第六十七話 落盤事故と、エデンの村の納屋
巡礼の旅が始まってから、私は豪華な馬車の中で完全にお姫様気分を満喫していた。
「ユア様、こちらが教国特製の焼き菓子でございます」
お世話係の神官から差し出されたお菓子を齧りながら、私は心の中でひっそりとため息をつく。
見た目は綺麗なのに、やっぱりただ砂糖を限界までぶち込んだような暴力的な甘さで、生地は口の中の水分を全部持っていかれるくらいパサパサだ。
「あはは、ありがとー。でもこれ、ちょっと喉乾くね。お水もらえる?」
「は、ただちに!」
私がフランクに言えば、神官たちは慌てて最高級の水を用意してくれる。
窓の外を見れば、白銀の鎧を着たイケメンの聖騎士たちが、馬車の周りを囲んでガシャガシャと格好よく行進している。
歴史のお勉強はサボっちゃったし、巡礼の旅なんて言っても、結局は豪華な馬車に乗ってイケメンたちとドライブしているだけ。
(やっぱり異世界、マジでイージーモードすぎ――)
――地響き。
お腹の底を直接揺さぶるような、低い地鳴りが突如として響き渡り、お菓子を持つ私の手がピタリと止まった。
直後、馬車の前方――私たちを先導していた騎士たちの隊列のほうから、これまで聞いたことのないような怒号と悲鳴が聞こえてきた。
「なんだ!? 前方で何が起きた!」
「崖が崩れたぞ! 落盤だ、大規模な落盤が起きた!!」
「前列の第三小隊が巻き込まれた! 生き埋めだ、すぐに掘り起こせ!!」
ガガガガガーン!
遅れて響く、凄まじい岩の崩落音。
さっきまでののどかな空気が一瞬で吹き飛ぶ。馬車が急ブレーキを踏んだように激しく揺れて停車し、外の神官たちがパニック状態で走り回る足音が聞こえる。
(え……? いま、生き埋めって言った……?)
手の中のお菓子が、指の震えでポロリと床に落ちた。
頭の中が一気にパニックになる。
大事故。生き埋め。それは、私が今までテレビのニュースやスマホの画面の向こう側でしか見たことがない、遠い世界の話だった。なのに、いま、私の目と鼻の先でそれが起きている。
(待って。私、ただの女子高生だよ? 救命救急のドラマだって、グロいシーンは目を瞑ってたのに……!これ、私に治療してって言われる流れ?)
急に、自分の指先が氷のように冷たくなっていくのが分かった。
無限の魔力? 最強の回復魔法?
そんなもの、ただの言葉だ。3日前に女神様からおまけみたいに貰っただけで、私は自分の力で医者になったわけでも、訓練を積んだわけでもない。ただの、血を見るのも苦手な高1の子供のままだ。
「ユア様! ユア様、お降りください! 前方で大事故です!」
馬車の扉が荒々しく開けられ、私は神官に腕を強く引かれて外へ引っ張り出された。
「ユア様、急いでください! あなたの力が必要なのです!」
「あ、あの、私……っ」
言い訳を口にする暇もなく、神官たちに囲まれて走らされる。踏み出した足がもつれて転びそうになるのを、彼らの必死な手が無理やり支えて前へと進ませた。
先ほどまで私たちが走っていた街道は、崩れ落ちた巨大な岩と大量の土砂で完全に塞がっていた。その手前では、無事だった騎士たちが必死に土砂を退け、生き埋めになった仲間を引っ張り出している。
「負傷者を運べ! 街道は危険だ!」
「この先にある集落――『エデンの村』の納屋を借りた! そこへ負傷者をすべて集めろ!!」
指揮官らしき騎士の怒号が響く。
見れば、血まみれの仲間を背負ったり、即席の担架に乗せたりした騎士たちが、街道の脇道からエデンの村へと次々と走り込んでいくのが見えた。
その、凄惨な人の流れに巻き込まれるようにして、私も村へと走らされる。
向かう先は、崖崩れの現場から一番近い集落――『エデンの村』の、一番大きな納屋だ。
走る道すがら、前方の悲惨な状況が嫌でも耳に入ってくる。
「脚が岩に挟まれている!」
「出血が止まらない、このままでは村に着く前に!」
騎士たちの悲痛な叫び声。ただの擦り傷しか治したことがない私の胸に、冷たい塊がせり上がってくる。大事故。生き埋め。骨折。出血。
頭の片隅で、恐ろしい予感が膨らんでいく。これから私が向かう場所は、チヤホヤされる綺麗な部屋じゃない。本当の救急現場だ。
すでに何十人もの怪我人が運び込まれているのだろう。納屋の隙間からは、低いうめき声や悲鳴が漏れ聞こえていた。
納屋に近づくにつれて、心臓が壊れたみたいにドクドクと暴れだす。嫌な汗が全身から噴き出る。
「ユア様がいれば大丈夫だ!」「聖女様の奇跡を!」という周囲の期待の視線が、今は鋭い針のように突き刺さって痛い。
「ユア様! こちらです! 早く、彼らに癒やしの奇跡を……!」
緊迫しきった空気の中、神官が納屋の分厚い木の扉を勢いよく開け放った。
一歩、中に足を踏入れた瞬間。ツン、と鼻を突いたのは、これまでの人生で一度も嗅いだことのない、生臭くて鉄っぽい不快な臭いだった。
「……え?」
視界に飛び込んできたのは、きらきらした魔法のファンタジーなんかじゃなかった。
泥と、大量の、赤黒い血。
床に敷かれたワラの上で、さっきまで格好よく歩いていた騎士たちが、獣のような声を上げてのたうち回っている。
「うあああ! 足が、俺の足がぁぁ!!」
「おい! 目を開けろ! 死ぬな!」
一人の騎士の鎧がベキベキにひしゃげ、その隙間から、怪我が剥き出しになって見えていた。どくどくと、信じられない量の血が床を濡らしていく。その隣では、顔の半分から出血し、包帯を巻いた男が声を殺して震えていた。
これが大事故の現実。
テレビの画面じゃない。ゲームのグラフィックでもない。
目の前にあるのは、本物の、人間の血の海。凄惨な現場。
「ひっ……」
喉の奥から、情けない悲鳴が漏れた。さっきまで天狗になっていた私の心は、一瞬で粉々に砕け散った。
一対一の私の魔法『ハイ・ヒール』。これを治すためには、あのドロドロな怪我に、この手で直接触らなきゃいけない。あの血まみれの傷口を、じっと見つめて魔法をかけなきゃいけない。
無理。絶対に無理。
頭の芯がサーッと冷たくなっていく。膝の震えが止まらない。一歩も前に進めない。息の吸い方が分からなくなる。
「ユア様!? どうされました、早くハイ・ヒールを……!」
後ろから神官が叫んでいるけれど、その声も水の中にいるみたいに遠く聞こえる。
(嫌だ。見たくない。こんなの聞いてないよ……!)
「……え、無理、無理、グロい、帰りたい……っ!!」
私は自分の肩を抱きしめたまま、その場にガタガタと崩れ落ちた。




