第四十六話 狂乱の王太子、襲来(後編)
ジーク殿下のギラつく剣が、命を賭けて盾となったギルくんに向かって振り上げられた、まさにその一瞬。
これ以上、王太子のおいたを長引かせるわけにはいきません。
私はすっと一歩を踏み出し、お腹の底から凛とした一声を響かせたの。
「おやめなさい!!!」
一回目の人生で培った、『暗殺の天使』としての、純粋な「絶対的な死の気配」を、その一声に乗せて解き放ってあげたわ。
たとえ相手が一国の王太子であろうとも、私の大切な家族に刃を向ける不届き者であるならば、おばあちゃん、一切の容赦はいたしません。
もちろん、生粋の平和主義者ですから、人様に対して暴力なんて一ミリも使うつもりはありません。でも、その怒気を孕んだ一言は、それまで響いていた春の風の音や、村人たちの悲鳴すらも一瞬にして凍りつかせ、その場にいた全員を完全に黙らせてしまったわ。
剣を振り上げたジーク殿下も、まるで死神に心臓を直接鷲掴みにされたかのように、顔面を完全に真っ青に硬直させて、振り上げた刃をピシリと止めたまま、指一本、眉一つ動かすことすらできない。
けれど、殿下は何とか振り上げた剣を無理にでも下ろして面度を保とうと、カタカタと震える腕で必死に足掻いているの。本当にみっともないにも程がありますわね。
私は凍りついた空気のなか、殿下の後ろで呆然と立ち尽くしていた王国から王太子についてきた四騎の近衛騎士たちへ向けて、すらすらと、極めて冷徹な言葉を投げかけてあげたわ。
「あなたたち、そこで黙って見ていてよろしいの? ここは他国であるアインハルト辺境伯領のエデン村。そして殿下が今まさに斬りつけようとしているのは、辺境伯様直属の一流のエリート騎士であるギルバート様ですわよ。このまま殿下がその刃を振り下らせれば……取り返しのつかない『大外交問題』になりますわよ?」
その一言で、ハッと我に返ったのは近衛騎士たちだったわ。
他国の領地内で、他国の領主直属の近衛騎士に王太子が武力を行使する。そんな暴挙、国同士の全面戦争を引き起こす最悪の国際法違反よ。まかり間違えば王国が自滅するっていう重大な事態に、彼らはようやく気がついたんだわ。
「お、おやめください殿下ッ!!!」
大慌てした近衛騎士たちはね、おいたが過ぎるジーク殿下に向かって後ろから一斉に飛びかからんばかりの勢いで組み付いたわ!
「離せ! 私は王太子だぞ!」なんて暴れる殿下の腕から剣を叩き落として、これ以上ない必死さでその傲慢な体を地面へ組み伏せ、力づくで抑え込んでしまったのよ。
近衛騎士たちに力づくで取り押さえられたジーク殿下は、最後はまるで暴れる子豚のように、無理やりギラギラした豪華な馬車の中へと押し込められてしまったわ。
「アイリスっ! シャルロット、貴様、許さんぞ……!」
馬車の中からそんな往生際の悪い怒鳴り声が聞こえてくるけれど、本当に愚か極まりないわね。
その後、冷や汗を滝のように流した近衛騎士の代表の青年が、地面に擦りつけるほど深く頭を下げて、こちらに許しを請うてきたの。
「シャルロット様、ギルバート殿……! 今回の殿下の御乱行、どうか、どうかアインハルト辺境伯様やローゼンバーグ公爵家にはご内密にお願いいたします……っ!」
そう懇願してきたから、私はにっこり笑って「お気をつけてお帰りなさいな」と見送ってあげたの。
彼らは大慌てでパカパカと土煙を上げながら、逃げるように帰っていったわ。
けれどねぇ。おばあちゃん、緑茶をずずっと啜りながら心の中でくすくすと笑っちゃったわよ。「ご内密に」だなんて、こんなとんでもないおいたが隠し通せるわけがありませんこと。
ここにはエドワード様が手配した憲兵や守備隊が目を光らせているし、マルク商会の人たちだって、王都にいるアルベルトお兄様への連絡係を兼ねていて、定期報告書をジャンジャン送っている真っ最中なのよ。
こんな国家転覆レベルの大国際問題、数日後までにお兄様の執務室とエドワード様のお城へ、同時に筒抜けになるに決まっていますわ。
ジーク殿下一行を乗せた豪華な馬車が完全に見えなくなると、それまで岩のように無言で威圧していたギルくんの張り詰めていた糸が切れたみたい。
「はぁーーーーーっ……」
大きくて深い一息を吐いてその場にガクッと脱力したのよ。
そりゃあそうですわよねぇ。いくら我が身を顧みない本物の忠義心を持っていたとしても、他国の次期国王を目の前にして無言で剣を抜かせ、睨みつけ続けたのですもの。プレッシャーは想像を絶するものだったに違いありませんわ。
私はね、そんなギルくんの隣にそっと歩み寄って、その泥まみれで逞しい二の腕を、私の小さな手で「ポン」と優しく叩いてあげたの。
「ギルバート様、本当にありがとうございましたわ。貴方は、どこに出しても恥ずかしくない、本物の高潔な騎士様ですわよ」
「シャルロット様……! もったいないお言葉です!」
心の底からの感謝を込めて微笑みかけると、ギルくんはお顔をパッと赤くして、嬉しそうに照れくさそうに白い歯を覗かせたわ。
残された他の護衛騎士4人に向かっても、私は丁重にお礼の言葉を述べたわ。一歩間違えれば、この場で血を見るような一触即発の戦闘に発展していた可能性すらあったのだもの。緊張の糸が切れた一同の間から、安堵のため息が次々と漏れ出していたわ。
そして私は、我が家の庭先の周りで心配そうに見守ってくれていた村長さんやお爺さんお婆さん、お隣のご両親や子供たち全員に向かって、温かいおばあちゃんスマイルでお上品に手を振ったの。
「村長さん、皆さん、お騒がせしてごめんなさいね。何も心配いりませんわよ。大丈夫ですわ」
「おお、シャルロット様……! 無事で良かった……!」
村の皆さんがホッとしたように一斉に笑顔を咲かせ、お互いに口々に会話を弾ませながら、温かい安心感に包まれていく。その様子を見届けてから、私は左隣のふかふかな土の上に、まだ腰を抜かしたままペタンと座り込んでいたアイちゃんの元へ歩み寄ったわ。
恐怖に小さく震えているその体を、私は後ろから「ぎゅっ」と、丸ごと優しく包み込んであげたの。そして、その可愛い頭を、ヨシヨシと何度も何度も撫でてあげたのよ。
「アイちゃん、本当によく頑張りましたねぇ。偉かったですわよ」
私の胸の中で、アイちゃんはまた涙をポロポロと零しながら、でも今度は安心したように小さくコクコクと頷いたわ。
恐怖の対象だった王太子の前に、アイちゃんが毅然と立ちはだかった。それは、彼女がゲームのバッドエンドを恐れるあまり被り続けていた「保身のお面」を、ついに自分の力で完璧に引きちぎった、本物の『勇気』の一歩だったのよ。自分ひとりではどうしても踏み出せなかったその一歩を、アイちゃんは私への深い家族愛だけで、見事に成し遂げてみせたんだわ。
これでね、アイちゃんを縛り付けていたあのクソゲーの理不尽な要素は、今度こそすべて綺麗に「お片付け」されて、この世界から消えてなくなったのよ。
周りに集まってきた子供たちも、アイちゃんに「アイリスお姉ちゃん、凄かった!」「格好良かった!」って、温かい拍手を贈りながら集まってきてくれているわ。
「さぁ、アイちゃん。お外の不快な羽虫も綺麗に飛んでいきましたし、ギルくんたちもお腹がペコペコですわ。今夜はみんなで、お醤油をたっぷり使った最高に美味しいご飯にしましょうね」
「う、うん……! おばあちゃん、私、お手伝いする……っ!」
涙を拭って、春の光のような本当の満面の笑顔を咲かせたアイちゃんの手を引いて、私はのんびりと我が家のお台所へと歩き出すのだった。




