第五話 憧れの令嬢と、逆転の気付き
「こ、こ、こんにちは、あっ、すみません、笑っちゃって、単なる思い出し笑いです」
オレは引き攣った笑顔のまま、しどろもどろに言葉を返した。完全に不審者極まりない態度だ。他人の面倒な感情を避けて生きてきた織原紬、人生最大のコミュニケーション不全を起こしていた。
そんなオレのあまりの動揺を察してか、銀髪の美少女はクスリと小さく上品に微笑んだ。
「ふふ、そうなのね。見かけない顔ですけれど、旅人さんかしら? もしよければ、上がってお茶でも飲んでいかれません?」
質素な建物の扉を軽く開け、彼女は親切にもオレを中に誘ってくれた。
だが、今のオレの心臓は、まるで全力疾走した後のようにバックバクと嫌な音を立てて鳴り響いている。目の前の圧倒的な美貌を前に、オレの脳内処理は完全にパンクしていた。
(――無理無理無理! こんな超絶美少女と一対一で優雅にお茶を飲むなんて、オレの精神力じゃ絶対に会話がもたない……!)
「あ、いや……その、用事がありますので! 失礼します!」
オレはそれだけを早口で捲し立てると、彼女が何かを言いかける前に、踵を返してその場から全力で逃げ出した。
小川のせせらぎが遠ざかるまで、とにかく足早に歩いた。
村の西側の、人のまばらな住宅街まで戻ってきて、ようやくオレは深く長い息を吐き出した。額には嫌な汗がにじんでいる。
「……はぁ、マジで死ぬかと思った。心臓止まるかと……。なぁカカシ、この世界にはあんな高レベルの美少女がそこら中にいっぱいいるわけ?」
頭の中の万能な相棒に問いかける。
しかし、いつもなら一瞬で返ってくるはずのカカシの機械的な音声が、なぜか響かない。
脳内に流れる、妙に長い静寂。
(……あれ? また返事が遅れてる?)
昨日から時折発生する、このわずかなタイムラグにオレが眉をひそめたその瞬間、カカシの平坦な声が頭の奥に響いた。
『……。マスター、あれが隣国であるグランベル王国の公爵令嬢、シャルロット様です』
「え――」
オレは思わず足を止めた。
「えっあれが噂の!? 俺と同じくらいの年齢じゃん! あの人がこの村を大改革したっていう大功労者のお姫様!? マジで? すごすぎるだろ……!」
自分で自分の声が、明らかにひっくり返って浮ついているのが分かった。
心臓のドキドキが、さっきの緊張から、今度は全く別の激しい興奮へと変わっていく。
ただ可愛いだけの女の子じゃない。あの若さで、この世界の無駄だらけな仕組みを、ちゃんとした「論理」と「大改革」によって、一番効率の良い形へと変えてみせた本物の天才エリートだ。まさにオレが前の世界にいた頃から、ずっと心の底で憧れて止まなかった、完璧な知性を持つ理想の女性そのものだった。
「いやマジかよ……。顔があれだけ綺麗でその上めちゃくちゃ頭が良いとか完璧の塊じゃん。あんなすごい人があんなに優しくお茶に誘ってくれたのか……。はは、異世界って本当に最高だな……」
オレはにやけそうになる口元を両手で押さえ、すっかり夢見心地で独り言を呟いていた。
そんな、人生で初めて経験するほどの舞い上がったオレの頭に、カカシの声が一段と冷たく響いた。
『――マスター。浮かれている場合ではありません。警告します。現在、あなた自身の手持ちのお金は残りわずかです。そのような幻想に時間を費やすよりも、今はこの世界で確実にお金を獲得する手段を最優先で見出すべきであると判断します』
幸せな夢から、急に冷たい現実の泥沼へと頭の真上から叩き落とされた気がした。
心臓の心地よい高鳴りは一瞬で冷め、代わりに図星を突かれた恥ずかしさと、オレの最高の気分を台無しにされたことへの激しい怒りがフツフツと湧き上がってきた。
オレはカカシに対して、これまでにないほど強い怒りの声をぶつけてしまう。
「わかってるよ! オレが聞いてないことまで、わざわざお前が話す必要ないんだよ!」
ピシャリと言い放つ。
脳内のカカシは、またしても短い沈黙を挟んだ後、さらに一段と感情の起伏を削ぎ落とした、まるでおろしたての機械のようなトーンで短く返答した。
『……了解しました。これより、余計な助言の出力を停止します』
どこか、冷たく突き放すような響き。
だけど今のオレには、自分の生活をどう成り立たせていくかという焦りの方が勝っていた。
クリスさんのいる宿泊施設へとトボトボと戻りながら、オレは必死に思考を巡らせる。
この村は、中世のような古い世界観のくせに、物流もお店の商品の並べ方も、驚くほど綺麗に整っている。生活に便利な道具や文化的なものまで、しっかりと行き渡っているのだ。
(これじゃあ、よくある物語みたいに、前の世界の知識を使って素人が簡単に儲けられるような隙間なんて、どこにも思いつかないぞ……)
下手に「新しくて画期的なアイデア」を売り込もうとしても、この村を仕切っている商売のプロに一瞬で真似されて、あっという間に潰されるのがオチだ。一番無駄に労力を使う、最悪の結果にしかならない。
「はぁ……何か、一番手っ取り早く大金を稼げるような、この世界の仕組みの穴みたいなものはないのかよ……」
頭を抱えそうになったその時。
オレの脳裏に、さっきお店の棚で見かけた、ある商品の光景が鮮烈に思い浮かんだ。
『……え、嘘だろ。味噌と醤油?』
『……高っ。何これ、結構な値段するじゃん』
「――あ」
オレは、ハッと顔を上げた。
そうだ。あのお店で、やたらと高い値段で売られていた「醤油」。
大豆を収穫し、発酵させて絞る。
そんな製造の原理自体は前の世界の人間なら誰でも知っている簡単なものだ。なのに、これほど効率よく物が流通している村で、なぜあんな高級品として扱われているんだ?
理由は一つしかない。
この世界ではまだ、「醤油を一番無駄なく、大量に生産する仕組み」が確立されていないのだ。
「……ってことは、もしあの醤油を、オレの知識とカカシの案内を使って『安く、大量に作るルート』を見つけ出すことができれば……」
これまでのどん詰まりの状況が、一瞬でひっくり返る強烈な予感がした。
自分の手元にある「チート能力」をどう使えば、一番少ない苦労で、最大の利益を生み出せるか。その答えの糸口が、ようやく見えた気がした。




