第一話 お茶のためなら、おばあちゃんは一肌脱ぎます
王都を追い出されてからというもの、のんびりガタゴトと辻馬車に揺られる日々が続いてるんだけど。
でもね、私の心はもう、すっかり田舎での隠居生活に切り替わってたのよ。
「あぁ、早くどこか落ち着ける土地を見つけてね、縁側でお茶でも啜りたいわぁ……」
なーんて呟いた、まさにその時よ。
突如、前方の街道から「たすけてくれー!」という悲鳴と、地鳴りみたいな咆哮が響き渡ったの。
馬車が急に止まるから何事かと思ったら、御者さんがガタガタ震えながら叫ぶじゃない。
「お、お客様! 前方で商人の馬車が災害級魔物『マグマベア』に襲われています! 早く逃げないと!」
どれどれ、と思って覗いてみたら、体長5メートルはあるかしら、全身から燃え盛る溶岩をボタボタ滴らせた巨大な熊が、一台の商隊馬車を今にも叩き潰そうとしてるの。
(あらあら、物騒ねぇ。……ん?待ちなさいな)
私の鼻腔をね、焦げた木々の匂いに混じって、わずかに「焦げた葉」のいい香りがかすめたのよ。
マグマベアの熱で、襲われてる馬車の積荷が燻されてるのね、きっと。
(この香り……まさか、茶葉!?)
日本の緑茶。
異世界に来てからというもの、ちゃんとした「お茶」に飢えていた私の脳内に、電撃が走ったわ。
あの馬車が燃えちゃったら、貴重なお茶の葉が灰になっちゃう!
「御者さん、ちょっと失礼」
私はドレスの裾をちょっと手繰り寄せると、馬車からふわりと飛び降りたわ。
92年間の日本生活で心はすっかり丸くなったけど、一回目の人生――「暗殺の天使」なんて呼ばれてたシャルロット・コルデの身体能力と技術は、この新しい肉体に完璧に引き継がれてる。
「グルオオオオ!」
マグマベアが商人に鋭い爪を振り下ろそうとした、その刹那。
私は無音で、その大きな熊の懐へと潜り込んでいた。
武器? そんなもの必要ない。
手鏡を取り出し、その反射光をマグマベアの目に一瞬だけ当てて目眩ましをかける。
完全に動きが止まった熊の顎の下へ、私は優しく、しかし超高速で掌底を叩き込んだ。
衝撃は硬い毛皮をすり抜けて、脳の神経系を直接粉砕する。
「……おやすみなさい、良い夢を」
ドスゥン……!!!
地響きを立てて、災害指定級の巨体が崩れ落ちた。熱いお湯に晒された氷みたいに、マグマベアの生命活動は一瞬で止まっちゃった。
「ひっ……え……?」
腰を抜かしてた商人の男の人が、信じられないものを見る目で私を見上げてるの。
私はパンパンとドレスの砂を払って、いつものおばあちゃんスマイルを浮かべたわ。
「まぁまぁ、お怪我はありませんか? 本当に災難でしたねぇ」
「あ、貴女は一体……!? 災害指定のマグマベアを素手で……!? あ、ありがとうございます! 私は大商会のマルクと申します! どうか、命の恩人に十分なお礼をさせてください!」
いつもなら、ここで「いえいえ、お気になさらず。困った時はお互い様ですからね」と辞退するところよ。
年金暮らしが長かったから、私は無欲なの。
でもね、私の目はマルクさんの馬車から転がり落ちた木箱の隙間に釘付けになっちゃってた。
そこからのぞく、乾燥した見事な緑の葉。
「……マルクさん。お礼なんて、そんな、滅相もない。まあいいですから、お財布は仕舞いなさいな」
「しかし、それでは私の気が済みま――」
「それよりも、ねぇ」
ガシッ、と私はマルクさんの両肩を掴んだわ。
おばあちゃんらしからぬ、現役暗殺者時代の「獲物を逃さない」眼光が、一瞬だけ復活しちゃった。
「その木箱に入っているの、『お茶の葉』でしょう?」
「え? ええ、そうです……これは東方の異国から仕入れた、この辺りでは珍しい『リョク・チャ』という薬草で……」
「緑茶!!!」
まぁ、私の目の色が変わったのは言うまでもないわよね。
脳裏を駆け巡るのは、あの懐かしい日本の縁側、急須から注がれる鮮やかな緑色、そして香ばしい香り……。
「マルクさん、ちょっと交渉をしましょう。お礼のお金なんて一ウェンも要りませんわ。その代わり、その木箱の茶葉を私に譲りなさい」
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