第六十八話 血まみれの銀髪少女
「……あ、う……」
涙で視界がぐにゃぐにゃに歪む中、私は自分の膝に顔をうずめたまま、うっすらと目を開けた。
耳を塞ぎたくなるような絶望の悲鳴と、鼻を突く強烈な血の臭い。その地獄のど真ん中で、信じられないほど凛とした、鋭い少女の声が響き渡った。
「ギルバート様、早くして! 心臓から近い血管を抑えるように縛るのです!」
……え?
涙を拭い、ぼやける視界を必死に凝らす。
そこにいたのは、私とちょうど同じくらいの年齢に見える、綺麗な銀色の髪をした一人の村娘だった。
彼女の着ている質素な服は、すでに飛び散った返り血で真っ赤に染まっている。その細い両手も、爪の中まで泥と血でドロドロだった。だけど彼女は、そんな汚れなんて1ミリも気にする様子もなく、大怪我を負った騎士の体にのしかかるようにして必死に処置を続けていた。
「傷は洗浄しなさい! 泥が入ったままだと、後で傷口が腐って手遅れになります!」
「もっと大量の水を持ってきて! アイちゃん! 湯を沸かして!」
「鎧が食い込んでいる!力を貸して!」
彼女が指示を飛ばすたびに、周りの大人たちや無事だった聖騎士たちが「は、はいっ!」と必死な顔で動き回る。
その彼女のすぐ側では、同じく17歳くらいに見える栗毛色の髪に琥珀色の瞳をした少女が、必死な顔でお湯の入ったバケツを運んだり布を裂いたりして彼女を支えていた。
その光景を見て、私の頭にガツンと衝撃が走った。
私は無限の魔力を持っていて、最強の回復魔法が使える『聖女』のはずだ。周りの大人たちからも、神様みたいに拝まれていた。それなのに、いまの私は恐怖で腰を抜かして、床に丸くなって泣いているだけ。
魔法も何も持たないはずの、ただの村の女の子たちが、自分の何倍も勇敢に、泥をかぶって命と向き合っている。
指示を飛ばしながら必死に布を縛り上げていた銀髪の少女が、バッと振り返った瞬間、その青い瞳が入り口で真っ青になってたたずんでいる私を捉えた。
少女は私の服が血で汚れていないのを見ると、その瞳に一気に鋭い怒りの炎を灯した。
「あなた、この隊の人!?」
凛とした声が、私に向かって飛んでくる。
「ひっ……」
喉が鳴る。声が出ない。私はただ、コクコクと小さく首を振るのが精一杯だった。
少女はドロドロに血のついた手をそのままに、地面を蹴って私に詰め寄ると、私の肩を力強く掴んで激しく揺さぶった。
「だったら、突っ立ってないで手を動かしなさい! あなたがそうしているだけで、今この瞬間にも誰かが死ぬかもしれないのよ!」
「でも、私……血が、こんなの見たことなくて……っ」
涙がボロボロと溢れ、声が裏返る。
そんな私の情けない姿を見て、銀髪の少女は一瞬だけ呆れたように目を細めたが、すぐに私の肩を突き放した。
「なら、こっちじゃなく向こうの手伝いをして! 湯はいくらあっても足りないのです!」
少女は私にそれ以上構うことなく、すぐに聖騎士の処置へと戻ってしまった。
冷たい床に取り残された私は、ただ座り込んで彼女の背中を見つめるしかなかった。自分と同じくらいの年齢の女の子なのに、彼女の処置はずいぶんと的確だ。周りの大人たちに指示を出しながら、次々と傷口を縛り、血を拭っていく。
まだ、誰も死んでいない。だけど、もうすぐ死にそうな人が、すぐそこにいる。
納屋の奥から、ヒュー、ヒュー、と、肺から空気が漏れるような苦しげな音が聞こえた。見れば、ひしゃげた白銀の鎧が胸の肉に深くめり込み、完全に肺を圧迫している騎士が倒れていた。さっき馬車の周りで見かけた、顔のいいイケメン騎士のひとりだ。彼の顔は、すでに生気を失って土気色に変色している。止めどなく流れ出る血。
(そうか……。この人の治療を後回しにしているのは、きっと……もう助からないと思われているからだ)
テレビのニュースで見たことがある。大災害の現場で、助かる見込みのない人の優先度を下げる『トリアージ』という残酷な現実。彼は今、見捨てられようとしていた。
栗毛色の女の子が、必死な顔でお湯を運んでいるのが見える。私は、そっちの手伝いに行けば、血を見ずに済む。怖い思いもしなくていい。
(……でも、それじゃダメじゃん)
私の指先を見る。
私のこの手には、どんな大怪我でも秒で元通りにする最強の回復魔法『ハイ・ヒール』があるのだ。
湯を運ぶだけなら、私じゃなくてもできる。だけど、あの死にそうな騎士を今すぐ救えるのは、世界中で私しかいない。
恐怖で、また指先が震えそうになる。
だけどその時、私の頭の中に、ついさっきまでの光景が鮮やかによみがえった。馬車の周りで、格好よく敬礼してくれたイケメン騎士たちの顔。私にお菓子を運んで、楽しそうに笑いかけてくれた彼の笑顔。私を信じ、期待の目を向けてくれた、あの温かい時間。
それを思い出すだけで、私が今ここで、何をやらなきゃいけないのかがハッキリと分かった。
恐怖が消えたわけじゃない。だけど、鼻水をすすり、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔のまま、私はその死にそうな騎士の前に膝をついた。
もう、目は逸らさない。
私は、彼の胸の一番ひどい傷口に、直接両手を当てた。
「っ……!」
手のひらに伝わってくる、人間の血の、生々しくて生暖かい感触。
心臓が口から飛び出そうなくらい跳ね上がる。だけど、もう目は逸らさない。私は手のひらに全ての意識を集中させた。
あのお調子者の、ポンコツな女神様の顔を思い浮かべる。頼むから、今だけはちゃんと仕事をしてよ。
(治れ……。お願いだから、治ってよ……!!)
彼の命を繋ぎ止めるように、私は心の底から強く祈り、叫んだ。
「――『ハイ・ヒール』!!」
次の瞬間、私の両手から、これまでとは比べ物にならないほどの、凄まじい黄金の光が爆発した。




