第五十五話 銀髪公爵令嬢のマイペース
「ほら、汗だらけじゃないですの。見苦しいですわね」
シャルロットにそう言われても、圭は「はい」としか言い返せなかった。
じっとりとした嫌な汗。だが、それはこの上級ダンジョンの蒸し暑さのせいでは断じてない。目の前にいる、ステータス最弱のはずの少女に対する「底知れない恐怖」のせいだった。
するとシャルロットは、圭の寝間着姿をそれ以上気にする様子もなく、圭が脱ぎ捨てた黒いコートを拾い上げた。そして、その場でいそいそと、驚くほど綺麗にコートをたたみ始めたのだ。
(な、なんなんだ、このお嬢様は……)
そのあまりにもマイペースでお行儀の良い仕草を見て、圭のパニックは少しずつ収まっていった。どうやら、話が全く通じない化け物というわけではなく、自分に害を与える存在でもないらしい。
圭は未だにガクガクと震える膝を押さえながら、なんとか声を絞り出した。
「……お前、こんな危険な場所に、なんで一人でいるんだよ」
「この先に、どうしても欲しいものがあるのですわ」
シャルロットはたたんだコートを丁寧に小脇に抱え、氷藍の瞳で洞窟の奥を見つめた。
その答えに、圭は眉をひそめる。
確かに、この少女の『死角を見切る技術』や『関節を極める技術』は異常だ。だが、彼女のステータスはレベル1。筋力も俊敏も、一般の子供並みでしかない。
この先の上級ダンジョンは、複雑で凶悪な罠がいくつも仕掛けられている。さらにその最深部には、『階層主』が待ち受けているのだ。
得体の知れない恐ろしい少女だ。それは間違いない。
だが、前世ではビビりのゲームオタクだった圭にも、最低限の良識はある。ここで彼女を一人にして放っておくほど、圭の心は冷たくはなれなかった。
(チッ……ALL 99のこの俺様が、レベル1のお嬢様を置いて逃げたなんてなったら、男が廃るからな)
「おい。そこまで言うなら、俺がついてってやるよ。この先は雑魚ばっかりじゃねえ。俺の力が必要になるはずだ」
タンクトップに寝間着姿という、最高に締まらない格好のまま、圭はなんとか「俺様」としての威厳を保とうと、ふんぞり返ってみせるのだった。
◇
驚いたことに、周囲のヘルハウンドたちは、なぜか二人へ全く襲ってくる気配を見せなかった。
それどころか、進路の途中で遭遇する他の獣型モンスターたちまでもが、牙を剥くことすらしない。まるで何かを恐れるように、ただ遠巻きに二人の様子を眺めているだけだった。
(なんなんだ? 俺のカンストしたステータスにビビってんのか? ……いや、それにしては、みんな俺じゃなくてこのお嬢様を見てる気がするんだが……)
圭がそんな疑問を抱きながら歩いていると、突如、懐の魔道具がけたたましく鳴り響いた。ちょっと浅慮な女神から授けられたチートアイテムの一つ――『危険探知機』だ。
ピピピピピ! と、危険探知機が真っ赤なビーコンを激しく点滅させる。
「おい、止まれ! この先には罠がある、危険だ!」
圭が慌てて声を張り上げた。しかし、シャルロットはすでにその場にしゃがみ込み、何かをごそごそと始めている。
「これの、ここをこうして……。はい、隙間に石を押し込みましたわ。これで大丈夫ですわ」
シャルロットが立ち上がってスカートの砂を払う。
すると、あんなに激しく鳴っていた危険探知機の赤いビーコンが、一瞬で安全を示す「青」へと切り替わった。
(は、はあ!? 嘘だろ、女神のチートアイテムが一瞬で黙ったぞ!? 石ころ一個で罠解除したのかよ、このお嬢様……!?)
驚愕のあまり開いた口が塞がらない圭をよそに、シャルロットはフンスと小さく鼻を鳴らした。
「そんなに驚くことではなくてよ。重量感知式のスイッチなんて、構造さえ知っていればこんなの一目瞭然ですわ」
「い、一目瞭然って……」
「さあ、先を急ぎますわよ」
シャルロットはトコトコとマイペースに歩き出す。タンクトップ姿の勇者は、もはや彼女の後ろ姿を唖然と見送ることしかできなかった。
◇
さらに奥へと進むと、再び危険探知機が音を立てた。今度は不吉な「紫」のビーコンを示している。
「……毒地だ! 危険だぞ!」
圭自身はチート能力で『毒耐性』がカンストしているため、どんな猛毒だろうが平気だ。
しかし、隣にいるのはステータス最弱の一般人お嬢様である。こんな有毒ガスが充満する地帯に突っ込めば、ひとたまりもない。
「ここは危ねえ、俺が――」
守ってやる、と告げようとした圭だったが、言葉が喉で詰まった。
シャルロットを見れば、いつの間にかどこからか取り出した濡れたタオルを、自分の鼻と口にしっかりと当てていたからだ。
「んむー(貴方も)、んむむー(口を抑えなさいな)」
「え? 何言って……」
シャルロットは一度タオルを少しずらし、呆れたようにため息をついた。
「ですから、貴方もハンカチか何かで口を抑えなさいな、と言ったのですわ。この先の群生植物は胞子が毒になっていて、吸い込むと肺で悪さをするんですの。でも、水に吸着しやすい性質だから、こうして濡れタオルを通せば防げますわ」
シャルロットは何事もないかのように淡々と毒の性質を分析すると、足早に先へ進んでいく。
危険探知機の紫のビーコンは警告音を鳴らしっぱなしだったが、シャルロットは濡れタオル一枚の知識だけで、あっさりと毒地地帯を脱出してしまった。
(俺のカンストした毒耐性の出番、完全にゼロじゃねえか……)
タンクトップ姿の圭は、ただただ少女の後ろ姿を唖然と見つめながら、その後に続くしかなかった。




