第四十話 春の再会と、おイモの深淵
「あぁ、やっぱり春の風は、固くなった土をふんわりと解いてくれるようで心地いいわねぇ」
冬の終わりのあのピリッとした厳しさはどこへやら、エデン村の我が家の周りには、すっかりぽかぽかとしたうららかな陽気が満ちていたわ。庭先の大きな畑の隅には、小さな名もなき黄色い野花が顔を覗かせていて、大農園のほうからは、春の柔らかな日差しを浴びて新芽を膨らませた木々の瑞々しい匂いが、そよ風に乗って縁側まで運ばれてくるの。
私は縁側でずずっと温かいお茶を啜りながら、春の柔らかな光に目を細めていたわ。庭先では、上着を脱ぎ捨てて白いシャツの袖をたくし上げたギルくんたちが、春の種まきに向けて逞しい腕で楽しそうにクワを振るっている。その横では、アイちゃんが庭の菜の花を摘みながら、のんびりとした笑顔を浮かべていて、本当に絵に描いたような平和な春の朝だこと。
なーんて、おばあちゃんがのほほんと隠居スローライフを満喫していた、まさにその時よ。街道のほうから、パカパカと賑やかな蹄の音を響かせて、見覚えのある立派な馬車がこちらへ近づいてくるじゃないの。
「あらあら、マルクさん! お久しぶりですねぇ。まぁ、ずいぶんと立派な馬車を連ねて、相変わらずお忙しそうですわね」
「シャルロット様、お久しぶりです! 春の訪れとともに、ようやくこちらへ戻ってこられました!」
馬車から降りてきたマルク商会の会長のマルクさんが、春の陽気にも負けないくらい晴れやかな笑顔で帽子を脱いだわ。でもね、おばあちゃん、馬車の中や後ろをどれだけ首を長くして覗き込んでも、あの賑やかで可愛い『鉄壁の四重奏』の男の子たちや、リリィちゃんの姿が見当たらないの。
「マルクさん、あの子たちはどうしたのですか? 今日は一緒じゃないのかしら?」
「いやぁ、実はね、彼らは前回の護衛任務やエデン村での活躍がギルドで高く評価されまして、なんと冒険者ランクが上がったんですよ! 今はさらに難易度の高い王都近くのダンジョン攻略に指名されていましてね。今回は本当に悔しがりながら、同行を断念したのです。代わりに、リリィからシャルロット様へとお手紙を預かっております」
差し出されたのは、リリィちゃんからのちょっぴり文字の躍った、愛らしいお手紙だったわ。
『シャルロット様、本当はまた美味しいおイモとお茶をいただきに今すぐ爆走したかったのに、どうしても外せないお仕事が入っちゃってごめんなさい! 悔しくて悔しくて夜も眠れません! でも、私たちは絶対に諦めません! この依頼を死に物狂いで最速で片付けて、夏! 夏こそは絶対にエデン村に行きたいです! 畑仕事でも何でも全力で手伝いますから、待っていてくださいね!』
なーんて、紙面から飛び出してきそうなほどの熱意と健気な言葉がこれでもかと並んでいて、おばあちゃん、読みながら思わず目元が緩んじゃったわねぇ。冬からずっと村にいるアイちゃんは、秋に王都へ帰ってしまったリリィちゃんたちのことをまだ知らないから、不思議そうに首を傾げたわ。
「おばあちゃん、そのリリィちゃんって、どんな子なの?」
「マルクさんの商隊の護衛をしてくれている、とっても可愛くて元気な魔法使いの女の子よ。アイちゃんと同じ、わたしの可愛い大切な孫みたいなものねぇ」
「そうなんだ……。夏に会えるの、私もちょっと楽しみかも」
アイちゃんは、まだ見ぬ存在に少し照れくさそうにしながらも、嬉しそうな笑顔を浮かべたわ。近くで手紙のやり取りを見守っていたギルくんも、「鉄壁の四重奏の彼らも、王都で着実に武勲を立てているようですな。我らも負けてはいられん!」と、生真面目な瞳をキラリと輝かせていたわ。若い子たちがしっかりと上を向いて大活躍しているのを聞くだけで、なんだかわたしまで心の底から元気が湧いてくるじゃないの。
マルクさんがお茶をずずっと啜って一息ついたところで、王都の驚くべき現状を熱っぽく語り始めてくれたの。会話が進むごとに、彼のソロバンを弾く手にもますます力がこもっていくわ。
「シャルロット様、聞いてください。今、王都ではあの『おイモ』が、これまでの食料の常識を根底からひっくり返すような大革命を起こしているんですよ!」
「まぁ、そんなに大騒ぎになっていますの?」
「大騒ぎどころではありません!何より素晴らしいのはアルベルト公子様の差配です。『このエデン村の大農園で作られた大量のおイモを、王都の貧民街の困窮している人々の元へ安価で安定して行き渡るようにせよ』と、公子様自ら手配をされたのです。おかげで冬の王都の食糧事情は激変し、毎年大勢出ていた冬の餓死者が、今年はほとんどゼロになったんですよ!」
「まぁまぁ、お兄様ったら……!そんなに立派なことをなさっていたのねぇ。本当に誇らしいですわ」
わたしは胸がいっぱいになって、思わず目元を熱くしちゃったわ。お兄様は実家乗っ取りのために動いていたはずだけれど、その裏で、エデン村の大農園で作ったおイモを使って、お腹を空かせた大勢の人々の命を救っていたのね。
「さらにそれだけではありません! シャルロット様が考案されたフライドポテトやポテトチップス、ハッシュドポテトが貴族から平民にまで広がり、今や様々な味付けや形に工夫され、王都中で一大ブームを巻き起こしているのです! 我がマルク商会も、毎日ソロバンを弾く手が止まらないほどの歴史的な大大ヒットですよ!」
「すごい……! おばあちゃんのおイモの料理が、王都の歴史を変えちゃうなんて……。ゲームのシナリオには、そんな話は全くなかったのに……!」
アイちゃんが感極まったように呟き、ギルくんも感動のあまり胸を締め付けられたようなお顔でじっとこちらを見つめているわ。
「マルクさん、王都でのそんな大ニュースを届けてくださったお礼に、今日のお昼は、我が家のとっておきの新作料理でおもてなしさせてちょうだいね」
私が立ち上がって袖をグッとまくり上げると、ギルくんを筆頭に、五人の逞しい騎士様たちが一斉に目を輝かせたわ。お台所から、私が大きなお皿にてんこ盛りにした料理を縁側へと運び出す。
まずは、交易所から仕入れたお砂糖と甘味果実、そしてお家の暗がりで一年近く静かに発酵を続けていたお醤油を贅沢に使った、塩漬けの干し肉と我が家のおイモの煮物――『肉じゃが』ですわ!
甘じょっぱくて芳醇なお醤油の香りがふわぁっと広がった瞬間、マルクさんは「な、なんですかこの深みのある香りは……!?」と、商人としての鋭い鼻をピクピクさせて硬直したわ。でもね、おばあちゃんのおもてなしは、これだけじゃ終わらないの。
「さぁ、マルクさん。もう一品、とっておきの反則技がありますのよ。この前の冬にお隣のお爺さんたちからいただいた濃厚な牛乳をね、おばあちゃん、主婦の知恵でじっくりと練り上げて自家製バターを作っておいたのですわ」
蒸したてで湯気がモウモウと立ち上るホカホカのおイモに、包丁で十文字の切れ目を入れ、その割れ目に贅沢に自家製バターをひとのせするの。そこに、仕上げとして『初代のお醤油』をジュワッと回しかければ……。
――チチチ、ジュウウウウゥゥッ!!
おイモの熱で黄金色に溶け出した濃厚なバターのコクと、お醤油の焦げたあまりにも香ばしい、凶悪なまでに食欲をそそる匂いが、春の柔らかなそよ風に乗って縁側いっぱいに爆発したわ!
「……っ!? す、すごい……! なんという贅沢な匂いだ……っ!」
ギルくんたちがごくりと大きな喉を鳴らし、マルクさんに至っては、あまりの香りの暴力にソロバンを持ったままガタガタと震えているじゃないの。
「さぁさぁ、冷めないうちに召し上がれ。淹れたての温かい春の緑茶もたっぷりありますわよ」
マルクさんは震える手で『じゃがバター醤油焼き』を豪快に口へと運んだわ。一噛みした瞬間、マルクさんの目がまるでおいたを見咎められた子供みたいにカッと見開かれたのよ。
「――っ!? ぐ、ふぅ……っ!?」
まるで喉に詰まらせたかのように、マルクさんは上半身をガクンと前のめりにして、そのままブルブルと生まれたての小鹿みたいに激しく震え出したじゃないの。
「まぁまぁ、マルクさん、大丈夫ですかしら? 落ち着いてお茶を飲みなさいな」
私が慌ててお茶を差し出して労おうとした、まさにその瞬間よ。
ガタァッ!!!
と物凄い勢いで、マルクさんがすっくと立ち上がったの! その目は完全に血走っていて、ソロバンを高く突き上げながら、開拓村の空に向けて思いっきり絶叫したわ。
「美味いぞ――っ!! 美味すぎますぞ――っ!!! シャルロット様ぁぁぁ!!」
「あら、まぁ……!」
「な、なんということだ……! 蒸したおイモの素朴な甘みを、バターの濃厚な脂が極限まで包み込み、それをこの『オショウユ』の塩気と焦げた香ばしさが、完璧な芸術へと昇華させている……! シャルロット様、この乳製品とお醤油の組み合わせを、秘伝として我が商会で独占させていただけませんか……っ!」
息を荒くして熱弁を振るうマルクさんの迫力に、おばあちゃんちょっとびっくりしちゃったわ。
「ふふふ、マルクさん。王都でそれだけ大ブームになっているのは嬉しいけれど、おイモの魅力としてはまだまだ『浅瀬』、ほんの入り口に過ぎませんことよ?」
私が淹れたての緑茶をずずっと啜りながら不敵に微笑むと、マルクさんは驚愕のあまりピシリと動きを止めたわ。
「……な、浅瀬、ですって……!? この匂い、この味が、まだ入り口だと仰るのですか、シャルロット様……っ!」
「そうなのよ。おイモというものはねぇ、本当に奥が深いの。お醤油やバターと巡り合うことで無限に化ける、大地の至宝なのですわ。王都の人たちにはね、これからもっともっと、本当の『おイモの深淵』ってやつを教えてあげなきゃいけませんわね」
「は、はい……っ! どこまでも、どこまでもシャルロット様についてまいります!」
目を血走らせて固い決意を乗せるマルクさんの横で、ギルくんたち五人の騎士様たちも、「美味い、美味すぎる!」と肉じゃがとおイモを凄まじい男らしい勢いでハグハグと平らげていく。アイちゃんも「おばあちゃん、バターとお醤油ってやっぱり世界最強の組み合わせだよぉ……!」って、満面の笑顔でお口をモグモグさせているわ。
みんなが笑顔でご飯を頬張り、温かい緑茶をずずっと啜る姿を、わたしは縁側に腰掛けてニコニコと眺めていたの。新しい仲間や騎士様たちと、お醤油とバターの香びに包まれて温かいご飯を囲めている。これ以上の生活なんて、どこを探したってありませんことよ。
「さぁ、マルクさん。お茶のお代わりならいくらでもあるから、喉を詰まらせないように、たくさんおあがりなさいな」
春のうららかな光が降り注ぐ縁側で、優しく目を細めるのだった。




