第五話 巨大な建造物
「エデン村の連中、完全に俺たちを舐めてるな……」
ヴァルハイト帝国エドワード辺境伯領。リヒトウェルの街から下流のエデン村へと続く街道を、タカシは馬車に揺られながら、忌々しげに窓の外を睨みつけていた。
タカシの乗る豪華な馬車の前後には、彼がガルフを通じて商人ギルドから雇い入れた、武装した私兵や屈強な冒険者たちが数十人も従っている。彼らの表情は一様に暗く、そして怒りに満ちていた。なぜなら彼らもまた、数日前まで激しい腹痛と下痢に苦しんでいたリヒトウェルの住人だからだ。
「タカシ殿、本当にエデン村の仕業なのか? あそこはただの農村ですよ」
同乗している老商人ガルフが、不安そうに口ひげをなぞる。
タカシは鼻で笑い、腕を組んだ。
「ガルフさん、世の中の陰謀劇ってのはそういう背景のある奴らが仕掛けるもんだよ。考えてもみろよ。上流の俺たちの街があれだけ原因不明の病気で全滅しかけて、川もドブ川みたいに腐り果てているんだぞ? なのに、すぐ下流にあるエデン村だけが、誰一人お腹を壊さず、水もピカピカに綺麗なままだなんて、どう考えてもおかしいだろ」
タカシの頭の中は、完全に大好きなファンタジー小説の知識で埋め尽くされていた。
(間違いない。リヒトウェルが俺の石鹸ビジネスで、急速に発展したからな。それを妬んだ隣国か、あるいはこの村に隠れている他国の勢力が、俺たちを失脚させるために裏で『呪い』か『怪薬』を仕掛けたんだ。あいつらは自分たちだけが助かるための秘密の特効薬か、怪しい中和装置をあらかじめ用意していたんだ。だから平気な顔をしてやがるんだろ)
タカシにとって、自分は街に衛生と繁栄をもたらした正義のヒーローであり、下流の村はそれをねたむ卑劣な悪の組織だった。
「俺がこの手で、あの陰険な連中の化けの皮を剥ぎ取ってやるよ」
タカシは胸のポケットにある、いつでもケミカルクラフトを発動できる魔力の高まりを感じながら、冷酷に笑った。
馬車がエデン村の境界を越えた瞬間、タカシは思わず目を見開いた。
「なんだ、あれは……? ゲッ、めちゃくちゃ気味が悪い……」
彼が想像していた「貧相な田舎の農村」の風景は、そこにはなかった。
村の入り口、川のほとりには、まるで中世の城壁かと思うほどに巨大で、頑丈な建造物がそびえ立っていたのだ。
それは、灰色に塗り固められた、プールほどもある巨大な石造りの施設だった。しかし、その内部を見たタカシは、あまりの汚らしさに本気で顔をしかめた。
プールの中は、上流から流れてきた真っ白な洗剤の泡に混ざって、ドロドロとした不気味な赤茶色の泥や、怪しい苔のようなものが大量に繁殖し、不気味にブクブクと泡を立てて波打っていたのだ。まるで魔女が怪しい薬を煮込んでいる大鍋か、おぞましい魔物の巣窟のようで、綺麗好きなタカシにとっては鳥肌が立つほど不快で汚らしい光景だった。
「タカシ殿、あれは……?エデン村はあんな巨大な建造物を作っていたとは……」
ガルフが驚きに目を見張る。
馬車から降りたタカシが私兵を引き連れて川に近づくと、さらに信じられない光景が広がっていた。
あのどろどろに濁った汚水と不気味な泥のプールを通り抜けたはずなのに、施設の反対側の排水口から吐き出される水は、まるで水晶のように透き通り、美しいせせらぎとなって下流へと流れていたのだ。
「そんな馬鹿な……。あんな汚らしいヘドロの沼を通った水が、なんでこんな一瞬でピカピカにされてるんだよ!?」
あの不気味で汚らしいプールは、やはり上流の街を呪うための「怪しい魔法の儀式場」か「毒の調合施設」に違いない。
タカシの中で、エデン村への疑惑は確信へと変わった。
タカシたちがプールに近づこうとしたその時、
「まて!何者だお前たちは! ここはシャルロット様の神聖なる施設だぞ!」
鋭い声と共に、武装した五人の騎士が立ちはだかった。
その後ろからは、鍬やスコップを持った何十人もの大農園の男や村人たちが、タカシたちを警戒した目でにらみつけながら集まってくる。
「俺はリヒトウェルの街を代表して来た山崎隆司だ! おい、お前たちの親玉……そのシャルロットって女をここへ呼べ!」
タカシは私兵たちを背後に従え、一歩も引かずに怒鳴り散らした。
「上流の街にあんな凶悪な呪いを撒き散らし、自分たちだけこの汚らしい要塞でぬくぬくと綺麗な水を独占してやがる犯人はお前らだろ! ラノベの悪役みたいな真似しやがって、すべて証拠はあがってるんだ!」
タカシのあまりの暴論に、ギルバードが一歩前に踏み出した。その目は、見たこともないほど冷たく怒りに燃えていた。
「無礼者が!我が主、シャルロット様に向かって何という汚らわしい言葉を吐くか!その不敬極まる口を閉じよ!」
ギルくんが鋭く怒鳴りつけると同時に、背後にいた護衛隊の騎士たちや村の男たちが、一斉に武器や鍬をガシャリと構えたわ。
「シャルロット様を侮辱する奴は生かして帰さねえぞ!」
「おい、リヒトウェルの乱暴者ごときが何様のつもりだ!この穴に埋めてやろうか!」
殺気立つエデン村の男たちの地響きのような怒号に、タカシを護衛していた私兵たちが一瞬、怯えたように息を呑むのが分かった。
「――ギルバート様、そこまでにしてください」
背後から響いた鈴を転がすような清らかな声に、殺気立っていた男たちがビクリと肩を揺らし、潮が引くように左右に割れた。
そして、その開かれた道から、一人の少女が優雅に歩み出てきた。
「――まぁ。上流から騒がしい野良犬が吠えながら迷い込んできたのかと思えば、ずいぶんと威勢のよろしいお子様ですのね」
タカシは息を呑んだ。
現れたのは、月光を吸い込んだかのような銀の髪に、すべてを見透かす氷藍の瞳。それは、見る者の思考を奪うほどに冷徹で、可憐な美少女だった。
彼女の隣には、栗色の髪に琥珀色の瞳をした、同じく十七歳ほどの少女がぴったりと寄り添っている。
「あなたがシャルロットか……!」
タカシは美貌に気圧されそうになるのを必死に堪え、シャルロットを指差した。
「――失礼なお子様。あなたに名指しされるいわれはありませんわよ」
シャルロットは眉一つ動かさない。ただ、すべてを見透かすような氷藍の瞳でタカシを見下ろし、冷徹に言い放った。
「っ……!?」
あまりの冷徹なオーラに、タカシは思わず指を引っ込め、気圧されて一歩後ろに下がってしまった。
「とっ、とぼけるなよ! この巨大な施設は何だ!? 上流の街を原因不明の病気で全滅させようとしたのは、お前たちの陰謀だろ! よくある敵対勢力みたいに怪しい薬でも使って、ラノベの悪役みたいな真似しやがって!」
タカシが息を荒くして怒鳴り散らした、その瞬間。
「……えっ?」
シャルロットの隣にいた栗色の髪の少女は弾かれたように顔を上げた。彼女の琥珀色の瞳が、驚愕でタカシの顔を凝視する。
一方、銀髪のシャルロットは、その言葉を聞いても首を傾げるだけだった。
「し、シャルロット様、この男は完全に狂っています! 街の異変をこちらのせいにするなど、断じて許せません!」
護衛隊長のギルバードが剣の柄に手をかけ、タカシを鋭く睨みつける。
「良いのですわ、ギルバード様。皆様も、少し下がってくださいます?」
シャルロットは氷藍の瞳でタカシをじっと見つめながら、お上品に微笑んだ。
「さあ、お客人。あなたの言う『呪い』や『怪しい薬』の正体について、じっくりとお話し合おうじゃありませんか」
そう言ってシャルロットに案内されたのは、プールから少し離れた、静かな小川のほとりに建つ、一風変わった建物だった。
「……なんだ、この貧相な家は?」
タカシは心の中で密かに毒づいた。
この世界の一般的な、レンガ造りや石造りの頑丈な家とは全く違う。木と土の壁で造られた平屋で、屋根は藁のようなもので葺かれており、実につまらない安っぽい造りに見えた。
建物の側面には、壁がない剥き出しの木の床が小川に面して伸びており、タカシにはその建築意図がさっぱり理解できなかった。
タカシが土足のままその客間へ上がり込もうとした、その時。
「そこは靴を脱いで上がりなさい」
そうシャルロットにお上品に遮られ、不機嫌そうに靴を脱いで、木の板の上にドカリと座り込んだ。




