第十一話 本当の効率、本当の相棒(ブレイン)(第五部 完)
次の日、オレはクリスさんの案内を経て、再びシャルロット様に呼び出された。
連れてこられたのは、北の広大な大農園のすぐ横に建てられた、木造の立派な大建築だった。
扉を開けて中に入った瞬間、オレの鼻腔を、えも言われぬ芳醇で香ばしい匂いがくすぐった。
昨日、食堂で出されたあのお吸い物の湯気から立ち上っていた、あの濃厚で華やかな本物の醤油の匂いと、全く同じものだ。
「……すごいな」
建物の中では、たくさんの職人たちが汗を流しながら、巨大な木樽を忙しなく見回していた。
シャルロット様はオレとクリスさんを迎え入れると、その美しい銀髪を揺らしながら、醸造所の中をゆっくりと案内してくれた。
「ここはね、私が作った手作りの醤油に目を付けた、この地のエドワード辺境伯が出資して作られたものなのです。ここで作られた本物の醤油は、マルク商会の流通経路を使って、グランベル王国とヴァルハイト帝国の二つの国に広く出荷されているのですよ」
シャルロット様の誇らしげな解説を聞きながら、オレは自分の胸が、キュッと小さく萎んでいくような気恥ずかしさを感じていた。
(……オレは、なんてちっぽけなことをやろうとしていたんだろ)
大人の最高権力者である辺境伯が出資し、商売のプロであるマルク商会が動き、何百人もの職人たちが一年という長い時間を積み重ねて動かしている、国と国をまたぐ一大国家事業。
そこに、身一つでやってきたばかりの、ただ前の世界の知識を持つだけの効率厨の高校生が、小細工で割り込んで大儲けしようとしていたのだ。
敵うわけがない。シャルロット様はきっと、オレの無謀さを思い知らさせるためにここに連れてきたのだろう。
オレはそう覚悟して、静かに唇を噛み締めた。そんなオレの様子を察してか、シャルロット様は足を止め、氷藍の瞳を真っ直ぐにオレへと向けた。
「ここで作られる醤油は、時間も手間暇もかかります。そして、流通する範囲が広ければ広いほど、みんなが欲しがって需要も高まり、どうしてもお値段が吊り上がってしまう。紬さん、交易所のお醤油の値段を見たのでしょう? 普段使いするには、とても高かったでしょう?」
「……はい」
「私も、前からずっと悩んでいたのです。この美味しいお醤油を、もっとたくさんの人に調味料として広く使ってもらいたい。貧しい人たちにだって、お醤油を使って、毎日の食卓を豊かで楽しいものにしてもらいたい、って。……ところが、この伝統的な工場でじっくり作るやり方だけでは、生産量に限界があって、どうしても安くできないのです」
そこまで言うと、シャルロット様は悪戯が成功した少女のように、にっこりと微笑んだ。
「そこに、あなたの作ったあの代用醤油を、クリスさんから教えてもらいました。大豆を使わず、この村に余るほどあるジャパイモを使い、わずか数時間で大量に作り出す、驚異的な効率化の知恵を」
「え……?」
オレが呆気に取られていると、シャルロット様はオレの目を真っ直ぐに見つめ、信じられない言葉を口にした。
「紬さん、あなたの代用醤油を作る、新しい専用の製造工場をここに作ります。エドワード様への口添えや資金の準備は、すべて私に任せてください。職人たちを率いて、あなたにはその新しい工場の『工場長』として働いてもらおうと思います」
「――なっ、工場長……っ!?」
あまりの急展開に、オレの口から情けない声が飛び出た。
お金がなくて、あと二日もすれば宿を追い出されて詰むはずだった身一つの高校生が、一瞬にして一大事業のトップに大抜擢されたのだ。
驚愕して完全に硬直しているオレを見て、シャルロット様はクスリと小さく上品に笑った。
――ハッとして、オレはようやく気がついた。
彼女は最初からオレを責めるつもりなんて、1ミリもなかったんだ。本物の味と比較させたのも、オレの鼻をへし折るためじゃない。オレの作った『代用醤油』の価値を、誰よりも正しく評価して、この場所に導くための演出だったのだと。
「ただ、紬さんが望んでいるような『大儲け』というわけにはいきません。安価で、本当に困っている貧しい人たちにまでちゃんと行き届くように、商品の利益はギリギリまで抑えるつもりです。ふふ、紬さんの希望からは、少しずれちゃうかしら?」
シャルロット様の言葉の真意を頭の中で組み立て、オレはぽつりと呟いた。
「……『公益性』ということですね?」
――クソ食らえだと思ってた言葉だ。他人のためになんて、これまでのオレなら真っ先に『人生の無駄』だと冷笑して切り捨てていたはずなのに。
……今のオレは、それをやろうとしている。
オレの口から出たその単語に、シャルロット様は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。それから、とても嬉しそうに目を細める。
「難しい言葉を知ってますね。そうです、大勢の人に喜んでもらうのです。私たちの知識は、そのためにあるのですから」
「あ……」
利益を独占して大金を稼ぐためじゃない。その効率的な知恵を使って、世界中のたくさんの人たちの食卓を幸せにする。
その高潔な理想を真っ直ぐに語る彼女の姿は、やっぱりオレの憧れそのものだった。
すると、それまで静かに話を聞いていたクリスさんが、嬉しそうに胸の大胸筋をピクッと弾ませて前に進み出てきた。
「いいじゃない! 私もマルク商会の会長さんに話を通してあげるわ。ボクちゃんの作ったお醤油を一番いい形で世界中に届けるルートを、アタシがガツンと用意してあげるからね!」
「クリスさん……」
お姫様が最高の舞台を用意してくれて、宿の支配人が、一番大切な流通の約束を取り付けてくれる。身一つで放り出されたこの異世界で、まさかこんなにも心強い大人たちがオレの味方になってくれるなんて、思ってもみなかった。
彼女が「リィンカネーター」として前の世界でどんな人生を送り、どんな風に太平洋戦争の記憶を抱えるに至ったのか。オレはあえて何も聞かない。彼女もまた、オレのことを根掘り葉掘り詮索してはこない。
ずけずけと相手の領域に踏み込まない、この静かな大人の距離感。それこそが、言葉にしない大人の「信用」の証だった。
オレが赤くなって頭を掻いていると、脳内の静寂の向こうから、どこかいたずらっぽい響きが届いた。
『……。何を弱気になっているの、ツムギ。大儲けはできなくても、これで今日からの宿代やお給料は完璧にクリアでしょ?』
(レイン……!)
ずっとシステムとしてオレの命令に従うだけだった彼女が、オレの脳内で、クスクスと楽しそうに笑っている気配がした。
『世界の仕組みを理解して、一番少ない苦労で、最短ルートで最適化する。それって、あなたの何よりの得意分野じゃない。今度は一人でやるんじゃない。お姫様の理想と、そしてこの私が、あなたの相棒としてついてるんだから』
レインのその言葉に、オレの胸の奥にあった最後の不安が、一瞬で綺麗に消え去っていくのが分かった。
他人の感情なんて人生の不純物だと思っていた。だけど、こうして誰かのために、そして最高の相棒のために、自分の「効率を求める力」を使うなら――それは、これからのオレの人生を、最高に美味しくしてくれる『最高のコク』になるはずだ。
オレは顔を上げ、目の前のシャルロット様に、不敵で、だけど真っ直ぐな笑顔を返した。
「……分かりました。オレの力が、この世界のみんなの役に立つなら。全力で効率よく、新しい工場をまわしてみせます」
「ええ。期待していますね、紬さん」
シャルロット様は嬉しそうに微笑み、クリスさんも横で「あらやだ、男らしくて素敵よぉ!」と大胸筋を弾ませて喜んでくれている。
代用醤油で大儲けをするという安易な計画は、大失敗に終わったけれど……。
――オレの空っぽだったスープには、今、最高のコクが混ざり合っている。
オレの頭脳であり、本当の相棒。レインと共に、オレは新しい世界の一歩を踏み出した。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
本日の更新をもちまして、第2章、第五部が完結いたしました。
ちなみに、作者の脳内を流れる今回のエンディングBGMは、スピッツの「 空も飛べるはず」です。
効率主義を捨て、心ある大切な相棒「レイン」と出会えたツムギの旅立ちに、これ以上ないほどぴったりな曲だと思っています。読者の皆様の心にも、彼らの爽やかな門出の余韻が届いていれば幸いです。
さて、明日からは第2章、第六部へと突入します。
第六部ではベテラン冒険者ガルバの物語が始まります。エデン村に、今度はどんな波乱が舞い込むのか……どうぞお楽しみに。
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