第七十四話 星空の下の告白
夜、全ての仕事を終えた後、私はアイちゃんと2人で静まり返った納屋の外に出た。
エデン村の夜空には、東京では見たこともないような、降るほどの満天の星が広がっていた。
あまりに忙しく、泥まみれで駆け回っていたせいで、日中はすっかり聞き逃していたこと。だけど、私の胸の奥にずっと、冷たい楔のように刺さっていた疑問。
今が、それを聞く最高のチャンスだと思った。
アイちゃんは、切り株の近くでそっと夜空を見上げ、星を眺めていた。
その、昼間の明るさとは少し違う、静かでどこか遠くを見つめるような横顔に、私は勇気を出して話しかけた。
「……アイちゃんは、日本人なんだよね?」
私の声に、アイちゃんは驚く風でもなく、ただゆっくりといったん目を閉じた。
再び開かれたその琥珀色の瞳は、夜風に声を乗せるように、淡々と話し始めた。
「うん。前世はね、白石愛莉っていう名前の高2の女子高生だったよ。……といっても、もう大昔のことみたいに思えるけどね」
淡々とした、だけどどこか懐かしむような声だった。
「17歳の時かな。学校の帰り道、不運な事故に遭って、気づいたらこの世界のグランベル王国っていう国の、男爵家の赤ちゃんになって生まれてたの。だけど、普通の転生モノみたいに最初から記憶があったわけじゃないんだよ?」
アイちゃんは星から視線を外し、自分の小さくて、泥で汚れた手のひらを見つめた。
「10歳くらいの時かな。頭が割れそうに痛くなってさ、急に思い出したの。自分が日本っていう平和な国にいて、学校に通ってて、美味しいものをたくさん食べて、最後はあっけなく死んじゃったこと。……前世の記憶が戻った時は、本当にパニックだったよ。だって、目の前にいるお父さんもお母さんも、急に他人に思えちゃって。自分の居場所がどこにもないみたいで、毎晩泣いてた」
アイちゃんはそこで一度言葉を区切ると、自嘲気味にクスッと笑った。
「ユアみたいに『聖女様!』なんてチヤホヤされることも、女神様に最強のチート魔法を貰うこともなかった。ただの、前世の記憶があるだけの、中途半端な男爵家の女の子。本当にいろんなことがあったなぁ……」
彼女の言う「いろんなこと」の重みが、その淡々とした口調から、私の胸にじりじりと伝わってくる。
私よりたった1つ年上のはずの彼女が、なぜあんなに「大人」に見えたのか。クラスのカーストなんて小さなプライドを、私が恥ずかしいと思わされたのか。その理由が、すべて分かった気がした。
彼女は、この過酷な異世界で、自分の力だけで17年間、必死にもがいて、生き抜いてきたのだ。
「政治の面子とかさ、そんなの気にしてる暇があったら、目の前のジャパイモを美味しく食べて、笑って生きた方が何倍もマシじゃんって。……それで、全部吹っ切れちゃった!」
アイちゃんはいつもの明るい笑顔に戻ると、星空に向かって大きく伸びをした。
「だからさ、ユア。突然こんな世界に呼ばれて、怖かったでしょ? 天狗になっちゃう気持ちも、私にはよーく分かるよ。だって、そうでもしないと心が押しつぶされちゃうもんね」
アイちゃんが私の手をそっと包み込んでくれた、その時だった。
「夜風は冷えますよ。あまり夜更かしをして、あなたが風邪を引いては看病のやり直しです」
「――えっ!?」
びっくりして振り返ると、いつの間にか私たちの真後ろに、銀髪をなびかせたシャルロットがそっとたたずんでいた。
湯気がふんわりと立ち上る、温かいスープの入った木製のお椀を2つ、私たちの手にそっと握らせてくれる。
あまりの気配のなさに心臓が跳ね上がったけれど、それ以上に頭に浮かんだのは別の疑問だった。
今までの私たちの会話、絶対に全部聞かれていた。
それなのに、シャルロットはアイちゃんの「白石愛莉」という名前に驚く風でもなく、私の「日本人」という言葉に首を傾げることもない。当たり前のように、私たちの横に並んで星空を見上げている。
何も言わないということは、もしかして。
あり得ない。そんな都合のいい偶然、あるわけがない。
だけど、私の口は勝手に動いていた。
「あの、もしかして……シャルロットさんも、転生者なんですか?」
自分でも、なんておかしなことを聞いているんだろうと思った。もしこの世界の普通の人が聞いたら、頭がおかしくなったのかと笑い出すに決まっている。
しかし、シャルロットは怒ることも呆れることもなく、ただ優しくフッと微笑んだ。
月明かりに照らされたその笑顔は、いつもの冷徹な表情とは違って、まるですべてを包み込んでくれるような、とてつもない温かさに満ちていた。
シャルロットは静かに息を吸うと、懐かしそうに目を細めて話し出した。
「わたしはね、前世は日本で92歳まで生きて、たくさんの子供や孫たちに囲まれながら、大往生したの。その後、この世界でシャルロットに転生したのですわ。あるきっかけで前世の記憶が戻ったのだけれど……」
「え、きゅうじゅう……に、さい……!?」
あまりの数字の大きさに、私の頭は今日一番の大パニックを起こした。
高2のアイちゃんどころの騒ぎじゃない。中身がリアルにおばあちゃん。それも、人生の酸いも甘いも全て知り尽くした、ウルトラ大ベテランのレジェンドだ。
さっき、隊長を「お黙りなさい」の一言でフリーズさせた、あの異次元の迫力。あれはただの威厳だけじゃない。92年間、激動の日本を生き抜いてきた「本物の人生の重み」が、あの短い言葉にすべて乗っかっていたからなんだ。
私が口をあんぐりと開けて固まっていると、シャルロットは私たちのやり取りを優しい目で見つめながら、アイちゃんの方を見て、悪戯っぽくクスッと笑った。
「……二人とも、お喋りはそのくらいにして、早く騎士たちの様子を見に行きましょう。血が足りない男たちをいつまでも放っておけないですわ」
アイちゃんも「あはは! びっくりするよねー!」と声を上げ、2人で本当に楽しそうに顔を見合わせて笑い合っている。
「だからユア、心配しなくていいわ。ここは他国の最果ての村だけれど、あなたの味方はちゃんとここにいる。92年の知恵と、高2の根性があれば、教国の大人たちくらいどうとでも転がせるから」
シャルロットはそこで言葉を一度区切ると、私の真っ黒に汚れた手を包み込み、諭すようにまっすぐ私を見つめた。
「それから、これだけは覚えておきなさい。あなたのその素晴らしい魔法を、大人たちの都合よく利用されることだけは絶対に止めなさい。神だの、聖女だの、国だの、そんな大きなものにあなたの人生を明け渡してはダメよ。これからは――あなたの好きにしなさい。自分が助けたいと思った人を、あなたの意志で助ければいいの」
「私の……好きに……」
「ええ。もし教国の大人たちがあなたを縛ろうとするなら、このおばあちゃんが全員まとめてお説教してあげるから」
シャルロットが、私の頭を優しくポンポンと撫でてくれる。その手の温かさは、元の世界にいた私のおばあちゃんの手の温もりと、まったく同じだった。
満天の星空の下、温かいスープの湯気が揺れている。突然異世界に放り込まれて、ずっと張り詰めていた私の心の糸が、この夜、本当に優しく解きほぐされていくのが分かった。




