第七十八話 上流の異変、蘇る記憶
「あら……? 何かしら、あの白くて奇妙なアブクは」
名産品『ジャパイモ』の大農場を持つエデン村。その北側を流れる大きな川のほとりで、私――シャルロットは足を止めたわ。
いつもなら澄んだ綺麗な水が流れているはずの川に、不自然なものが流れてきていたのよ。
プカプカと水面を漂う、真っ白な塊。それは、太陽の光を浴びてキラキラと輝く、きめ細かい「泡」の山だったわ。
一つや二つじゃないの。川岸の草むらに引っかかり、水面を覆うような大量の泡が、固まったまま延々と流れてきているのよ。
「ちょっと、何よ、これ……」
私は周囲に誰もいないことを確認してから、ドレスをたくし上げ、川べりにしゃがみ込んだわ。そして、流れてきた泡を指先で少しだけすくい、じっと観察してみる。
(……全然消えない、このアブク。それに、この独特のヌルヌルした手触りと、微かに鼻をくすぐるシトラスの香り……)
手についた泡の感触を確かめた瞬間、私の頭の奥で、前世の古い記憶の引き出しが開いたわ。
映像が、一瞬にして脳裏を駆け巡ったのよ。
(嘘でしょ……。これ、絶対にアレじゃない。なんでこんな世界に、こんなものが流れてくるの!?)
お皿をひっくり返して大声を上げたような衝撃。
詳しい仕組みを村の人たちに説明したところで誰も理解できないでしょう。だけど、私の直感が、激しい危険信号を鳴らし始めたの。
(これは大変なことになるわ……! 一体だれが何をやらかしたのか知らないけれど、上流のリヒトウェルの街で、こんなものをドバドバと川に流し続けているのだとしたら……!)
それだけじゃないわ。
この川の水は、エデン村の命の源である『ジャパイモ大農場』に引き込まれているのよ。
(畑の土がこんな汚れた水を吸ったら、美味しいジャパイモなんて二度と育たなくなっちゃう! みんなのご飯がなくなったらどうするんですか、もう!)
この「白い泡」が村を滅ぼす引き金になることは、誰よりも正確に見抜くことができたわ。
私は立ち上がり、ドレスの裾をパンパンと払ったわ。その瞬間、私の中にある「気合のスイッチ」がガチリと入ったのよ。
(もう!上流のやらかしに、うちの大事な村を潰されてたまるもんですか!)
私は切迫した声で、近くにいるはずのギルくんを呼んだわ。
「ギルバード様! 大変ですわ! すぐに護衛隊の皆様と、大農園の農夫たちと村の動ける男たちを全員集めてください!」
そう言うと、草むらで待機していたギルくんが慌てて飛び出てきたわ。
「シャルロット様!? 一体何事ですか、そんなに慌てられて……」
「川の上流を見てごらんなさい! 恐ろしい呪いの泡が流れてきておりますわ! このままでは川の生き物たちも、私たちの愛するジャパイモ大農場も、すべて枯れ果ててしまいます!」
私が真剣な表情で訴えかけると、ギルくんは表情を引き締めてすぐに深く頷いたわ。
「シャルロット様がそこまで仰るのなら……間違いなく、我らの想像を超える深刻な危機が迫っているということです! ただちに護衛隊と大農園や村の男たちを招集します!」
その後、広場に鐘の音が乱打されると、大農園の男たちや村人たちが、鍬やスコップを手に次々と集まってきたわ。
「シャルロット様! 一体何が起きたんですか!?」
「シャルロット様のためなら、俺たち何でもやりますぜ!」
集まった何百人もの男たちの目は、純粋な崇拝と信頼でギラギラ輝いていたわ。
そこへ、一人の少女が人混みをかき分けて私の元へ走ってきたわ。
「おばあちゃん! 大変だって聞いて飛んできたよ! 一体どうしたの!?」
私の秘密を知る唯一の存在、アイちゃんよ。
「あら、アイちゃん。来てくれたのね。ちょっと手伝ってもらえる?」
「うん、任せて、おばあちゃん!」
私は集まった大農園の男たちや村人の前に立ち、力強く手を掲げたわ。
ざわついていた広場が、一瞬にして静まり返るのを感じる。
そして、私は皆の前に凛と一歩踏み出し、静かだけれど広場中によく響く声で語りかけたのよ。
「皆様、集まっていただき感謝いたします! 現在、上流から恐るべき呪いが迫っております。これを食い止めるため、今から川のほとりに、水を綺麗にするための巨大なプールを掘り進めます! かつて私が皆様にお教えしたモルタルを贅沢に使い、壁をカチカチに固めた立派なプールを作るのです!」
私の狙いは、前世の日本で広く使われていた「合併処理浄化槽」の仕組みをこの世界に再現することよ。
川の水を一度、巨大なプールに引き込み、そこに汚れを食べて分解してくれる良質な微生物や菌、魔導生物を繁殖させて水を綺麗にしてから、再び川に戻すの。
土を掘っただけの穴じゃ水が地面に染み込んじゃうから、水漏れしないモルタルの壁が絶対に必要なのよ。
「さあ、緊急を要します!突貫工事の開始ですわ、皆様! 穴を掘りましょう!」
私がそう叫んだ瞬間、広場を埋め尽くす男たちから、地鳴りのような歓声が湧き上がったわ。
「オオオッ!!シャルロット様のためなら、地の果てまで掘り進めてやりますぜ!」
「あったりまえよ。シャルロット様がやれと言われたら、やる!恩返しのチャンスだ!」
「護衛隊、遅れを取るな!今日、俺たちの剣はスコップに変える!シャルロット様のために大農園を、全力でお守りするぞ!」
鍬やスコップを頭上に掲げて気勢を上げる大農園の男たちや村人や騎士たちの姿は、まるでこれから戦に向かう軍隊のようだったわ。
私の大号令のもと、エデン村始まって以来の大突貫工事が一斉にスタートしたの。
「アイちゃん、そこのモルタルを運ぶのを手伝って頂戴」
「はーい、おばあちゃん! 今行くね!」
「よーし、俺たちは体力が続くまで掘り続けるぞ! 疲れたら休んで交代する! だが、体力が戻ったらまた掘る! ひと掘り、ひと掘りがシャルロット様への感謝だと思って掘るんだ!!」
ギルくんたち五人の騎士や大農園の頑強な男たちが、自慢の腕力でスコップを振るい、プールほどの大きさの巨大な穴を、もの凄いスピードで掘り進めていくわ。
穴が掘り上がると、今度は壁面にモルタルをペタペタと丁寧に塗り固める作業よ。
村の誰もが私のいうことを疑いもしないため、工事は信じられないペースで進んでいったわ。
一週間が経ち、そして、二週間が経とうとしていたわ。
プール全体の壁面が滑らかなモルタルで覆われ、あとは中に微生物を定着させるだけという、まさに完成間近のその時――。
「シャ、シャルロット様――っ!! 大変です! 川が、川の水がぁっ!!」
見張りをしにいってた村人が、顔を真っ白にして叫びながら走ってきたわ。
私とアイちゃん、そしてギルくんが急いで川辺へと向かうと、そこには二週間前とは比べ物にならない、おぞましい光景が広がっていたのよ。
「……うわ、何これ。すごくドブ臭いよ……」
アイちゃんが思わず鼻をつまんで顔をしかめたわ。
川の水はどす黒く濁り、水面はあの消えない真っ白な泡で完全に埋め尽くされていたの。そして、川が持つ本来の自浄作用が完全に破壊されたせいで、ドブのような強烈な異臭が辺り一面に漂っていたわ。
「シャルロット様!水面を見てみください! 魚たちが……っ!」
ギルくんが悲痛な声を上げたわ。
濁った泡の隙間から、何百匹もの川の魚たちが苦しそうに水面へと浮かび上がり、口をパクパクと激しく動かしながらアップアップと喘いでいたのよ。酸素が吸えなくなって窒息しかけているのね。
「シャルロット様が二週間前に仰っていた呪いとは、このことだったのか……!」
男たちが、私の先見の明に深い畏敬の念を抱いて震えているわ。
上流のリヒトウェルの街からの、消えない真っ白な泡を発見してから二週間。何者かの、その無自覚なやらかしによる恐怖の環境破壊が、ついにこの下流のエデン村を完全に飲み込もうとしていたのよ。
(あ~あ、もう! 上流のアホは本当に何考えているんでしょう。後で絶対にタダじゃおきませんからね!)
心の中で激怒しながらも、私はドレスの裾を強く握りしめ、冷徹に次の指示を出したわ。
「モルタルの完全な乾燥を待っている暇はありませんわ……! ギルバード様、アイちゃん、村の皆様! 今すぐ川の水を、この浄化槽へと誘導してください! 私たちのジャパイモと、この村を、何としても守り抜くのです!」
「はっ!!」
押し寄せる環境破壊のタイムリミット寸前。
私たちは、大切な村の未来を守るため、汚染された濁流に真っ向から立ち向かうのだった。




