第七十話 無理な出発と、銀髪少女の喝
翌朝、納屋の中は、昨日の地獄が嘘のように静まり返っていた。
ワラの上に横たわる騎士たちは、昨日一番の重傷だったあのイケメン騎士を除いて、全員がすでに意識を取り戻し、落ち着いた状態で回復していた。
夜遅くまで不安と焦燥でどうしても眠れなかった私も、朝方になって張り詰めていた糸が切れ、いつの間にか泥のように眠ってしまっていたらしい。
目を覚ました私は、自分の服が血で汚れているのも気にせず、真っ先にあの重傷だった彼の元へと駆け寄った。
「……あ」
彼の胸に手を当ててみる。規則正しく、すうすうと健康的な寝息を立てている。
それを見た瞬間、胸の奥の塊がスーッと溶けていくような、心からの安堵が押し寄せてきた。よかった。私の魔法、ちゃんと効いてたんだ。
ほっとして納屋の重い木の扉を開け、外の新鮮な空気を吸いに出た、その時だった。
「――ですから! 猶予はないのです!」
納屋の前で、聖騎士の隊長と数人の神官たちが、険しい顔で何事かを相談していた。彼らは私の姿を認めると、血相を変えてドタドタと駆け寄ってきた。
「おお、ユア様! お目覚めですか!」
「隊長さん、どうかしたんですか……?」
私の問いかけに、隊長は焦りを隠せない様子でまくし立てた。
「ユア様、ここはヴァルハイト帝国の最端、エデン村です。教国南端から王国へ抜ける経路で落盤が起きた以上、我々は予定外のルートで帝国の領地に留まっている状態です。いくら帝国と王国の流通の要である豊かな村とはいえ、他国の国境沿いです。いつどんなトラブルに巻き込まれるか分かりません! 聖女様をこのような場所に長居させるわけにはいかない。騎士たちの傷も治ったようですし、今すぐ出発しましょう!」
「えっ!? で、でも、みんなまだ……」
おろおろとする私を置いてきぼりにして、隊長や神官たちは「さあ、さあ、すぐに身支度を!」「馬車の準備をさせろ!」と、有無を言わさぬ勢いで急がせてくる。
天狗になるのを辞めて、自分の無力さを知った今の私は、大人の威圧的な態度にどう言い返していいか分からず、ただ縮こまることしかできなかった。
「――ちょっと待って。出発なんて無理だよ」
その時、怪我人の片付けを終えた納屋の中から、銀髪の少女と栗毛の少女が出てきた。一歩前に出た栗毛の少女が、琥珀色の瞳をまっすぐ隊長に向けて、明るく、だけどはっきりと告げた。
「みんな傷は治ってるように見えるけど、体の中はスカスカなの。血も水分も全然足りてないんだから。ここで無理に動かしたら、全員バタバタ倒れちゃうよ? ちゃんとこの村で休ませて、回復させてからじゃないとダメ!」
栗毛の少女の、現実を踏まえた完璧な正論。
しかし、焦り切っている教国の隊長は、ただの村娘に口を挟まれたことに猛烈に不機嫌そうな顔をした。
「黙れ、小娘が! 神聖なる教国の巡礼旅の予定を、ただの一般人が遮るなど不敬であるぞ! 騎士たちの傷は聖女様の奇跡で完治している! 貴様のような小娘に何が分かる!」
隊長の怒号が響き渡る。
怒鳴られた栗毛の少女は「ちぇっ」と少し眉をひそめたが、おびえる様子はなく、どこか呆れたように肩をすくめてみせた。その吹っ切れたような態度が、さらに隊長を苛立たせる。
「いい加減にしろ! これ以上出発を遅らせる者は、聖女様への反逆とみな――」
「――お黙りなさい」
隊長の声を引き裂くように響いたのは、鈴の音のように澄んでいながら、背筋が凍るほど冷たい、一人の少女の声だった。
一歩前に進み出たのは、銀髪の少女だった。




