第六十九話 天狗の終わり、聖女の始まり
納屋の建物をきしませるほどの凄まじい黄金の光が、ゆっくりと収まっていく。
まぶしさに目を細めていた周囲の人々が、恐る恐る視線を戻した。
私の手のひらの下――そこには、信じられない光景が広がっていた。
「……あ、え?」
さっきまで肉に食い込んでいた白銀の鎧は、歪んでひしゃげたままだ。だけど、その引き裂かれた鉄の隙間から覗く彼の胸元には、骨折どころかすり傷一つ残っていない。
あれほどどくどくと溢れ出ていた血は完全に止まり、白く滑らかな皮膚が何事もなかったかのように再生していた。
「う……ん……」
騎士の男の長い睫毛が揺れ、うっすらと意識を取り戻した。
男の瞳に、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、必死に自分を見つめている私の顔が映る。
「ユア……様……?」
かすれた声で私の名前を呼んだ男は、私が無事なことを見て安心したのか、それとも痛みが完全に消え去ったからか、すぐに穏やかな、静かな寝息を立て始めた。
魔法『ハイ・ヒール』は、傷や損傷を完璧に元に戻す。だけど、床のワラに吸い込まれてしまった「失われた血」までは戻らない。彼の顔はまだ真っ白だし、ひどく貧血の状態で、今すぐ起き上がって戦うことはできないだろう。
――だけど、この人はもう、大丈夫だ。
「おおお……! なんという、なんということだ……!」
張り詰めた空気の中、神官の一人が震える声で叫び、床に膝をついた。
「誰もが諦めた致命傷を、一瞬で……! これぞ女神の奇跡! 聖女ユア様の真の御力だ!!」
「聖女様万歳!」
「ユア様が、我らの仲間を救ってくださったぞ!」
納屋の中に、地鳴りのような歓声と、むせび泣く声が響き渡る。
隊の全員が私を本物の救世主として仰ぎ、崇めるような眼差しで涙を流していた。
少し前の私なら、この歓声を浴びて、間違いなく天狗になってドヤ顔をしていただろう。
「ふふん、私ってばマジ天才?」なんて、心の中で調子に乗っていたに違いない。
だけど――もう、天狗になるのは止めた。
そこから先は、奇跡のファンタジーなんかじゃなく、ただの過酷な「作業」だった。
「そこのあなた、次です! 鎧を剥ぎ取るので、傷口を水で洗浄するまで魔法は待ってください!」
「アイちゃん、清潔な布を! 早く!」
銀髪の少女の鋭い指示が飛ぶ。私は言われるがままに、血と泥にまみれた床を這い回り、指示された騎士の元へと次々に両手を突き出した。
ただ魔法を使って傷を塞げばいいわけじゃない。
泥がついたまま治せば傷口が腐るから、まずは水で徹底的に洗い流す。
肺に血が溜まっている人には、体を横向きにさせて血を吐き出させてから、タイミングを合わせて『ハイ・ヒール』を放つ。
どれだけ魔力が無限でも、中身はただの高校1年生だ。生々しい怪我に触れ続ける恐怖、鼻を突く血の臭い、終わりの見えない疲労で、頭がおかしくなりそうだった。
だけど、私が光を放つたびに、誰かの激しい悲鳴がピタリと止まり、穏やかな呼吸へと変わっていく。その事実だけが、私の心を繋ぎ止めていた。
何回、魔法を唱えただろう。
全ての処置が終わったころには、納屋の隙間から見える景色は、すっかり真っ暗な夜になっていた。
「はぁ……、はぁ……」
疲れ果てて床に座り込み、周りを見渡す。
納屋の中には、昼間のあの地獄のような悲鳴はもうなかった。みんな傷が綺麗に塞がり、静かに眠っている。
気がつけば、納屋の中には銀髪の少女や栗毛の少女だけでなく、たくさんの村人たちが集まっていた。お湯を運び、布を裂き、騎士たちの体を拭き……村をあげて、総出でこの修羅場を助けてくれたのだ。みんな、泥と血でボロボロになりながら、安堵の息を漏らしている。
一歩一歩、ワラを踏みしめる足音がして、誰かが私の前に立った。
見上げると、顔中を煤と血で汚した銀髪の少女が、少しだけ表情を和らげて私を見下ろしていた。
「ご苦労様。あなたの魔法がなかったら、半分以上は助からなかったわ」
少女の、丁寧だけどどこか気品のある「ご苦労様」の一言。
それを聞いた瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れた。
私は袖で何度も涙を拭いながら、小さく、何度も頷いた。
チヤホヤされる天狗の女の子は、もういない。私の心には、元の世界にいた頃には絶対に感じられなかった、泥臭くて心地よい充実感が確かに残っていた。




