第六十話 夜の深まりと、解けた心の温もり
時間はあっという間に過ぎ、外はすっかり夕闇に包まれていた。
時計の針の代わりに、外から聞こえる虫の声が夜の深さを教えてくれる。それまで楽しそうにアイリスと圭の会話に耳を傾けていたシャルロットが、名残惜しそうにしながらも、お上品にパンと手を叩いた。
「楽しいお話は尽きませんが、夜も更けてまいりましたし、今宵はここまでにいたしましょう。……さすがに、うちは女所帯ですからね」
クスリと微笑むシャルロットの言葉に、圭はハッとして自分のタンクトップ姿を見下ろした。確かに、年頃の女の子二人が暮らす家に、初対面の男、それもこんな妙な格好の奴を泊めるわけにはいかない。
「ですが、心配はいりませんわ。ここから少し離れたところに、わたくしたちの護衛兵士の宿舎がありますの。今から話を通してあげますから、一緒に行きましょう」
そう言って、シャルロットは夜道を案内するために立ち上がった。
かつての俺様モードの圭なら、「最強の俺に護衛の宿舎など必要ない!」と突っぱねていたかもしれない。だが、すっかり角の取れた今の圭は、「すみません、助かります……」と素真面目に彼女の後に続いた。
小川のせせらぎを聞きながら、静かな夜道を二人で歩く。
しばらく行くと、頑丈な木造りの建物が見えてきた。そこが護衛兵士たちの宿舎のようだった。宿舎の裏手からは、時折ヒヒンと静かな馬のいななきが聞こえる。立派な軍馬が五頭、繋がれている。
シャルロットが戸を叩くと、中から一人の男が顔を出した。
仕立てのいい軽装の鎧を纏った、鍛え上げられた体躯の騎士。彼こそが、この地でシャルロットたちを陰ながら守る兵士たちの隊長、ギルバートだった。
「これは、シャルロット様。このような夜更けに、一体いかがなされましたか?」
「夜分遅くに申し訳ありません、ギルバート様。実は、少し訳ありの迷子さんを拾いまして……。今夜一晩、こちらの宿舎で預かってはいただけないでしょうか」
二十五歳前後とおぼしき若き隊長・ギルバートは、彼女の言葉に一度深く頷いた。
「シャルロット様が仰るお方であれば、間違いありますまい。我らが命に代えてもお守りする貴方様のご紹介です、快くお引き受けいたしましょう」
そして、シャルロットの後ろで縮こまっている、タンクトップと寝間着姿という、どう見ても不審者極まりない格好の圭へと視線を向ける。
圭は思わず身構えた。だが、ギルバートの瞳に敵意はなかった。それどころか、フッと優しく目元を和らげたのだ。
「なるほど、それは災難でしたな。……歓迎いたしますよ、若き旅人殿。中へどうぞ。温かいスープの残りでも温め直しましょう」
ギルバートに促されて宿舎の中に入ると、そこには他にも四人の兵士たちがいた。皆、二十歳前後の若い男たちだ。
彼らはエデン村のある辺境領の領主・エドワードから、シャルロットの警護を直々に任されているエリート騎士たちなのだという。
異世界に来たばかりの頃、圭は国に雇われている兵士なんて、全員ゲームの「NPC」のようなものだと思っていた。ひとまとめで『兵士ユニット:1個』と数えるような、ただのデータに過ぎない存在――。
しかし、今こうして彼らと同じ部屋に集まり、言葉を交わすことで、圭はその認識が間違っていたことを痛烈に思い知らされていた。一人一人に名前があり、好みがあり、人生がある。彼らは間違いなく、自分と同じ血の通った人間なのだ。
「おいおい、なんだその格好は! ダンジョンで身ぐるみ剥がされちまったのか?」
「兄ちゃん、スープ飲むか? 肉はあんまり残ってねえけどよ!」
最初は、見知らぬ他人に声をかけられることが恐ろしく、鬱陶しいとさえ感じていた。
前世の引きこもり時代の癖が、一瞬だけ顔を覗かせたのだ。
だが、彼らはどこまでも陽気で、裏表がなかった。
温かいスープを啜りながら、若い兵士たちのくだらない冗談や武勇伝の失敗談に混ざって話しているうちに、圭の心はすっかり解きほぐされていった。
「あはは! いや、それはさすがに無理ありますって!」
気がつけば、圭の口からも自然と大きな笑い声が溢れていた。
前世の閉ざされた暗い部屋、ブルーライトに照らされた孤独な夜には、決して味わえなかった時間。同世代の男連中と肩を並べて、何気ない話で笑い合う楽しさが、圭の胸をじわじわと満たしていく。
「よし、お前ら。そこまでにしろ」
夜がいよいよ深まった頃、隊長のギルバートがパチンと手を叩き、全員を見回した。
「明日の警護に差し支えるからな。旅人殿も疲れているはずだ、もう寝ろ」
その厳しくも兄のような温かみのある言葉に、若い兵士たちは「ちぇー」「はーい」と口々に言いながら、寝床の準備をし始めた。
圭もまた、用意してもらった簡素ながらも清潔な寝床に潜り込む。
チートの数字に頼らなくても、この世界には、自分の知らない温もりがたくさん溢れている。
圭は心地よい疲労感と温かいスープの余韻に包まれながら、静かに、そして深く、前世よりもずっと満ち足りた眠りへと落ちていった。




