第三十八話 夜の迷子と、小さなランタン(後編)(第四部 完)
「アイリスさん、子供たちを。ここからは私が先頭に立ちます。私の後ろから決して離れないでください」
ギルバートさんはそう言うと、抜き放った銀色の剣を油断なく構え、私と子供たちを庇うようにして歩き出した。
無事に二人の子供を見つけ出し、ゴブリンを退けたとはいえ、ここは夜の魔物の森。一寸先も見えない圧倒的な暗闇の原生林は、未だに不気味な気配と濃密な死の匂いに満ちている。
(早く、早くみんなのいる村へ帰らなきゃ……っ!)
私は震える二人の小さな手をギュッと握りしめ、ギルバートさんの大きな背中を必死に追いかけた。一歩進むごとに、心臓が爆発しそうなほど激しく脈打つ。
バサバサバサッ――!! と、不意に頭上の木々から鳥が飛び立つ羽音が響いただけで、私たちはビクッと身体を強張らせ、ランタンの光を周囲へ巡らせた。いつ闇の向こうから恐ろしい魔物の爪牙が飛び出してくるか分からない、息の詰まるような極限の緊張感。
だけど、不思議なことに、それ以上の魔物の襲撃は一切無かった。
張り詰めた静寂の中を必死に駆け抜け、鬱蒼とした木々がようやく開けたその瞬間、目の前にランタンの温かい無数の明かりがパッと広がった。
「――あぁ! 戻ってきたぞ! 騎士の旦那とアイリスちゃんだ!」
「子供たちも……! 子供たちも無事だ!!」
森の外では、固唾を呑んで待っていた大勢の村人たちが、歓声とも泣き声ともつかない声を上げて私たちに駆け寄ってきた。
人混みを掻き分けるようにして、お隣のお母さんが泥だらけの地面に膝をつき、二人の子供を壊れるくらい強くその胸に抱きしめた。子供たちもお母さんの服に顔を埋めてワンワンと声を上げて泣きじゃくっている。若いお父さんも、隣のお婆さんもお爺さんも、みんなが涙をボロボロと流しながら、無事に戻ってきた命に何度も何度も「ありがとう、ありがとう……っ」と、手を合わせて祈るように泣いていた。
その歓声から少し離れた場所で、私は今更ながら、自分のしたことの重大さに気付いて気まずそうに立ち尽くしていた。
チート能力も何もない、ただの元女子高生の身でありながら、感情に任せて夜の魔物の森へ一人で飛び込むなんて、どれほど軽率で、無茶な行動だったのだろう。ギルバートさんにも、そしておばあちゃんにも、とんでもない心配と迷惑をかけてしまった。
申し訳なさとバツの悪さでうつむく私の前に、シャルロットおばあちゃんがそっと歩み寄ってきた。
叱られる。そう身構えた私の身体を、おばあちゃんは何も言わず、ただ優しくそっと抱きしめてくれた。
血と汗と泥で汚れきっている私の服なんてすこしも気にせず、まるでお日様みたいな温もりで私を包み込み、耳元で静かに囁いてくれたのだ。
「無事に帰ってきてくれて、ありがとう」
その言葉が耳に届いた瞬間、私の頭の中で、ここ数日の間に村の人たちからもらったすべての「ありがとう」が、まるで一本の光の線のようにはっきりと繋がった。
あの日、お口をツヤツヤにさせて笑ってくれた子供たち。手を握ってくれた隣のお婆さん。大歓迎してくれた村長さん。そして、目の前で泣きながら我が子を抱きしめているお母さん。
「ありがとう」という感謝の言葉。それは、私がこの村で生きていってもいいんだよと、みんなが私に言ってくれているようなものだった。そして今、シャルロットおばあちゃんも、私がここにいていいんだと、その腕の中で伝えてくれている。
(あぁ、そうか……。人は、一人では生きられないんだ……)
王宮にいた頃の私は、ただ自分が破滅ルートから逃れて生き残ることだけを考えて、周りを騙してお面を被り、心を冷え切らせていた。
だけど、ようやく分かった。人は人に支えられて生きている。自分一人だけが助かればいいわけではないのだ。自分一人がどんなに贅沢な宮廷生活を送ろうが、心が覚めたままではただ寂しいだけ。
かつて自分が助かるためだけに必死だった過去と、自分を犠牲にしてでも、誰かのために泥にまみれて命を救うことができた現在の自分。
「う……あ、おばあちゃん……っ、ごめんなさい……ありがとう……っ」
おばあちゃんの腕の中で、私の目から堰を切ったように温かい涙が溢れ出した。大粒の涙が泥だらけの頬を伝ってポタポタと落ちていく。私はおばあちゃんの背中にしがみつきながら、子供のように声を上げてワンワンと大号泣した。
おばあちゃんは私の背中を優しくさすり、その温かい手で頭を何度も何度も撫でてくれた。
「ええ、分かっていますよ。さあ、夜の森はとても寒かったですもの。お家に帰ったら、温かい麦みそのスープをたくさん飲みましょうね」
おばあちゃんが微笑み、ギルバートさんも「はは、それはありがたい。私も腹が減りました」と、爽やかに笑った。
おばあちゃんの手をギュッと握りしめながら、私は今度こそ、心の底から満面の笑顔を咲かせた。
ゲームのシナリオの強制力も、破滅の恐怖も、もう私を縛り付けやしない。私はこの辺境の村で、シャルロットおばあちゃんと、温かい仲間たちに囲まれて、今度こそ本当の、私だけの最高に温かいハッピーエンドを見つけたのだ。
(第四部 完)




