第七十二話 滞留決定と、最初の会話
誰もが、何も言えない雰囲気だった。
聖騎士の隊長も神官たちも、完全に銀髪の少女の底知れない迫力に気圧され、幽霊でも見たかのように青ざめて立ち尽くしている。
重苦しい沈黙が納屋の前を包み込む中、パン、と小気味よく手を叩く音が響いた。
「じゃあ、滞留ということで決定ね!」
ひまわりが咲いたような明るい声でそう言ったのは、栗毛の少女だった。
「隊長さんも神官さんも、そうと決まればやることいっぱいだよ! 騎士さんたちのために、村の広場に食事の準備を頼んであるから。ほらほら、みんなで運ぶの手伝ってー!」
栗家の少女に背中をポンポンと叩かれ、教国の大人の男たちが「は、はいっ!」「ただちに!」と、まるで厳しい先生に怒られた子供のようになだれを打って退散していく。あんなに威張っていた隊長も、魂が抜けたような顔でそそくさと馬車のほうへ走っていった。
嵐のような大人たちが去り、納屋の前には、私と、銀髪の少女、側でお湯の片付けをしていた栗家の少女の3人だけが残された。
銀髪の少女はふぅ、と小さくため息をつくと、昨日の疲れが残っているのか、気怠そうに納屋の壁に背中を預けた。
私は、さっきの銀髪の少女の姿が頭から離れず、心臓をバクバクさせながら、比較的話しやすそうな栗毛の少女のほうへ勇気を出して一歩近づいた。
「あ、あの……いまの、何……?」
声が少し震えてしまう。一瞬で人の背後に回り、大人の聖騎士に本気の死を予感させるなんて、ただの村娘にできるわけがない。
私の問いかけに、栗毛の少女は琥珀色の瞳をくりくりと動かし、人良さそうに首を傾げた。
「あはは、いまの? うーん、私もよくわからないけれど、時々ああなっちゃうのよねー」
「よくわからないって……! 隊長さん、完全に首をハネられる幻覚見たよ!?」
「でも、誰も首跳んでないじゃん。よかったよかった!」
栗毛の少女はあっけらかんと笑いながら、私の大焦りを「気にしすぎだよー」とでも言うように手でパタパタと煽った。
その吹っ切れたような明るい笑顔を見ていると、なんだかこっちまで、さっきの恐ろしい緊張感がどうでもよくなってくるから不思議だ。
「それよりさ!」
栗毛の少女が私の顔を覗き込んできた。
「昨日からずっと気になってたんだけど、あなたの名前、なんていうの? あんな凄い魔法、私初めて見たよ!」
凄い魔法、と言われても。いまの私には、そんな言葉はこれっぽっちも響かなかった。だって、さっきの銀髪の少女の誰も真似できない凄まじい身のこなしや、辺りの空気さえ一瞬で凍らせるような本物の恐怖を見せられた後だ。私のチート魔法なんて、ただ女神様から貰っただけのもの。あっけにとられて、ドヤ顔をする気なんて1ミリも起きない。
(……あ、そっか。この子、自己紹介をしようって言ってくれてるんだ)
じっと私を見つめる、栗家の少女の琥珀色の瞳。
よく見ると、彼女も本当に不思議な少女だった。
現世の学校のクラスで例えるなら、カーストの順位なんて最初から全く気にも留めていなくて、だけどいつもクラスの中心でみんなを優しく照らす、陽だまりのような存在。
いや、違う。きっと彼女は、精神的にすごく「大人」なのだ。
それに比べて、今までの私はどうだっただろう。
カーストの上の方にいるとかいないとか、異世界でチヤホヤされてイージーモードだとか……。そんな小さくて、子供っぽいプライドにしがみついて天狗になっていた自分のことが、今はひどく恥ずかしかった。
私はごくりと唾を飲み込み、泥のついた法衣の裾をぎゅっと握りしめた。
もう、嘘のプライドで自分を大きく見せるのはやめよう。等身大の、ただの女子高生として、私は彼女たちとちゃんと向き合いたかった。
「……私は、星野結愛。こっちの世界の人には呼びにくいみたいだから、ユアって呼んで」
「星野さんか、よろしく」
栗家の少女にそう言われて、私はギョッとした。
(えっ……、いま、星野さんって言った……!?)
頭の中が一気にパニックになる。
この世界の人はファーストネームが前に来る。だから、私が日本でのノリのまま「星野結愛」と名乗れば、この世界の人なら間違いなく『星野』が名前で、『ユア』が苗字だと思うはずなのだ。お世話係の神官たちだって、私のことを当たり前のように「ユア様」と呼んでいた。
それなのに、この栗毛の少女は、なんの迷いもなく私を「星野さん」と呼んだ。
驚きで固まる私を見て、栗家の少女は琥珀色の瞳をいたずらっぽく細めると、私の顔を覗き込んで、内緒話をするように声を少し落とした。
「じゃあ、私も昔の名前を言っちゃおうかな。白石愛莉。……いまはアイリスだけど、ユアはアイちゃんでいいよ」
「……えっ!?」
あまりの衝撃に、私の頭は完全にフリーズした。
しらいし、あいり。それは間違いなく、私が元いた日本という国の、女の子の名前の響きだった。
驚愕する私とは対照的に、アイちゃんの態度はどこまでも自然で、すべてを受け入れたような大人の落ち着きがある。過去にどんなドラマがあって、どうやってこの世界の人間になったのかは分からないけれど、今の彼女が「いろいろ吹っ切れている」ことだけは、その笑顔を見ればよく分かった。
異世界に突然放り込まれて、ずっと心のどこかで孤独だった。天狗になって虚勢を張っていたのも、本当は怖くて仕方がなかったからだ。そんな私の前に現れた、日本の名前を持つ、陽だまりのような優しい先輩。
小さな子供っぽいプライドを持っていた自分をひどく恥じると同時に、私の胸の奥には、張り詰めていた涙がまた少し込み上げてくるような、言葉にできない安心感が広がっていった。
壁に寄りかかったままの銀髪の少女が、私たちのやり取りを優しい目で見つめながら、静かに自分の名前を口にした。
「シャルロットです。よろしくね。……二人とも、お喋りはそのくらいにして、早く騎士たちの様子を見に行きましょう。血が足りない男たちをいつまでも放っておけませんわ」
シャルロットは、アイちゃんが「白石愛莉」と名乗ったことに対して、驚く風でもなく淡々としていた。きっと、最初からアイちゃんの過去を知っているのだろう。2人の間にある深い信頼関係が、その短いやり取りからも伝わってきた。




