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第三十六話 夜の迷子と、小さなランタン(前編)

「アイちゃんおねえちゃん、こっちこっちー!」


「待ってよー、捕まえちゃうぞー!」


秋のうららかな陽気の中、私はお隣の若夫婦のお家の近くにある、ちいさな原っぱでご近所の小さなお子さん二人と一緒になって元気に駆け回っていた。

この二人は、あの日の一番最初のお使いで、お口の周りをツヤツヤにさせてハッシュドポテトを美味しそうに食べてくれた、元気で可愛い男の子たちだ。


「まぁまぁ、アイリスちゃん。この子たちの相手をしてくれて、本当にありがとう」


お家の前で洗濯物を干していたお母さんが、眩しそうな笑顔で私にペコリと頭を下げてくれた。


「いえ! 私の方こそ、この子たちと遊ぶのがとーっても楽しいんです!」


私はエプロンの裾を少し揺らしながら、お腹の底から満面の笑顔を返した。本当に、嘘偽りのない心からの笑顔だった。


あの血と汗と泥にまみれた子牛の出産をお手伝いして以来、私の村での暮らしは驚くほど優しく変わっていった。

シャルロットおばあちゃんの遠い親戚のアイちゃんとして村の小道を歩けば、すれ違う村人たちがみんな、

「あ、アイリスちゃん、おはよう! 今日もいい天気だねぇ」

「アイちゃん、これ畑で採れたてのみずみずしいトマトだよ。おばあちゃんと一緒に食べなさいな」

なんて、温かい言葉を次々とかけてくれるのだ。


(私……この村でなら、自分を偽らずに、新しく生きていけるかもしれない……)


やがて夕暮れ時になり、山の端が綺麗な茜色に染まる頃。「また明日遊ぼうね!」と子供たちと手を振って別れ、私は弾むような足取りでシャルロットおばあちゃんちへと帰った。


その日の夜。

お家の中には、昨日仕込みが終わったばかりのあの香ばしい甘みのある麦みそを使った、とっておきの温かい夕飯の匂いが満ちていた。居間の卓で、私とシャルロットおばあちゃんが温かい夕食をのんびりと楽しんでいた、まさにその時のことだった。


ガラッ……!! と、静かな夜の空気を切り裂くように、我が家の引き戸が物凄い勢いで跳ね開けられた。


「シャルロット様……! アイリスちゃん……っ! た, 助けて……っ!!」


現れたのは、さっきまで笑顔で洗濯物を干していた、あのお隣のお母さんだった。

その顔は紙のように真っ白で、髪は振り乱れ、手足をぶるぶるぜ激しく震えさせながら、今にも崩れ落ちそうなほど涙目で泣き叫んでいる。


「落ち着いて! 一体どうしたんです!?」


私が卓を叩くようにして立ち上がり、駆け寄ってその肩を支える。お母さんは私の腕にすがるようにして、嗚咽混じりに必死に声を絞り出した。


「うちの子たちが……あの子たちが、夕方からどこをどう探しても、お家の周りのどこにもいないの……っ! 昼間、あの子たちが『森に珍しい木の実がなってるんだよ』って楽しそうに話していたのを思い出して……まさかと思って見に行ったら、森の入り口に服の切れ端が……っ!」


(森……!? そんな、あの子たち、森に入っちゃったんだ……っ!)


その言葉を聞いた瞬間、私の背中に冷たい汗がドッと溢れ出し、胸の奥が恐怖でぎゅっと凍りついた。

村の境界にあるあの鬱蒼とした森は、獰猛な魔物がいつ飛び出してきてもおかしくない、村人が決して近づかない危険な原生林だ。もうすっかり日は落ちて、外は一寸先も見えない暗闇が広がっている。


「私、見てきます……っ!」


後先なんて、何も考えられなかった。前世ののほほんとした女子高生の記憶が「夜の魔物の森なんて怖い」と悲鳴を上げていたけれど、ただ、あの私に満面の笑顔をくれた無垢な子供たちを救いたいという感情のままに、私はランタンをひっつかむと、玄関へと猛ダッシュした。


「わっ!? アイリスさん……っ!?」


勢いよく扉を開けて飛び出した瞬間、夜の護衛モードの装備を整えて、ちょうど入れ違いでおばあちゃんの家に入ろうとしていたギルバートさんと肩がぶつかりそうになった。けれど、今の私には立ち止まって説明する余裕なんて全くない。


「ごめんなさい……っ! 」


それだけ叫んで、私は焦りで周りが見えないまま、真っ暗な夜の闇の中へと無我夢中で飛び出していった。

後ろでギルバートさんが「なっ……!? 待ちなさい、一人では危険だ! アイリスさん!」と叫んでいる声が聞こえたけれど、今の私にはその声を振り返る余裕さえなかった。


一寸先も見えない、不気味にうごめく暗い森の入り口。ランタンの灯りに白く浮かび上がる、木の枝に引っかかった男の子の服の切れ端を横目に、私は恐怖を怒涛の感情で押し殺しながら、ただ一人で、深く暗い魔物の森の奥へと一目散に突き進んでいくのだった。

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