第六話 ジャパイモの裏技
宿の部屋に戻ったオレは、机の上に両肘をついて拳を握り締め、必死に記憶の糸を繰り寄せていた。
(確か、本物の醤油っていうのは、完成するまでに早くても半年から一年くらいはかかるはずだ。熟成させるための場所も必要だし、時間もかかる。だからこそ、この村で売られている醤油はあれほど高い値段がついているんだろう)
生き残るためには、あのお店で売られている高級品を、誰よりも安く、あるいは早く手に入れる必要がある。だけど、異世界にやってきたばかりのオレに、一年ものんびり樽を寝かせて待っている時間なんてあるわけがない。数日後には宿代が尽きて路頭に迷うのだ。
「……だけど、時間をかけずに『科学的』に作る方法が、確かあったはずだ」
前の世界にいた頃、暇つぶしにネットの海を漂っていた時に見た、ある知識を思い出す。
本物の醤油のように微生物の力でじっくり発酵させるのではなく、身近な酸を使って人工的に味と色を作り出す方法だ。それなら、わずかな時間で醤油そっくりの液体が作れると書いてあった。
「カカシ。ちょっと聞きたいんだけど」
オレは頭の中で、唯一の頼りである相棒に語りかけた。さっき怒鳴ってしまった気まずさが胸の奥に少しだけ残っていたが、背に腹は代えられない。
「前の世界で、酸を使って人工的に醤油を作る方法があっただろ。この世界にある材料で、あれと同じものを再現することってできるか?」
問いかける。
しかし、オレの質問に対するカカシの返答は、いつもとは明らかに違っていた。頭の中に響いたその声は、これまでで最も冷たい「機械的」なものだった。
『……了解しました。該当する簡易的な製造方法を検索します。条件に合致するレシピを検出しました』
いつもなら「マスターのその思い付きは非常に効率的です」といった、カカシなりの一言が混ざるはずだった。けれど今のカカシは、オレに言われた通り、ただ淡々とデータだけを脳内に流し込んでくる。
けれど、カカシが提示してきたそのレシピの「原材料」の欄を見た瞬間、オレは気まずさも忘れて目を見開くことになった。
『……本製造法において、大豆の代用品として【ジャパイモ】の使用を推奨します。また、分解に必要な酸の液体は、一階の交易所で安価に販売されている料理用の【お酢】で代用可能です。ジャパイモに含まれる成分をお酢で強制的に分解・加熱加工することで、短時間で醤油に近い風味と色合いを持つ液体を生成できます』
「大豆じゃなくて、ジャパイモとお酢……!? それでいいのかよ」
思わず声が出た。
ジャパイモといえば、さっき北の大農園で、地平線の彼方までアホみたいに大量に作られているのを見たばかりの、あの安い芋だ。お酢だって、お酒があるこの世界ならどこにでも安く売っている。
(待てよ。だけどそれだけじゃ、本物の醤油みたいな『あの真っ黒な色』にはならないはずだ。見た目を完璧にごまかすには、色付けのための……そうだ、焦がした砂糖が必要だ)
前の世界で見たネットの知識が、オレの頭の中でカチリと音を立てて繋がっていく。
これなら、オレの残り少ないお小遣いでも、すべての材料を今すぐ買い揃えることができる。
オレはすぐに一階の交易所へと引き返し、カカシの案内されるままに、大きなジャパイモをいくつか、大容量の瓶に入ったお酢、安価な塩、そして普通の白い砂糖を購入した。宿の受付にいるクリスさんの熱い視線を全力で無視しながら、大急ぎで部屋へと戻る。
「よし、カカシ。材料は揃った。ここからどうすればいい?」
『……。まずはジャパイモを細かく刻み、部屋の備え付けの鍋にお酢と共に入れてください。その後、加熱器具を弱火に設定し、指定の時間までじっくりと煮込みます』
カカシの淡々とした、一筋の無駄もないナビゲーションが頭の中に響く。
オレは言われるがままに、慣れない手つきでジャパイモを刻み、お酢の酸っぱい匂いが部屋の中に充満する中で、ひたすら鍋を火にかけ続けた。
他人の感情に付き合うのは大嫌いだが、こういう「決められた手順通りに作業をこなす」のは、数学の公式を当てはめるようでオレの得意分野だ。
時間が経つにつれて、鍋の中の液体はだんだんとドロドロに溶け、やがてお酢のツンとした臭いが消えていった。そこにカカシの指定した通りの分量の塩を投入し、さらに細かくアクを取りながら煮詰めていく。
「……よし、次は色付けだ」
オレは別の小さな器を取り出すと、買ってきた砂糖を火にかけてじっくりと熱した。砂糖は熱されて溶け、やがてジュウジュウと音を立てながら、ドロドロとした真っ黒な液体へと変わっていく。
前の世界で言う「カラメル」だ。
この苦味とコクのある黒い液体を、ジャパイモを煮込んだ鍋へとゆっくりと混ぜ合わせていく。
すると、ただの濁った茶色だった液体が、一瞬にして見覚えのあるあの深い色へと染まっていった。
どれくらいの時間が経っただろうか。
カカシから『……加熱を停止してください。布で細かな不純物を濾過すれば、全工程が完了します』と冷たい声が響いた。
オレは息を呑みながら、完成した液体を宿のコップへと注ぎ入れた。
「……できた。マジかよ」
コップの中に揺れていたのは、まるであのお店で見た高級品と全く見分けがつかない、深みのある黒褐色の液体だった。
少しだけ指先につけて、恐る恐る口に含んでみる。
「――っ、醤油だ。これ、完全に醤油じゃん!」
見た目も味の方向性も、まぎれもなく醤油そのものだった。一年という長い時間をたったの数時間に縮め、この世界で高値で売られている高級品を、オレは自分の知識とカカシのナビだけで、あっさりと作り出してしまったのだ。
「これなら……いける。あのお店より圧倒的に安く、大量に売れば、大金が稼げるぞ……!」
コップに光る黒い液体を見つめながら、オレは異世界での逆転のプランを確かに感じていた。




