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第四十九話 若き辺境伯の視察と、縁側の新米農家たち

「はぁー、やっぱり春の終わりのエデン村は、お日様がぽかぽかしていてお昼寝に最高ですわねぇ」


「本当だね、おばあちゃん。風がとっても気持ちいいよ」


私は、大きな縁側で温かい緑茶を啜りながら、うららかな春の光に目を細めていたの。私のすぐ横では、アイちゃんも小さな湯呑みを両手で大切そうに抱えながら、のんびりと一緒にお茶を啜っていてね。


あの激しい嵐の夜を乗り越えて、本当の家族になったわたしたちの周りには、なんとも言えない穏やかで優しい時間が流れていたわ。


なーんて、おばあちゃんたちがのほほんと隠居スローライフを満喫していた、まさにその時よ。


街道のほうから、パカパカと賑やかな蹄の音を響かせて、ヴァルハイト帝国の紋章が刻まれた、厳かな馬車が何台も連なってエデン村へ到着したの。


馬車から降りてきたお二人に私がにっこりと微笑むと、大商人のマルクさんが一歩前に進み出てきたのよ。その後ろでは、金髪をなびかせたエドワード様が、完璧な佇まいで、スッと気品高く背筋を伸ばして立っていらっしゃるわ。


「シャルロット様、お久しぶりです。……実はですね、本日こちらの領主様が、新しくなった大農園の直々の視察に来られたのですが」


マルクさんは、後ろのエドワード様の凛とした様子を窺いながら、仕方のない様子でため息を吐きつつ言葉を繋いだの。


「現場の生の声を一番知る者の意見を聴くことこそが、我が領の農政において最も合理的な判断である……とのことでしてね。つきましては、シャルロット様。誠に恐れ多いのですが、直々に大農園を案内していただけないかと、領主様が……あ、ではなく私、私がお願いに上がった次第でございます」


「まぁ、大農園の案内ですの? わたしでよければ、喜んでお供いたしますわよ」


私が快く頷いた瞬間、エドワード様は端正な面持ちを崩さぬまま、静かに口を開かれたわ。


「うむ。シャルロット嬢、急な頼みを聞き入れてくれて感謝する。現場の生の声を聴くことは農政の基本だからね。マルク、そういうわけだ。案内を頼むとしよう」


大人の余裕に満ちた凛としたお声。自分で直接私に頼むのは避けて、わざわざマルクさんを介して合理的というお固い大義名分を代わりに言わせるなんて、本当に紳士的な領主様ですこと。


そんなエドワード様が、ふと私の隣に座るアイちゃんの姿を捉えた瞬間、その端正なお顔がほんの少しだけ驚きに動いたの。


「……君は、グランベル王国の外交パーティにいた……」


「っ……!?」


アイちゃんは一瞬だけ焦ったように目を丸くしたけれど、元王太子妃としての責任感から、すぐにスッと立ち上がって町娘の服の裾をぎゅっと掴んだの。そして、驚くほど上品で綺麗なカーテシーを決めてみせたわ。


「ヴァルハイト帝国の高貴なる領主様、お久しぶりにございます。グランベル王国男爵家が娘、アイリスにございます」


王都でジーク殿下が廃嫡されたという最新のニュースは、当然このエドワード様もよく知っていらっしゃるわ。彼はアイちゃんの健気な挨拶を真っ直ぐに受け止めると、威圧するようなおいたは一切せず、完璧な紳士としてのトーンで優しく微笑みかけたの。


「うむ、楽にしたまえ。……何か事情があるのかな? 出来ることであれば、力になろう」


「あ、ありがとうございます……。今は、おばあ……シャルロット様に助けていただいております……」


はにかみながら私の後ろに少し隠れるようにするアイちゃんと、「そうか、君もつらかっただろう」と大人の余裕で気遣うエドワード様。


(あらあら。エドワード様ったら、なんて男前で優しいのかしらねぇ。わたし、若い子たちのこういう温かい会話を聞いているのが大好きなのよ。ふふふ、のどかで本当に楽しいですわねぇ)


私は湯呑みを片手に、ただの近所のおばあちゃんみたいに「あらあら」と目を細めて楽しんじゃっていたわ。


そんなお茶の間の微笑ましい空気の、まさにその時よ。


「「「せーのっ! それ、引けぇぇぇーーーいッ!!!」」」


ドスンッ! ズサァァッ!


庭先の畑のほうから、男らしい野太い掛け声と、土が盛大に爆発するような音が響き渡ったの。


「な、何事だ……っ!?」


驚いてエドワード様がそちらへ視線を向けた瞬間、その端正な王子様のようなお顔が、劇的にガクガクと硬直したわ。


見ればそこには、上着を脱ぎ捨てて白いシャツを泥だらけにしたギルくんを筆頭に、五人の逞しい騎士様たちが、大汗をかいて楽しそうにクワを振るい、畑の支柱を真っ直ぐに直している真っ最中だったのよ。


エドワード様の姿を認めた瞬間、彼らはクワを握りしめたまま、泥まみれの体でビシッと直立不動の、見事な最敬礼を決めてみせたわ。


「はっ! エドワード様、直々の御視察、恐れ入りますッ!」


「なっ!……う……ぅむ。......励みたまえ」


エドワード様は取り乱すこともなく、感情を完璧に押し殺したまま、「うむ」と小さく頷いて彼らの忠義を真っ直ぐに受け止めたわ。我が領の誇る近衛の精鋭騎士団が泥まみれで農業をしていても、さすがは完璧な超有能領主、一瞬で状況を受け入れて動じない高潔な佇まいは崩さないのね。


私は湯呑みを片手ににっこりと微笑んだわ。


「ギルバート様たち騎士団の皆さんにはね、毎日この畑の支柱直しや水はけの確認まで、本当によくお世話になっておりますのよ。彼らの男の貴重な労働力のおかげで、我が家の畑は今日も平和で豊かなのですわ」


「……そうか」


エドワード様のお顔が、ほんの少しだけ和らぎ、その端正な瞳に私への優しい光が灯ったの。


「シャルロット嬢、我が近衛騎士たちの労働が、君の、いや、この村の役に立っているのなら何よりだ。彼らをここに駐留させた私の判断は、やはり間違っていなかったということだな。大いに励むが良い、ギルバート」


「はっ! 精一杯やらせていただきます!」


感情を表には出さないけれど、どこかフワフワと満足そうに背筋を伸ばしていらっしゃるのが、おばあちゃんの目線から見ると、なんだか生真面目でとっても可愛らしくて、またちょっとクスクスと笑っちゃったわ。


春のうららかな光が降り注ぐ縁側で、私は隣のアイちゃんと顔を見合わせてにっこりと微笑んだの。



広大な大農園をぐるりと歩き回って、現場の職人さんたちの生の声を聴く視察を終えた私たち。我が家の縁側へと帰ってきた頃には、お日様がちょうど真上に昇っていて、みんなのお腹の虫が良い音を鳴らし始めていたのよ。


「はぁー、たくさん歩いてお腹がペコペコになりましたわねぇ。さぁ、皆さん、縁側へ腰掛けくだなさいな。今すぐ美味しいお昼ご飯をお出ししますからね」


エドワード様もマルクさんも、あれだけ広い農場を歩いたというのに、完璧な辺境伯様と大商人の鉄面皮を崩さないのは流石だわ。


だけど、私がお台所から、私が大きなお皿にてんこ盛りにした料理を縁側へと運び出した瞬間、お二人の鼻腔が、ピクッと同時に動いたわ。


お砂糖と甘味果実、そしてお家の暗がりで一年近くじっくりプクプク熟成させたお醤油を贅沢に使い、塩漬けの干し肉と我が家のおイモをコトコト煮込んだ和の至宝――肉じゃがよ!


「……ふむ。これが、マルクが言っていた未知の調味料を使った料理か。見た目は黒くて素朴だが……」


エドワード様は、端正な面持ちのまま優しくお箸を動かし、じっくり煮込まれたホカホカのおイモとお出汁を口へと運んだわ。


カリッ、ホクゥ、じゅわり……。


「っ、ビクンッ……グラリ……ッ!?」


その瞬間、エドワード様の全身が劇的に硬直したの!


あまりの旨味の衝撃に、背筋が跳ね上がったかと思えば、今度は生まれたての小鹿みたいに膝をガタガタと激しく震わせながら、右へ左へよろめき始めたじゃないの。


「り、領主様!? 大丈夫でございますか!」


慌てて支えようとしたマルクさんの肩にガクンとしがみつき、どうにかその身体を支えている状態になったエドワード様は、血走った目をカッと見開いて絶叫したわ。


「な、なんという……! この、おイモの素朴な甘みを極限まで引き出す、深いコクと旨味の暴力は一体何事だ……っ!? マルク、お前はこのような『オショウユ』という恐ろしい調味料の存在を、私に隠していたというのか!」


エドワード様ほどの超有能な頭脳だもの、その一噛みで瞬時にすべてを悟ってしまったのよね。


この新しく生まれた『オショウユ』。そして、少し前からエドワード領内でも少しだけ出回り始めて、領民たちを大熱狂させていた、あの強力な『オミソ』。これら二つの強力な調味料の威力が組み合わされば、世界の食の歴史だけでなく、莫大な経済利権が根底からひっくり返る、という凄まじい現実にね。


だけどね、大商人のマルクさんは、もうとっくにその深淵に気が付いているのよ。すかさず一歩前に出て、商人としての譲れない顔をピシリと張ったわ。


「領主様、お言葉ですが、このオショウユとオミソの独占販売ルートは、すでに我がマルク商会がシャルロット様とガッチリ契約を交わしている最中にございます! 商人の信義にかけて、こればかりは譲れません!」


「何を言うんだマルク! これは我が領、いや、我が帝国の安全保障に関わる大問題だ! 領主たる私が直々に管理すべきだ!」


「いくら領主様とはいえ、民間の正当な契約に横槍を入れるのは不当ですな!」


「私はすでに、マルク商会を十分優遇しているはずだ! これ以上、私に何をしろと言うんだね!」


普段は完璧な領主様と言いなり商人の関係なのに、おばあちゃんの肉じゃがを前にして、二人とも大真面目にお口を尖らせてバチバチと言い合いを始めちゃったわ。


でもね、これ以上おいたを長引かせてせっかくのご飯が冷めちゃうのはおばあちゃんとして許されませんわ。私は湯呑みをコトッと縁側に置いて、言い争うお二人に向かってにっこりと微笑みながら、解決策を出してあげたの。


「まぁまぁ、お二人とも。そんなにカリカリしなくても大丈夫ですわよ? お醤油もお味噌もね、わたし一人やマルク商会だけでは、この広いエドワード領の全員に行き渡るほどの大増産なんて、とても手が回りませんもの。だからね、エドワード様が国費で建設してくださった、あの大農園を使いましょう」


「……大農園を、かね?」


生まれたての小鹿のまま、エドワード様がガタガタと震えながら私を見たわ。


「ええ、そうですわ。大農園で働くたくさんの職人さんたちに、お醤油やお味噌の原材料になる大豆や小麦をジャンジャン作ってもらうのです。そして、エドワード様にはその生産設備や村の警護という形で、公的にバックアップしていただくの。その代わりに、出来上がったお醤油とお味噌の販売の権利は、最初から頑張ってくれたマルク商会に独占させてあげる……というのはどうかしら? 領主様は税収と領民の笑顔を、マルクさんは富を、お互いに綺麗に分け合える、とっても素敵な解決策だと思いますわよ」


私の一言に、エドワード様もマルクさんも、ピシリと動きを止めて目を見合わせたわ。


「……なるほど。領主の公権力による生産の最大化と、マルク商会の流通網の独占……。くっ、これ以上の完璧かつ合理的な解決策は存在しないな」


「さすがはシャルロット様……! それならば我が商会も、領主様の横槍に怯えることなく、全力で帝国内へこのオショウユを広めることができます!」


さっきまでバチバチに睨み合っていたくせに、おばあちゃんの知恵袋を提示されただけで、二人とも一瞬で「うむ、完璧だ」と満足そうに深く頷き合っちゃうんだから、本当に単純で可愛い子たちですわね。


「よし、話は決まった。マルク、これ以上の言い合いは不毛だ。温かいうちにこの至高のニクジャガを平らげるとしよう」


「お褒めいただき光栄です。さぁ、お茶のお代わりならいくらでもありますから、喉を詰まらせないように、たくさんおあがりください」


春のうららかな光が降り注ぐ縁側で、エドワード様がまた一口おイモを食べてはガクガクと小鹿のように震えている姿を、私は隣のアイちゃんと一緒にニコニコと眺めていたの。

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