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第二章「白雪しおり、初配信」

第二章です。


今回はいよいよ白雪しおりが動き始めます。


VTuberを見たことがある方も、あまり知らない方も楽しんでいただけたら嬉しいです。

 二週間が経った。


 夜の八時過ぎ。


 講義を終えた俺は、一度帰宅して夕食を済ませたあと、

 用事があると言って大学へ戻った。

 

 静まり返った大学のキャンパスを歩いていた。


 昼間は学生で賑わっている校舎も、この時間になるとほとんど人がいない。


 ゼミ室の前まで来ると、スマホが震えた。


『あと五分』


 陽子からだった。


 ドアを開ける。


 部屋にはまだ誰もいない。


 窓の外には街の明かりが広がっていた。


 俺は適当な椅子へ座り、小さく息を吐く。


 スマホには「もうすぐ着く」と一言メッセージが表示されている。


 本当にやるらしい。


 そう思っていると。


 廊下からガラガラと何かを引く音が聞こえてきた。


 ドアが開く。


「お待たせ」


 西園寺陽子だった。


 片手にノートパソコン。


 そしてもう片方には、大きなキャリーケース。


「……その荷物全部か?」


「そう、全部」


 陽子は当然のように答えた。


「そんなに必要なのか」


「もちろん」


 そう言って床へケースを置く。


 パチン、と金具が外れる音。


 中には見たこともない機材がぎっしり詰まっていた。


 陽子はそれらをテーブルに並べる。


「これがコンデンサーマイクね」


 銀色のマイクを机へ置く。


「コンデンサーマイクって?」


「簡単に言うと電動マイクかな」


「電動?」


「そっ、小さい声もちゃんと拾ってくれる」


「USBのマイクじゃダメなのか?」


「できるよ、でも音が全然違う」


「そうなのか」


「そして、これがオーディオインターフェース」


 黒い小さな箱。


「オーディオインタフェース?」


「マイクをパソコンにつなげる機械ね、

 それから、こっちがボイチェン」


「ボイチェン?」


「そそ、白雪しおりになれる仕掛け」


「あと、こっちがカメラ」


 小さなWebカメラをパソコンに乗せる。


「これがモニターヘッドホン」


「……」


「わかった?」


「全く」


「よし」


 陽子は満足そうに頷いた。

 

 まぁ、マイクとヘッドホンくらいならわかるが。


「理解しなくていい」


「いいのか」


「今日は喋るだけだから」


 そう言いながら、慣れた手つきで配線を始める。


 USBケーブル。


 HDMIケーブル。


 オーディオケーブル。


 何本もの線が机の上を走る。


 俺は完全に見学だった。


「そんなに慣れてるものなのか」


「仕事でも使うし」


 陽子はモニターを見たまま答える。


「歌の収録とか編集とか」


「そんなことまでやってたのか」


「アルバイトだけどね」


 十分凄いと思う。


 ほどなくして準備が終わった。


「じゃあモデルを動かしてみるね」


 陽子がノートパソコンを操作する。


 画面にアニメのような女の人が現れた。


 黒髪ロング。


 白と黒を基調にしたドレス。


 肩には白いストール。


 静かな雰囲気のお姉さん。


 白雪しおり。


 この間、見せてもらったモデルだった。


 ただ、一つだけ気になることがあった。


「背景が緑なんだが」


 画面いっぱいに鮮やかな緑色が広がっていた。


「ああ、これ?クロマキーだから」


「クロマキー?」


「この色だけ透明にできるのよ、ちょっと待って」


 陽子がキーボードを操作する。


 次の瞬間。


 緑色だった背景が消えた。


 代わりに映ったのは、高級ホテルのラウンジのような部屋。


 大きな窓。


 夜景。


 柔らかな照明。


 きらびやかだが華美ではない落ち着いた雰囲気。


 中央に白雪しおりが立っている。


「……」


 思わず黙る。


「すごいでしょ?」


「そして、こうすると……」


 陽子がマウスをいじると、白雪しおりの前に豪華なテーブルが表示される。

 テーブルにはイラストで書かれたマイクにコーヒーカップ。


「……本当に配信者みたいだ」


「配信者だからね」


 陽子は少し得意そうだった。


「じゃあ次、実際に動かしてみるね」


 Webカメラをこちらへ向ける。


「このカメラで顔を認識する」


「顔?」


「キャリブレーションしたから、ちょっと動いてみて」


 言われるまま首を傾ける。


 画面の白雪しおりも同じように首を傾けた。


「……」


 右を見る。


 左を見る。


 また右を見る。


 左を見る。


 瞬きをする。


 白雪しおりも瞬きをした。


「全部俺なのか?」


「全部智也」


「口も?」


「口も」


「目も?」


「目も」


「笑ったら?」


「笑う」


 試しに少しだけ笑ってみる。


 白雪しおりも柔らかく微笑んだ。


「……」


「どう?」


「思ってたより凄い」


「表情の差分はまだないけど、十分動くでしょ?」


 陽子は満足そうに頷く。


「じゃあ次に、そこ座って」


 パソコンから伸ばした大きいディスプレイの前へ座らされる。


 目の前には先程のマイク。


 陽子はモニターヘッドホンを付け、画面を見ながら何か調整を始めた。


「ピッチちょっと上げる」


「ピッチ?」


「声の高さ」


「なるほど」


「たぶん」


「たぶん?」


「喋ってみないと分からない」


 そう言ってマイクを指差す。


「ちょっと喋ってみて」


 俺は少し考えた。


「こんばんは」


 陽子の動きが止まる。


「……何?」


 そのまま画面を見る。


「……もう一回」


「こんばんは」


 数秒。


 完全に無言だった。


「なんなんだ?」


 やがて陽子は静かにヘッドホンを外した。


「ちょっと聞いてみて」


 そう言って俺へヘッドホンを差し出す。


挿絵(By みてみん)


 言われるまま耳へ付ける。


 そしてマイクを見る。


「こんばんは」


 ヘッドホンから聞こえてきた声に、思わず固まった。


 知らない女性だった。


 落ち着いた、大人のお姉さんの声。


「……俺?」


「うん」


「俺じゃない」


「だから俺禁止」


 陽子は吹き出しそうになりながら笑った。


「今日から白雪しおりだから」


 俺はもう一度マイクを見る。


「こんばんは」


 やはり聞こえてくるのは、自分ではない誰かの声だった。


 陽子はパソコンを操作しながら時計を見る。


「配信まで、あと十分」


「もうそんな時間か」


「うん」


 そう言ってポケットから一枚の紙を取り出した。


「はい」


 渡されたのはA4用紙だった。


 タイトル。


『初配信用台本』


「台本?」


「一応ね」


 そこには簡単な配信の流れだけが書かれていた。


――こんばんは。


――初めまして。


――白雪しおりです。


――今日は初めてなので少しだけお話ししようと思います。


――よろしくお願いします。


 その下にはさらに箇条書き。


・一人称は『私』


・俺は禁止


・男言葉禁止


・全部のコメントを拾わない


・困ったら深呼吸


・分からなければ笑う


「最後適当じゃないか?」


「配信なんてそんなもんよ」


 陽子はあっさり言った。


「全部ちゃんと答えようとすると事故るから」


「事故?」


「パニックになる」


「なるほど」


「だから分からなかったら」


 陽子は少しだけ白雪しおりの真似をする。


「ふふっ、それはまた今度調べてみますね」


 妙に似合っていた。


「そんな感じでいい」


「いいのかよ」


「いい」


 陽子は笑う。


「あと…」


 俺を見る。


「無理に盛り上げようとしないでいいから」


「そうなのか?」


「智也は普通でいい」


「普通?」


「そう、そのまま、いつもの智也でいい」


 その言葉だけは妙に印象に残った。


 陽子はスマホを取り出す。


 SNSを開く。


「実はこんなのもあるんだけど」


 画面には白雪しおりのアカウントが表示されていた。


 投稿数 三件。


 フォロワー 十五人。


「三年前に作ったやつ」


「断られたってやつか?」


「そう、パスワード覚えてたから」


 最新の投稿を見る。


「一応、初配信の宣伝をしといたのよ」


『二週間後、初配信を行います』


 その下には三十秒ほどのPV動画。


 黒い画面。


 静かな音楽。


 ゆっくりと現れる白雪しおり。


 下にメッセージが表示される。


『初めまして』


『白雪しおりです』


『皆さんとゆっくりお話しできる場所になれば嬉しいです』


 それだけだった。


「シンプルだな」


「派手なの嫌い」


 陽子らしいと思った。


 時計を見る。


 二十一時まであと一分。


 陽子は真剣な表情になった。


 配信ツールの画面を確認する。


 コメント欄。


 配信画面。


 マイク。


 全部を一つずつ確認していく。


「緊張してる?」


「少し」


「まぁ、大丈夫でしょ」


「根拠は?」


「あるわけないじゃん」


「ないのか」


「でもたぶん平気」


 陽子は椅子へ座った。


 キーボードへ手を置く。


「配信開始」


 カチッ。


 クリック音が響く。


 陽子からハンドサインで開始の合図が来る。


 画面の右上に。


【LIVE】


 の文字が表示された。


「始まった」


 コメント欄。


『初見です』


『こんばんは』


『PVから来ました』


『声楽しみ』


 まだ二十人ほど。


 俺はマイクを見る。


 そして小さく息を吸った。


「こんばんは」


「初めまして」


「白雪しおりです」


 緊張していたのか、いつもよりゆっくり喋った。


「今日は初めてなので、少しだけお話ししようと思います」


「よろしくお願いします」


 コメントがゆっくり流れていく。


『こんばんは』


『落ち着く声』


『初見です』


『声好き』


 陽子は何も言わない。


 ただ静かにモニターを見ている。


 俺は台本を見る。


 そして少し考えた。


「今日は皆さん、どんな一日でしたか?」


 コメントが一気に増えた。


『仕事でした』


『学校』


『残業でした』


『今帰宅しました』


 俺は一つだけ読む。


「仕事だった方、お疲れさまでした」


「今日はゆっくり休んでくださいね」


 コメント欄。


『優しい』


『なんか泣きそう』


『癒やされる』


『今日来てよかった』


 その横で。


「……」


 陽子が肩を震わせていた。


「……陽子?」


 マイクから少し離れて小声で呼ぶが……。


「……」


 返事がない。


 下を向いて口元を押さえている。


挿絵(By みてみん)


「どうした?」


「……ふっ」


 笑っている。


「ご、ごめん」


「何がおかしい」


「違うの…」


 首を横に振る。


「面白いんじゃなくて」


 一度深呼吸する。


 それでもまだ笑いをこらえていた。


「凄すぎる」


「何がだ?」


「なんで普通に喋ってるだけで、こんな空気になるのよ……」


 その間にもコメントは増え続けていた。


『寝る前にちょうどいい』


『また来ます』


『登録しました』


『次回も楽しみ』


 三十分ほど雑談したところで、その日の配信は終了した。


 特別なことは何も起きなかった。


 ゲームもしない。


 歌も歌わない。


 雑談しただけ。


 それなのに。


 配信終了のボタンを押したあとも、


 コメントはしばらく流れ続けていた。


 俺は陽子を見る。


「これでよかったのか?」


 陽子は答えない。


 配信画面では登録者数がゆっくり増え続けている。


 十五。


 二十七。


 三十九。


 五十八。


「そういえば」


「ん?」


「今日の配信」


「私が一番びっくりしたこと教えてあげようか」


「え?」


「台本、半分しか使ってない」


「そうだったか?」


「うん」


「途中から全部アドリブ」


「普通に話しただけだ」


「それが普通じゃないのよ」


 陽子はまだ笑いを堪えているようだった。


「……智也」


「なんだ?」


「私ね、今まで何人も配信者見てきたんだけどさ」


 画面から目を離さないまま、小さく笑った。


「こんなの見たことない」


 俺には何が凄いのか、さっぱり分からなかった。


 ただ。


 モニターの中で静かに微笑む白雪しおりだけが、


 どこか少し嬉しそうに見えた。


(第二章 終)

第二章を読んでいただきありがとうございました。


今回はVTuberの配信環境や準備の流れを、物語の中で自然に描いてみました。


実際には機材やソフトも色々ありますが、白雪しおりの初配信は陽子の知識と技術、そして智也の天然(?)な空気感でやってみました。


このあとも二人の奮闘を楽しんでいただければと思います。


次回は白雪しおりが少しずつ注目され始め、物語が大きく動きます。

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