第七話 落日、あるいは償い
「ひっ……、あ……」
空気さえもが凍りつくような威圧感。
タカシは脂汗を床に滴らせながら、ガタガタと目に見えて激しく震えていた。喉が完全に恐怖で閉塞し、声を出すどころか、まともな呼吸をすることすらできない。
その静寂を破り、シャルロットの隣に座るアイリスが座卓に手をつき、膝立ちになって身体を乗り出した。
「あんた、日本からの転移者でしょ?」
冷たい琥珀色の瞳が、タカシを見下ろす。
「ラノベだの悪役令嬢だの、いい気になって!あんたが上流で何をやらかしたのか、もう完全にバレてんのよ!」
タカシは頭を殴られたような衝撃を受けた。
やはりこの二人は、自分と同じ日本の知識を持った存在だったのだ。
シャルロットは表情を一つ変えないまま、氷藍の瞳をフッと細め、静かに追撃の言葉を放った。
「日本からの転移者なら、自分の商品に責任を持つ必要があるのは分かりますよね。今の話であなたの界面活性剤が腹痛や下痢の原因だと分かったのなら、それを保証する義務があります。貴方が石鹸で儲けたお金をすべて保障に回しなさい」
「ほ、補償って……」
タカシはガチガタと歯を鳴らしながら、掠れた声で呟いた。
「全てです。一ゴールドたりとも残してはダメ。それから、リヒトウェルの人たちのために私財を投じて浄化槽も作りなさい。作り方は教えてあげます」
ただ金を没収するだけでなく、自分が無責任に引き起こした公害の尻拭いを、自らの私財とチート能力を使って死に物狂いで労働して片付けろという、甘えを一切許さない命令だった。
◇
「……タカシ、殿?」
日本家屋から魂が抜けたような足取りで出てきたタカシの姿を見て、外で待機していた老商人ガルフが、慌てて駆け寄ってきた。
タカシの顔は土気色に引きつり、額からは冷や汗が止まらない。大富豪として豪遊していた時の傲慢な面影は、どこにも残っていなかった。
「ガルフ、さん……」
タカシは力なく、消え入りそうな声で呟いた。その両手は、まだ小刻みに震え続けている。
ガルフが怪訝そうに口を開きかけた。
「タカシ殿、一体中で何が――」
「違うんだ」
タカシはガルフの言葉を遮り、地面に向けて深く頭を垂れた。
「すべて……すべて、俺のせいだったんだ」
「え……?タカシ殿、それは一体どういう……」
ガルフが絶句する。後ろに控えていた私兵や冒険者たちも、何事かと顔を見合わせた。
「俺が作ったあの石鹸が、街の病気や川の汚れの本当の原因だったんだ。良かれと思って手洗いを勧めたせいで、余計に被害を大きくしちまった。……俺の石鹸は、このエデン村にあるような『浄化槽』が上流の街に完成するまで、全面的に使用禁止にしてくれ」
タカシは、自分の浅はかな知識が引き起こした大公害の責任を、ようやく自覚したのだ。
「そんな、馬鹿な……。あれほど汚れを落とす素晴らしい品が、呪いの元凶だったというのか!? それでは、ワシらが大儲けしたあの金は……街の発展は、すべて間違いだったと!?」
ガルフは信じられないといった様子で、声を震わせた。
「不純物がないからこそ、この世界の自然じゃ処理しきれなかったんだ。……ガルフさん、商人ギルドに伝えてくれ。これまで俺が石鹸ビジネスで儲けたお金は、一ゴールドも残さず、すべて街の人たちのために使う」
タカシは震える手で、ポケットの奥から金貨が詰まった重い革の袋を取り出し、ガルフの手へと握らせた。
涙が一滴、一滴とタカシの頬を伝う。
異世界での軽率な自分の行いが、大公害を起こした。
ラノベみたいに、チート能力でちやほやされて大金持ちになって、いい気になって豪遊していた自分が、どれほど愚かで恐ろしいことをしていたのか。
(償えるのなら、すべてをなくしてでも償いたい……!)
タカシの涙と本気の覚悟を見たガルフは、大きく息を呑み、手の中の重い金貨の袋を見つめた。
しばらくの沈黙の後、ガルフは深くひげをなぞり、タカシの肩にぽんと手を置いた。
「……タカシ殿。そこまで涙を流し、己の罪を認められるのなら、ワシはあなたを責めやしません。むしろ、自分の過ちから目を背けず、全財産を投げ打ってでも責任を取ろうとするその姿……立派な一人の商人ですぞ」
ガルフの言葉に、タカシは涙を流したまま、小さく息を詰まらせた。
「ガルフさん……」
「下痢や腹痛が出た人たちの治療代は、すべてワシが責任を持って支払う手続きを進めましょう。石鹸の回収もギルドを総動員して行います。……ですが、タカシ殿。お金を配るだけでは川は元に戻りません。リヒトウェルの街にあの巨大なプールを作るのでしょう? 街の人間を救い、あの汚れた川を元の綺麗な川に戻せるのは、あなたの『ケミカルクラフト』の力だけですぞ」
「ああ……。作り方は、シャルロット様から教えてもらうことになった。俺の力を使って、絶対に、必ず俺の手でやり遂げてみせる」
大富豪からの転落。全財産の没収。
だけど、タカシの目からは先ほどまでの傲慢な輝きは消え、代わりに「自分のしでかした罪を自らの手で償う」という、本物の覚責が宿っていた。
「すまん、ガルフさん……。本当に、申し訳なかった」
「気にするな、と言えば嘘になりますが……ワシもあの石鹸に目を眩ませた片棒を担いだ身。トコトン付き合いますぞ。さぁ、リヒトウェルへ戻りましょう。償いの仕事が山積みですぞ!」
「ああ、ありがとう……!」
こうして、現代知識で調子に乗ってウハウハ無双していたタカシの「チートスローライフ」は完全に終わりを迎えた。
私財をすべて投げ打ち、シャルロット様の厳しい監視と指導のもと、タカシによる死に物狂いの「環境汚染の尻拭い労働」が始まるのだった。




