他の人当たってもらうか、よかったら一緒に先生に相談しに行く?」
目が合わない。胸の前で組まれた手が、爪を弾いてカリカリと音を立てている。
「……ううん、大丈夫。私知らなくて、無理言ってごめんね」
良かった。これで収まる。
私は彩をちらりと見た。不満そうにツンとして、何かを誤魔化すように窓の外に目をやっている。
「全然、気にしないで。生理は個人差あるし、辛いよね」
渡辺佳苗が友達たちの輪の中に駆けていく。
あとは、彩の罪悪感を取り除いてあげればいい。
この程度で済んで良かった。私は私自身に絡みつく興味の視線を振り切って席に戻った。
いつもより長いホームルームを終えて、事務所に向かう。
ホームルームの間、小さな声で渡辺佳苗への恨み言を吐き続けていた彩は、ようやく見つかった家電量販店のアルバイトに駆け足で向かった。
見慣れてきた景色。閑静な住宅街の街並み。
今日は少し遅く出たから、稔くんの方が先に着いているかもしれない。
足取りは軽い。所長と稔くんと過ごす時間は、肩肘を張る必要がなくて楽だ。
「宮脇! 家こっちなの?」
肩が大袈裟に揺れた。
瞬きの間に心を整える。
今気がついたとばかりに振り向くと、クラスで見覚えのある顔があった。
彼は自転車をわざわざ降りて、近づいてきた。
「榎並くん」
何か部活をやっていた気がするけれど、何部だったか。
あまり出しゃばるようなタイプでもないから、覚えているのは名前と顔が精々だった。
「俺も家ここら辺なんだよね」
自然な流れで彼は私の隣に並び歩いた。ここは軽自動車がギリギリすれ違えるくらいの道幅しかない。
今から3台くらい車が来たらいい。そうしたら縦に並んで、顔を合わせることもないのに。
「そうなんだ」
かろうじて会話の球を投げ返す。榎並くんは少し困った顔をしていた。察しが悪いタイプではないようだ。
「宮脇も家この辺……っていうか、ゆかりちゃんでいい? 同じクラスだし」
このまま過ぎ去っていけばいいのに、という希望は叶わず、榎並くんは食い下がるように会話を続けた。
車の気配はない。閑静な住宅街は互いの呼吸音すら聞こえそうなほど静まり返っている。
彼の自転車のチェーンが回るチリチリとした音だけが場を繋いでいた。
「家は、違う駅なの。バイト先がこの辺」
私は咳払いをしたいのをぐっとこらえて、声を絞りだす。
事務所に着くまでは誰とも話したくはなかった。一人の時間だったのに、と思う。
どう頑張っても会話はぎこちなく、言葉の引き出しが軋んだように返答がすぐに思いつかない。頭が痛くなりそうだ。
「そうなんだ。この辺バイトするとこあったっけ……。何のバイトしてんの?」
「事務の手伝いみたいな、知り合いの人の会社で雑用してるだけだよ」
榎並くんの本題が別にあることは、気もそぞろに続く雑談の中で気がついている。
少し前のホームルームの件だろう。沢山の視線の中に彼の目もあったような気がした。
「へぇ、ゆかりちゃん秘書っぽいし似合う。……あのさ、今日の、あれのこと平気?」
ため息をのみ込む。もう忘れたことだったのに、「掘り返してほしくないの」と言いたいのを堪える。
悪い子じゃない。悪意は感じない。
素っ気ない私を気にかけてくれているのだから、彼の今の原動力はきっと正義感か、視線で私を追い詰めた罪悪感だ。
「平気。でも、ちょっと品がなかったよね。大きい声で言うことでもないし」
目は合わせなかった。前を見たまま、声には困ったような弱々しさを混ぜる。
「いや! 全然気にしてないから。うち姉貴も妹もいるし、オープンというか。だからあんまり気にすんなよ」
気にすんなよという言葉のあとに、榎並くんの心の枷が外れた音が、カコンと響いたような気がした。
でも、気のせいだ。心の状態が見えるわけでもあるまいし。
「ありがとう、榎並くん」
もう事務所は目の前だったが、素知らぬフリで通り過ぎようかと思った時、榎並くんが細道を指差した。
「榎並じゃなくて清春でいいよ……俺こっちだから」
私は彼の顔の上に、笑顔の絵文字を貼り付けた。真っ黒でシンプルなイラストは、いくら目を合わせても笑顔以上の感情を伝えてこない。
私には想像の余地があり、好きに受け取っていい。
「ばいばい、清春くん」
私はようやく、絵文字に向かって満面の笑みで感謝を伝えられた。
手を振って足取りの軽い清春くんの背中を見送る。
——ガラガラガラ
背後で立て付けの悪い扉が開く。
少し前からもう嗅ぎ慣れた香の、甘い香りがしていた。
「覗いてたの?」
稔くんはバツが悪そうに顔を背けた。
「違う、丁度出くわしたんだ。俺の方がちんたら歩かないといけなくて迷惑被ったのに」
三和土に雑に靴を脱ぎ捨てた稔くんの後ろ姿を追う。
肩を怒らせた稔くんの頭には、ミントグリーンの小鳥がパタパタと羽ばたいているのが見えた。




