第二十九話 おばあちゃんの家へようこそ
新しく完成した我が家の縁側で、秋のぽかぽかとしたお日様を浴びながら、淹れたての温かい緑茶をズズッと啜っていた時のことよ。
小川のせせらぎを聞きながら、私が静かに外ののどかな景色を眺めて、ぼんやりとお茶の時間を楽しんでいるとね。
背後の庭先の方から、蚊の鳴くような、今にも消え入りそうな震える声が、ぽつりと響いてきたの。
「あ、あのー……」
「あら……?」と思って、私が急がずゆっくりと振り返ってみたらね、そこには手足をぶるぶると激しく震えさせながら、必死で声を絞り出そうと佇んでいる、一人の若いお嬢さんの姿があったのよ。
そのお嬢さん、顔面を真っ青にさせて、何かを必死に唇を戦慄かせながら、私のことをおばけでも見たかのように見つめているじゃないの。
(あらあら、まあまあ。随分と酷く怯えて……。って、あのお顔、どこかで見覚えがありますわねぇ)
泥だらけの靴でガタガタ震えながらそこに立っているお嬢さんの顔をじっと見つめて、私は一目で思い出したわ。
あの王宮での理不尽な婚約破棄の時よ。
顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた王太子様の後ろに隠れてね、もの凄い罪悪感で顔を真っ青にさせながら、今にも泣き出しそうな顔で一言も言えずにただ立ち尽くしていた、あの男爵令嬢のアイリスちゃんじゃないの。
私がいつものように、実家のおばあちゃんが孫を迎えるような屈託のない笑顔を向けると、アイリスちゃんは怒られるとでも思っていたのか、ポカンと目を丸くしていたわ。
「いらっしゃい。あらあら、そんなに綺麗な可愛いお洋服が、泥だらけになってしまって。よほど大急ぎで焦ってここまで走ってきたのねぇ」
何が理由でこんなに怯えて国境を越えてきたのか、この時の私にはなんだかよく分からなかったけれど、こんなに可愛いお嬢さんをそのまま放ってはおけませんもの。
「なんだかよく分からないけれど、とってもお疲れでしょう。まずは中に入って、ゆっくり休んでいきなさいな」
私が手招きすると、アイリスちゃんはまだ信じられないといった顔で固まっていたけれど、促されるままに、涙目を浮かべながらお家の客間へと上がってきたわ。
(よしよし、まずは温かいお茶と、昨日仕込んだばかりの温かいいいも汁でも出して、お腹をいっぱいにさせてあげましょうかねぇ)
私が昨日仕込んだばかりのいも汁と、香ばしい緑茶をお盆に乗せて居間の客間へと運ぶと、アイリスちゃんはまだ信じられないといった顔で固まっていたわ。
「さあ、温かいうちにどうぞ」
私がにっこり微笑んで、コト、と二つの器を差し出すとね。
アイリスちゃんは、湯気から立ち上るおイモ汁の香りを嗅いだ瞬間、大きな目から大粒の涙をぽろぽろと流し始めて、そのまま激しく泣き出しちゃったじゃないの!
(あらあら、まあまあ! 私、何か泣かせるようなことをしちゃいましたかしら!?)
これでも精神年齢132歳のおばあちゃんだけど、目の前で若いお嬢さんにいきなり泣かれちゃうのは、さすがに内心とーっても焦ってしまいますわよ。
だけどね、こういう時はあれこれ言葉をかけるより、まずはお腹いっぱい食べてもらうのが一番なの。それがおばあちゃんの長年の知恵よ。
「お食べなさいな」
私が慈しむように声をかけると、アイリスちゃんは震える手で器を持ち上げ、イモ汁を一口、ズズッと啜ったわ。そして器を口から離すと、さらに大粒の涙を堰を切ったように流しながら、呜咽混じりに言い出したのよ。
「ごめんなさい……っ、ごめんなさい……!!」
アイリスちゃんは器を抱きしめたまま、ボロボロと畳を濡らして泣きじゃくりながら、とんでもないことを白状し始めたわ。なんでもね、自分が前世のゲームのシナリオ通りに進めないと悲惨な結末になるのが怖くて、必死にあの王太子様を『攻略』して私を追い詰めたんだって。自分のせいで私の人生をめちゃくちゃにしてしまったって、胸が張り裂けそうな顔で一生懸命に罪悪感を吐き出しているの。
(ゲームのシナリオ? バッドエンド? ……あぁ、なーんだ、そんなことだったのねぇ)
必死に涙を流しながら「私がシャルロット様を……っ!」と謝り続けるアイリスちゃんの告白を聞いて、私はとーっても安心したわ。
王都のドス黒い大人の陰謀に巻き込まれて動いているのかと思ったら、この可愛いお嬢さんが一人で勝手に怯えて、頑張って悪い子のフリをして私を追放しようと必死になっていただけだったんですもの。なんだか、肩の荷がすっと下りちゃったわ。
「怖かったでしょうねぇ」
「……え?」
私は温かいお茶をすすりながら、クスッと上品に笑って告白を始めた。
「私が日本の記憶を取り戻したのはねぇ、あの王子様に『婚約破棄だ!』って怒鳴られた、まさにあの瞬間だったのよ。急に頭がシャキッとしてねぇ。目の前で若い男の子が顔を真っ赤にして怒っているのを見て、なんだか、前世で92歳で大往生した時の感覚がブワッと戻ってきちゃってね」
涙でボロボロの目を丸くして、アイリスちゃんが完全にフリーズしちゃったわ。
そりゃあそうですわよね。自分が必死に「悪役令嬢をざまぁするシナリオ」をこなして辺境へ追い落としたはずの私の中身が、まさかあの断罪の瞬間に、92歳で大往生した日本のガチのおばあちゃんに覚醒していたなんて、夢にも思わなかったでしょうからねぇ。
私がシワ一つない若い手で、何度も何度も彼女の頭を優しく撫てあげると、アイリスちゃんは、なにか頭の中でバチッと答え合わせが繋がったみたい。流れていた大粒の涙が一瞬で引っ込んじゃっていたわ。ふふ、とーっても面白いリアクションをする子だこと。
「あの時、あなたが泣きそうな顔で震えながら私を睨んでたのも、全部見えてたわよ。あぁ、この可愛いお嬢さんは、何かに必死に怯えて、頑張って悪い子のフリをしてるんだねぇって、健気で愛おしくなっちゃって。あなたのせいじゃないわ、よく頑張ったわね」
(若い子は間違って当たり前。そんな若い子の間違いを正してあげるのも、おばあちゃんの役目なのよねぇ)
「もう大丈夫よ。この村は静かで、おイモもたくさん獲れるし、誰もあなたを責めやしないから。」
私が淹れたてのお茶をお代わりしてあげると、アイリスちゃんは今度は罪悪感からではなく、心の底から救われたような温かい笑顔を取り戻してくれたわ。




