第七十一話 空気をも凍らせる少女
「――お黙りなさい」
一歩前に進み出たのは、銀髪の少女だった。
隊長の声を引き裂くように響いたのは、鈴の音のように澄んでいながら、背筋が凍るほど冷徹な、文字通り凍えるような声だった。
同時に、この場の空気そのものが一瞬で張り詰めるような、恐ろしいほどの威圧感が周囲を支配する。
その声を聞いた者は、誰一人として指一本動かすことすらできなかった。
さっきまで大声を上げて焦り狂っていた教国の隊長ですら、目を見開き、声を震わせたまま二の句が継げない状態に陥っている。
(な、なんなの……この空気……っ)
私は恐怖のあまり、息をすることすら忘れて硬直していた。
とても自分と同じくらいの年齢の、一人の少女が出すような迫力ではない。
元の世界の学校で、クラスを牛耳っていたカースト最上位のボスの女の子だって、こんな恐ろしいオーラは持っていなかった。触れたら一瞬で斬り捨てられそうな、鋭利な刃物のような緊張感。
泥だらけの服を着ているはずの銀髪の少女が、今はとてつもなく巨大な存在に見えた。
銀髪の少女は、完全に蛇に睨まれた蛙のようになっている隊長を一瞥すると、冷徹な青い瞳をさらに細めた。
「完治、ですか。……浅はか極まりない。あなたの目は節穴ですか? 確かに彼女の魔法は素晴らしく、外傷はすべて塞がりました。ですが、床に流れたあの大量の血は、一体どこから補うつもりですか? 体内の水分は? 飢えた胃袋は?」
一歩、銀髪の少女が歩みを進める。
それだけで、隊長がびくりと肩を揺らして半歩下がった。
「血も水分も失い、中身がスカスカの男たちに重い鉄の鎧を着せ、この炎天下を行軍させるというのなら、それは進軍ではなく、ただの『処刑』です。教国の聖騎士団とは、無知な上司の面子のために犬死にさせられる哀れな人形の集まりなのですか?」
銀髪の少女の放つ圧倒的なプレッシャーに潰されそうになりながらも、隊長は何とか声を絞り出した。
聖騎士としての最低限のプライドが、彼を辛うじて動かしているようだった。
「だ、だが我々は教国の命令で動いている! 一介の村娘に指図される筋合いは――」
そう言い切ろうとした、次の瞬間だった。
「――え?」
私の目の前で、隊長の視界から銀髪の少女の姿が、かき消えるように消えた。あまりの速さに、目が追いつかない。
気がついたときには、彼女はいつの間にか、隊長のすぐ後ろに回っていた。
「めんどくさいですわね……。大勢の命を犠牲にするくらいなら……」
隊長のすぐ耳元で、銀髪の少女の冷たい声が囁かれる。
その瞬間、隊長の体がびくんと強張った。
彼の頭の中では、今まさに自分の首筋に冷たい刃物を押し当てられているような、そんな強烈な感覚――いや、『気がした』のだ。
隊長は額から滝のような冷や汗を流し、呼吸すら止めて完全に硬直している。もし彼女がその気なら、自分の命は今この瞬間に終わっていた。本能がそう理解したのだろう。
張り詰めた沈黙が、納屋の前に満ちる。
だが――。
「あっと、ごめんなさい。私も疲れすぎて、ちょっと苛立っちゃったみたい」
すとん、と。それまで辺りを支配していた恐ろしい緊張感が、嘘のようにすっと消え去った。
「へ……?」
思わず、マヌケな声が出てしまった。振り返った銀髪の少女は、さっきまでの冷徹なオーラを綺麗さっぱり消し去って、ドロドロに汚れた自分の服をパンパンと叩きながら、少し困ったように微笑んでいた。
首筋に刃を感じていたはずの隊長も、実際には何も当てられていなかったことに気づき、はっとしたように自分の首を手で触る。もちろん、傷一つついていない。
「昨日は一晩中、怪我人の手当てをしていましたから。……とにかく、私の言いたいことはそれだけです。彼らをどうするかは、教国の偉いお役人さまである、あなた方がお決めなさい」
銀髪の少女はいつの間にか、丁寧だけどどこか冷めた態度に戻っていた。
だけど、一度でもあの『死の錯覚』を味わわされた隊長や神官たちに、もう彼女の言葉を無視する度胸なんて残っていなかった――。




