第五話 奇跡の終わり、努力の始まり
「そんなバカな……! そんなバカな話があるかよ!」
縁側の静寂を切り裂くように、ガルバの絶望の叫びが響き渡った。
「高位の神官だって、ギルドの最高位のヒーラーだって、そんなことは一言も教えてくれなかった! 魔法で、ポーションで治らないならもう終わりだ、腕を切り落とさなかっただけありがたいと思えって、みんなにそう言われたんだ! 動くようになるためにはこれを飲めって、怪しい奴らに騙されたことだって何度もある!」
ガルバは激しく頭を振り、動かない右腕を左手で強く掴んだ。数ヶ月前のあの日から、彼の心には深い傷が刻まれていた。すがるような思いで何度も騙され、なけなしの金を毟り取られてきた。そのたびに期待し、裏切られ、裏切られるたびに心が削られ、どん底に突き落とされてきたのだ。
「あんたも、あの詐欺師どもと同じか!? 俺を憐れんで、ありもしない希望を見せて、面白がってるのかよ!」
感情が濁流のように溢れ出し、ガルバの荒い息遣いだけが庭に響く。
しかし、シャルロットは声を荒らげることも、怯むこともなかった。ガルバの激昂をただ正面から、静かに受け止めていた。
その氷藍の瞳は、ガルバを哀れむのではなく、彼のこれまでの苦しみと絶望のすべてを分かっているかのように、どこか悲しげで、寂しげに揺れている。
小川のせせらぎが、ガルバの耳に届く。緑茶の瑞々しい香りが、鼻腔を満たす。
冷たい風が頬を撫でるうちに、ガルバの頭は急速に冷えていった。
(……俺は、なんてことを言ったんだ)
目の前の少女は、自分から金を毟り取ろうとした詐欺師たちとは決定的に違っていた。彼女はただ純粋に、誰も見向きもしなかった自分の腕と向き合い、真剣に触れてくれたのだ。
ガルバは拳を握りしめ、初対面の恩人に対して八つ当たりで怒りをぶつけてしまった自分の非を、激しく恥じた。
「……すまねえ、シャルロット様。俺は……どうかしていた。何度も騙されてきたもんだから、つい……」
ガルバが深く頭を下げると、シャルロットは静かに首を振った。その表情から寂しげな色が消え、代わりに凛とした、強い光が宿る。
「謝る必要はありません。それほどまでに、何度も傷ついてこられたのですね」
シャルロットは真っ直ぐな瞳でガルバを見つめ、釘を刺すように、しかし確かな道を示すように告げた。
「ですが、これだけは分かってください。ここからは、神頼みの奇跡はありません。気の遠くなるような、あなた自身の泥臭い努力が必要となります」
その言葉が、ガルバの胸の奥深くに突き刺さった。
神頼みの奇跡はない。一瞬で治る魔法もない。だが、それは同時に「自分の努力次第で、もう一度掴み取れる」という意味でもあった。ガルバは、自分の右腕を自覚する。先ほどのテストで感じたあの微かな違和感は、まぎれもなく本物の感覚だったのだ。
◇
「あなたには当面、ここでやってもらう仕事を用意しました。農園の責任者には私から話を通してあります」
感情が落ち着いたガルバを連れて、シャルロットは農園の片隅にある作業小屋へと向かった。彼女が用意してくれたのは、次の植え付けに使うジャパイモ(種芋)を適切な大きさに切り分ける裏方の仕事だった。
作業台の上には、イモを固定するための木製の器具が置かれている。片手しか使えないガルバでも、ここにイモを挟めば、もう一方の手で作業ができるというシャルロットの配慮だった。
「これなら、あなたでも問題なく切り分けられます」
そう言ってシャルロットがハサミを差し出そうとしたとき、ガルバはそれを手で制し、自分の腰のベルトに差したナイフに触れた。
「シャルロット様……ハサミじゃなく、このナイフを使わせてくれないか」
「ナイフ、ですか?」
「ああ。これは、仲間が『生きろ』って言って託してくれた、俺にとって唯一の繋がりなんだ。俺はいつか、またあいつらの前線に戻りたい。そのためなら、左手一本でも、この刃物を思い通りに扱えるようになりたいんだ」
ハサミを使えば楽だろう。だが、ガルバは楽をするためにここへ来たのではない。仕事のすべてを、復活のための糧にしたかった。
シャルロットはガルバの剥き出しの闘志が宿った瞳を見つめ、やがて嬉しそうに、誇らしげに静かに微笑んだ。
「分かりました。その意気です、ガルバさん。……ですが、仕事が終わった後の訓練は、もっと過酷ですよ」
シャルロットは表情を引き締め、動かない右腕を指差した。
「人間の体は、動かさないままでいると、数ヶ月で関節も筋肉も油の切れた機械のように固まってしまいます。この世界の多くの人は、麻痺した腕をそのまま放置して、本当に手遅れになってしまうのです」
ガルバは背筋が凍るような衝撃を覚えた。神官たちが「治らない」と言っていた本当の理由は、これだったのだ。
「そうなる前に、あなたには毎日、動く左手を使って、動かない右腕の関節を無理やり動かし続けてもらいます。筋肉を引きちぎるような激痛が伴いますが……サボれば、本当に二度と動かなくなります。耐えられますか?」
過酷な農作業。左手一本でのナイフ捌き。そして、夜は激痛に耐える関節の引き伸ばしと、感覚を研ぎ澄ます地道な特訓。
気の遠くなるような、泥臭い日々の提示。
しかし、ガルバの顔には、かつてのエースと呼ばれた男の、不敵で快活な笑みが戻っていた。
「望むところだ。……これくらいの激痛、喜んでお釣りをもらうさ」
ガルバはジークのナイフを左手でスラリと抜き、作業台に向き直った。




