表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
55/84

第五十話 辺境伯の褒賞と、氷の首相の遠雷 (第1章 完結)

「はぁー、お醤油の染みた肉じゃがは、いつ食べても本当にお腹が落ち着きますわ」


私は、空になった大きなお皿を見つめながら、温かい緑茶をずずっと啜って満足なため息を漏らしていたの。


エドワード様もマルクさんも、おばあちゃん特製の肉じゃがを最後の一滴まで綺麗に平らげてくださってね。生まれたての小鹿みたいにガクガク震えていたエドワード様も、ようやくいつもの完璧な美男子の有能領主様らしい、凛とした落ち着きを取り戻されたわ。


お腹がいっぱいになって一息ついたところで、エドワード様は端正な面持ちのまま、すっと姿勢を正して私を真っ直ぐに見つめられたの。


「シャルロット嬢。今回は新しくなった大農園の視察だけでなく、素晴らしい食事まで振る舞っていただき、重ねて感謝する。……そこでだ。近いうちに、我が辺境伯城へ君を招待したいのだが、受けてはくれまいか」


「まぁ、エドワード様のお城へ、ですか?」


私が湯呑みを抱えたまま小首を傾げると、エドワード様はこれ以上ないほど大真面目な顔をして、格調高い領主言葉で語り始めたわ。


「うむ。君がもたらしてくれた『輪作』による農法改革は、我が領に歴史的な大成功をもたらした。これは私個人だけでなく、我がエドワード領の全体で称えるべき偉業だ。近隣の有力者たちを広く城へ招き、君を公式に称えるための『大褒賞パーティー』を催したい。……現場を預かる領主として、筋を通させてもらいたい」


エドワード様はそこで言葉を区切ると、じっと私を見つめ、少し声を潜めて付け加えた。


「――それから、これは領主としてではなく、私個人のこだわりだ。当日のドレスと宝石は、私に君の一番似合うものを用意させてほしい。……誰よりも美しく飾る権利を、私に譲ってはくれまいか」


「大褒賞パーティー、ですか。……エドワード様、そこまで私のことを考えてくださり、本当に恐悦至極に存じますわ」


私は湯呑みをそっと机に置き、深く一礼した。


領主としてのエドワード様の誠実さと、私への最大の敬意は、じーんと胸に染みるほど嬉しかったの。


だからこそ、私は顔を上げて、最高に晴れやかな笑顔でこう告げたわ。


「ですが、そのお誘いはお断りさせていただきます。私、この村から出る気は一切ございませんの!」


「……は?」


エドワード様が、まるで見たこともない未知の魔獣に遭遇したかのように、端正な顔を呆然と硬直させたわ。

横ではマルクさんが「やっぱりな」と言わんばかりに、額を押さえて天を仰いでいる。


「し、シャルロット嬢? 聞き間違いでなければ、今、断ると……? 貴族や有力者が集まる公式の場なのだぞ? 君の功績に見合う富も名声も、そこで手に入るというのに」


エドワード様は痛ましげに眉をひそめ、守護者としての強い熱を帯びた瞳で私を見つめたの。


「……それに、王国が君から不当に奪った信用も、公爵令嬢としての名誉も、我が帝国の辺境伯の名において、私がすべて取り戻してやれるのだぞ」


あまりに真剣な眼差しと、まるでプロポーズかのような熱い言葉に、私は湯呑みを抱えたまま目を丸くしたわ。


――けれど、次の瞬間には、私の胸の内は揺るぎない決意で満たされていたわ。


「ええ。ですが、お城のふかふかのベッドよりも、私はこの村の土の匂いが大好きなのですわ。それに、今はちょうど堆肥の仕込みをしなければならない大事な時期。ドレスを着てお城で踊っている暇など、1秒もございません!」


ふんす、と鼻を鳴らして胸を張る私を見て――エドワード様は一瞬きょとんとした後、端正な顔をふっと歪めたの。


「……っ、く、ふふっ、ははははは!」


決まりきった貴族の微笑みではない、お腹の底からの楽しげな笑い声が、温かい部屋の中に響き渡る。王太子に婚約破棄されてこの辺境に追放されたとき、実の兄であるアルベルトにお願いされて私を保護してくれたエドワード様。当時はきっと、厄介な公爵令嬢を押し付けられてどうしようかと頭を抱えたに違いないけれど、今の彼からは呆れと同時に、深い信頼が伝わってきたわ。


「参ったな。よもや大褒賞の誘いを、堆肥の仕込みを理由に一蹴されるとは。……まったく、君という人は、どこまでも私の思い通りにならない公爵令嬢だな。頑固なところが、あのアルベルトによく似ている。やはり血は争えないということか」


「まぁ、お兄様と一緒にしないでくださいませ。私の方が、ずーっと柔軟で話がわかる人間ですわ!」


ぷくっと頬を膨らませる私を見て、エドワード様はまた楽しそうに目を細められたの。


「わかった、わかった。パーティーは取りやめることにしよう」


エドワード様はまだ可笑しそうに笑いをこらえながら、降参するように両手を軽く上げた。


「だが、褒賞はきっちりともらってもらうぞ。私の気が済まないからな。……最初は驚かされたが、今では確信している。シャルロット嬢、君はこの村にとって、いや、我が帝国にとって、なくてはならない最高の人物だ」


私のいるこのエデン村は、西の帝国と東の王国を繋ぐ流通の要衝にあたるわ。

両国は決して仲が良いわけではなく、いつ火花が散ってもおかしくない冷戦状態にあったのだけれど、今日まで大戦争にならなかったのは、国境を守るエドワード辺境伯家が代々優秀だったからなの。

さらにこの村には両国の胃袋を握る大農園があり、王都でお兄様が議会制を発足させた今、私の暮らしは誰にも脅かせない絶対的な安全圏になったわ。


だけど、そんな世界規模のパワーバランスなんて、今の私にはどうでもいいこと。

私はただ、この愛しい辺境の村で、大切な人たちとのんびり暮らしたいだけなのだから。


辺境伯様の真摯な声で紡がれたその言葉は、お醤油の染みた肉じゃがよりも、私の胸をじんわりと温めてくれたのでした。



――ところ変わって、こちらはグランベル王国の王宮の一室。


新しく発足した新首相執務室の重厚な扉の向こうで、親友のクロードが、顔面を真っ青にしてガタガタと震えながら、一枚の紙をデスクに置いた。


「アルベルト……国境の諜報員から、今度こそ私の胃に止めを刺すような極秘の報告書が届いてしまった……」


「何があった、クロード」


書類にサインを走らせていたアルベルトの万年筆が、ピキリと不穏な音を立てて止まった。冷徹な仮面の奥にある切れ長の瞳が、底知れぬ鋭さを帯びて前方を射抜く。


「ヴァルハイト帝国のエドワード辺境伯が、エデン村のシャルロット様を自らの城へ招待し、近鄰の有力者を大勢集めて『大褒賞パーティー』を催すつもりだったらしい」


「……そうか。流石は私の親友だ。シャルロットの価値を理解し、囲い込みに動くか」


アルベルトの纏う空気が一瞬にして絶対零度へと氷結した。手元では、愛用の万年筆が今にもへし折れんばかりに悲鳴を上げている。


「しかし……シャルロット嬢は、そのパーティーを断ったそうだよ」


「……何?」


アルベルトの動きがピタリと止まった。冷徹な新首相の仮面がわずかにひび割れ、切れ長の瞳が瞬きを繰り返す。


「断った?なぜだ? 理由は何だ」


「いや……『今はちょうど堆肥の仕込みをしなければならない大事な時期。ドレスを着てお城で踊っている暇などない』……と、最高に晴れやかな笑顔で一蹴したらしい」


アルベルトはゆっくりと万年筆をデスクに置くと、片手で顔を覆い、深く、深ーい溜息を吐き出した。


「……そういうことか。私が直々に村に迎えに行くまで待っているということだな」


「はぁっ!? なんでそうなるんだよ!? 堆肥だって言ってるだろ!?」


頭を抱えるクロードを他所に、アルベルトは冷酷な笑みを浮かべ、再び万年筆を握り直した。その瞳の奥には、大真面目な信頼と、隠しきれない激しい「お迎えの炎」が灯っている。


「待っていなさい、シャルロット。今すぐにでも国境を越えたいところだが……まずは付け入る隙をすべて潰し、憂いを無くしてから、必ずこの兄が直々に迎えに行くからな」


「いや、行く気満々なのは変わらないのかよ……!」


「クロード、各部署への通達と、私の分のスケジュールを圧縮して組め。すべては、少しでも早く妹を迎えに行くためだ」


「ひえぇぇ……! 頼むから有能さをそんな私情で爆発させないでくれーーーッ!!」


クロードの魂の叫びを完全に無視し、アルベルトは冷酷な手つきで、次の決裁書類へと猛然とペンを走らせるのだった。

今回もお読みいただきありがとうございます!

これにて『第1章 シャルばあの異世界辺境移住記』が完結となります!


これで名実ともにシャルばあはエデン村に拠点を構えることができました。

エドワードさんとアルベルトお兄様は裏で何やら怪しげな動きをしていますが、シャルばあがアイちゃんと一緒に、あの日本家屋の縁側から動くことはないでしょう。


さて、これからが話の本番です。

ここまでは、二人がエデン村に居場所を見つけるまでのプロローグ。

次回からは、この縁側を舞台に物語が動き出します!

マイペースな二人暮らしはそのままに、外から来るトラブルをどう解決していくのか、ぜひ楽しみに見守っていただけたら嬉しいです。

次回の更新も朝の8時です。ご期待ください。


少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったら、ページ下部のブックマーク追加と評価☆☆☆☆☆で応援していただけると、更新の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ