第五十八話 異世界の洋式便座
小田圭の頭の中は、激しく混乱していた。
土間にぽつんと腰掛け、台所で仲良く並んで立つ二人の女の子を見つめる。同年代の美少女同士が親しげにしている光景は、視覚的には何の違和感もない。
だが、その会話を聞いている聴覚が、圭の脳の処理を完全に狂わせていた。
「アイちゃん、そこにあるお塩を取ってくださる?」
「はーい、おばあちゃん。はい、どうぞ!」
シャルロットはアイリスを「アイちゃん」と呼び、アイリスはシャルロットを「おばあちゃん」と呼んでいる。
どう見ても十六歳前後の、どが付くほどの超美少女を、「おばあちゃん」である。
レベル74の蜘蛛を瞬殺したあの異次元の技術といい、数値の変化しないステータスといい、圭のパニックは限界に達しそうだった。
そのうち、台所から食欲をそそる豊かなスパイスの香りが漂ってきた。
それは前世の日本で誰もが嗅いだことのある、紛れもない「肉じゃが」の匂いだった。彼女たちが手作りしようとしているのは、手作りのお醤油を使った本物の肉じゃがなのだ。
ぐう、とお腹が鳴る。これ以上、空腹と謎で頭をおかしくされてはたまらない。圭はひとまず冷静になるため、本宅から少し離れた場所にあるトイレへ行くことにした。
だが、トイレの扉を開けた瞬間、圭は再び目を剥くことになった。
(……匂いが、しない?)
この世界にやってきて以来、圭は異世界のトイレ事情の劣悪さをいやというほど経験してきた。どこに行っても不衛生で、酷い悪臭がするのが当たり前だったのだ。
ところが、この一軒家のトイレは驚くほど無臭だった。どう見ても水洗トイレのような大がかりな仕組みには見えないのに、なぜ臭わないのか。
(……いや、まさか魔導具か?)
異世界ファンタジーで定番の、魔法で消臭するマジックアイテムの類だろうかと室内を見回したが、それらしい文字や魔石の気配は一切ない。そもそも、この世界でその手のマジックアイテムがあれば普遍的に使われているはずだ。他の場所であれほど劣悪なトイレ環境を見てきた以上、その可能性は低い。
次に圭の脳裏をよぎったのは、魔物を処理に利用する『スライムトイレ』だった。しかし、この世界においてその説はすでに否定されている。排泄物を食べたスライムが富栄養化によって急激に増殖し、汚物まみれのスライムが便器からあふれ出てくるという大惨事が発生するからだ。スライムの増殖コントロールは、ほぼ不可能である。前世の地球で、汲み取り式トイレからハエが湧くのを完全に防ぐのが困難だったのと同じことだ。当然、ここにもスライムの姿はない。
さらに驚くべきことに、そこには便座のある『洋式トイレ』が設置されていた。この世界に来てから、圭は洋式便座など一度も見かけたことがなかった。
(……一体、どういう仕組みなんだ?)
好奇心と、かすかな警戒心を抱きながら、圭は便器へと近づいた。木製の便座のフタを、恐る恐る持ち上げてみる。
なじみ深い水洗トイレのように、底に水が張られているわけではなかった。かといって、悪臭が立ち上るボットン便所の暗黒が広がっているわけでもない。便器の底に詰まっていたのは、細かく砕かれた大量の「木炭の粉」だった。
「黒い……粉……? なんでトイレに……」
圭の知識では、これが何という仕組みのトイレなのかまでは分からなかった。ただ、水も魔法も使わずに、この黒いおがくずのような粉末だけで悪臭を完全に抑え込んでいることだけは理解できた。
ふと横を見ると、編み込まれた小さなカゴが置かれていた。
その中には、シルクのように柔らかくて破れにくい、乾燥させた『高級な薬草の葉』が山積みにされていた。どうやらこれがお尻を拭くための「紙」の代わりらしい。
魔法でも魔物でもない。
そこにあったのは、この世界の劣悪な衛生環境を嫌悪した誰かが、泥臭い工夫と執念で作り上げた未知のシステムだった。
(……これを作った奴、ただ者じゃないな)
強烈な個性を放つ便器を前にして、圭は背筋にゾクりとしたものを感じていた。
◇
用を済ませた後も、圭の心臓のバクバクは収まらなかった。
楽しそうに料理を続けている二人のところへ、意を決して戻った。本来の高1の圭は、女の子たちが盛り上がっている輪の中に割り込む勇気など逆立ちしてもでないタイプだった。しかし、膨れ上がった疑問がそのコミュ障なビビり心を完全に上回っていた。
「あ、あのぉ……」
蚊の鳴くような小さな声で、圭は声をかけた。
驚いたように振り返る二人に、圭は震える指でトイレの方を指しながら、その仕組みについて尋ねた。
すると、シャルロットがふわりと微笑み、誇らしげに答えてくれた。
「あれはコンポストトイレと言いますの。日本の『知恵』で作った、微生物の力で分解するトイレですわ。そして、あの洋式便座はわたくしのお手製ですの。むふ」
シャルロットは少し自慢げに、可愛らしく胸を張った。
(――日本!?)
アイリスからではなく、グランベル王国の公爵令嬢であるはずのシャルロットの口から出たその単語に、圭の全身に電撃が走った。
もしかして、アイリスだけでなく、このシャルロットも元日本人なのだろうか。
目の前にいる二人は、どこからどう見てもお人形さんのような西洋風の超美少女だ。そんな彼女たちの口から飛び出す「コンポストトイレ」や「昔の日本」という奇妙なワードに、圭のゲーム脳は今度こそ完全にクラッシュしかけていた。




