第三話 朝の洗礼とスーパーマーケット
翌朝、オレは眩しい光に顔をしかめながら目を覚ました。
ゆっくりと体を起こし、見慣れない木目の天井を見上げる。
「……あー、そっか。オレ、本当に異世界に来ちゃったんだな」
日本の自分の部屋ではない、異世界の宿屋。その現実を改めて頭に思い浮かべていると、突然、澄んだ声が頭の奥で鳴り響いた。
『おはようございますマスター。本日の予定ですが、まずは――』
「……カカシ、悪いけどちょっと黙ってくれる?」
オレは頭を押さえながら、カカシのナビをぴしゃりと遮った。オレ、起きたばかりの時間はめちゃくちゃ低血圧で不機嫌になるタイプなんだよね。
ベッドの中で5分ほどぼーっとして、ようやく頭のエンジンが回り始めてから、オレは小さくため息をついた。
「……よし、カカシ。さっきは悪かった。で、今日はどうしよう?」
心の中で尋ねてみる。だが、いつもなら一瞬で返ってくるカカシの返事が、ほんの少しだけ遅れた。
『……。本日の行動指針ですが、まずは空腹を満たすため、朝食の摂取を推奨します』
(――あれ? 今、一瞬レスポンス遅れなかったか?)
自分の気のせいに違いないと首を振ると、オレは空腹を訴えるお腹をさすりながら、一階の食堂へと階段を降りていった。
一階へ降りると、すでに香ばしいスープの匂いが漂っていた。
開けた視界の中心で、エプロンを身にまとって忙しなく配膳をしている巨体を見つけて、オレは一瞬で身構えた。昨日のゴリマッチョオネェ支配人、クリスさんだ。
「あらあら、おはよう! お寝坊さん♡」
クリスさんはオレに気づくと、パチンと大きな音を立ててウインクを飛ばした。ハートマークが見えそうな勢いでトレイを運んでくる。
「あとちょっとでアタシの手作りスープが冷めちゃうところだったわよ〜ん。はい、ボクちゃんの分の朝食ね!」
「あ、ありがとうございます……」
出されたスープとパンはすごく美味しそうだ。しかしクリスさんは、テーブルに太い腕をつき、ぐいぐいと顔を近づけてオレの様子を観察してくる。このままでは前世のクラスの陽キャみたく、マシンガントークに巻き込まれてややこしいことになる。
オレは、この過剰な勢いをそらすための防衛策として、昨日から気になっていた疑問をあえて自分から振ってみることにした。あまり興味はないが、会話の転換のためなら背に腹は変えられない。
「ところで、クリスさん。この村ってずいぶん便利ですよね。なんか、普通の田舎の村とは違って、色々と綺麗に整ってるっていうか……」
「あらぁ! ボクちゃん、まだ来たばかりなのに見る目あるじゃない!」
狙い通り、クリスさんは嬉しそうに胸の大きな大胸筋をぴくっと弾ませた。よし、これでそらせたぞ――と思ったのも束の間、クリスさんの話は、オレの予想とは全然違う斜め上の方向へと突っ走っていった。
「そうなのよぉ! 数年前に隣国からシャルロット様が来てから、この村はガラッと変わったそうよ」
クリスさんは急に人差し指をあごに当て、首をコテンと横に傾けた。大きな体をくねらせる。
「アタシもね、元は冒険者やってたんだけど、アタシ、怖がりさんだから剣とか怖いの。だから、とにかく自分が傷つきたくなくて、鉄鉱石をこれでもかって固めた、特大の大盾をもってタンクをやってたのよぉ」
「は、はあ……タンク……ですか?」
あの規格外の筋力で怖がりさん、という単語にオレの頭の中の常識が激しく抵抗を始める。だが、クリスさんの昔話は止まらない。今度は両手を胸の前でギュッと握りしめ、少女のようにおびえる仕草をした。
「そしたらある日、すっごく凶暴なレッドドラゴンと鉢合わせしちゃって! 他の仲間がみんな気絶しちゃって、アタシ一人になっちゃったの。そしたらドラゴンがぐわぁっ!ってアタシの方に鋭い爪を立てて襲いかかってきたから、アタシもう怖くて怖くて、頭が真っ白になっちゃって!」
「ドラゴン……っ!?」
「そうなのよ! だから嫌ぁん! 来ないでぇっ!! って目をつむりながら、持ってた大盾で、ドラゴンの顔面をちょっとポカッって押し返したの」
クリスさんは、その時の仕草を再現するように、丸太のような豪腕を可愛らしく前方へ突き出してみせた。ブォン、と恐ろしい風切り音が食堂に響く。
「そしたらね、ドンッ! ってすっごい音がして。アタシが恐る恐る目を開けたら、そのレッドドラゴン、白目を剥いて泡吹いて、地面にひっくり返ってピクピク目を回しちゃってたのよぉ。脳震盪を起こしちゃったみたいで」
「……」
「それで、なぜか無理やりアタシの手柄にされちゃって、一気に一流の仲間入りさせられちゃったの。ギルド最強の男とか言われてさ」
そこまで言うと、クリスさんは両手で顔を覆い、本当に悲しそうに肩をガクガクと震わせた。
「アタシ女の子なのに……っ! もう冒険者なんてやってられないって、思ったところで、マルク商会のマルクさんに拾ってもらってこの宿泊所の支配人になったの。本当に天職だわ」
オレはスープをスプーンですくったまま、完全に固まっていた。
(大盾を振り回して『ちょっとポカッってやった』だけでドラゴンを脳震盪で気絶させるとか、どんな怪力だよ!最強の男って言われて当然だろ!)
オレはクリスさんの恐ろしい情報量の嵐から逃げるように、スープとパンを大急ぎで胃袋に流し込んだ。完全に会話の転換をする相手を間違えた。大失敗だ。
「ご、ごちそうさまでした!」
オレは食器を片付けると、逃げるようにして席を離れた。
「あ、待って、ボクちゃん――」というクリスさんの声を背中に浴びながら、宿泊所の外へと転がるように飛び出す。
それを見送ったクリスさんは、頬に両手を当てて身悶えしていた。
「フフフ……つれないのねぇ。でも、照れちゃって、か・わ・い・いわね。アタシ、そういうウブな子大好物よ♡」
◇
宿の外へ出ると、朝の澄んだ空気のおかげで、ようやくパニック気味だった頭が冷えてきた。
「……はぁ、マジで死ぬかと思った。あの人の前では二度と余計な口を利かないようにしよう……」
オレは昨日から気になっていた「東エリアの交易所」へと向かって歩き出した。とりあえず、この村の流通システムをこの目で確かめておく必要がある。
建物の立ち並ぶエリアを進み、目的の交易所へと足を踏み入れた。
その瞬間、オレは再び目を見開くことになった。
「……なんだこれ。まるでスーパーマーケットじゃん」
中に入ると、そこには様々な商品が、ジャンルごとに分かりやすく綺麗に陳列されていた。
異世界の直売所と言えば、地べたにゴザを敷いて野菜を雑に並べているようなものを想像していたが、ここは全く違う。野菜、果物、調味料、さらには簡単な生活雑貨までが、棚に整然と並べられ、それぞれに見やすい値札がつけられている。地球のスーパーマーケットそのものと言っていいシステムだった。
「カカシ……これ、やっぱり例のお姫様が作ったんだよな?」
『いえ、違いますマスター。シャルロット様が提案したのは、北にある大農園の「輪作」という効率的な農業システムだけです。それが大当たりしてこの村が物流の要になったため、マルク商会のマルク氏が、人が集まるこの交易所をこれほどの規模の販売所に作り変えたのです』
オレは棚の間を歩きながら、カカシの解説に小さく頷いた。
「なるほどな。都会のお姫様の農業改革と、ゴリゴリの商売のプロの技が合わさってできた村か。それなら、この無駄のない便利さにも筋が通るわ」
謎が解けてすっきり納得したオレは、棚に並ぶ商品を眺めた。
すると、調味料の並ぶ棚のある地点で、オレの視線がピタッと止まった。
「……え、嘘だろ。味噌と醤油?」




