第二話 不自然な村と情報過多の受付
カカシの教えてくれたルートを頼りに、ひたすら草を踏み締めて歩いた。
「……はぁ、ちょっと遠すぎ。異世界の距離感、マジで効率悪いでしょ」
額の汗をブレザーの袖で拭いながら、オレは、ようやく目的の「エデン村」へとたどり着いた。
村、と聞いてオレが思い浮かべていたのは、緑に囲まれたのどかな山村だった。時間がゆっくり流れるような、よくある田舎町。
だが、目の前に広がる光景は、その予想を完全に裏切るものだった。
村の中央には、綺麗に整地された一本の大きな道が通っている。
その大通りを、山のように農作物を積んだ馬車が、砂煙を上げながら激しく行き交っていた。行き先はすべて、東側にある大きな建物の横――集荷場だ。男たちが忙しなく荷を降ろし、声を掛け合っている。活気があると言えば聞こえはいいが、要するにせわしない。
オレは歩きながら、周囲の様子を頭の中で整理した。
北には、地平線まで続きそうな広大な大農園。
東には、人の出入りが最も激しい交易所と宿泊所。
交易所から西に向かっていくにつれて、ようやく家々がまばらになっていく。
「ついたけど、カカシ。ここからの選択肢をくれ。オレ、お金なんて一枚も持ってないし、まずは寝るところを確保しないと不味いよな」
心の中で問いかけると、耳に心地よいカカシの声が頭の中に直接返ってきた。
『まずは交易所の横にある宿泊施設に泊まることをお勧めします。マスター、ご自身の制服の右ポケットを確認してください』
「右ポケット?」
言われるがままに、ブレザーの右ポケットに手を突っ込む。すると、指先に冷たい金属の感触が触れた。取り出してみると、見慣れない模様の硬貨が数枚、手のひらに転がった。
『大女神様が、転移の直前に滑り込ませた初期費用です。少しですが、数日分の滞在費にはなるかと』
「……あ、あのポンコツ神、ゴミ箱にポイするみたいにオレを放り出しておいて、最低限の準備はしてくれてたわけか。手際が雑なんだよ」
悪態をつきつつも、お金があるなら助かる。オレはカカシの案内に従って、一番無駄なく歩ける最短ルートで東の宿泊所へと向かった。
木造の立派な建物の扉を開けると、カランカランと涼やかな鈴の音が響く。
「すいません、1泊……頼みたいんですけど」
受付のカウンターへ近づき、オレは完全に硬直した。
そこにいたのは、オレの理解の範疇を完全に超えた男だった。
丸太のような太い二の腕に、はち切れんばかりの大胸筋。雄牛のような太い首。戦士か何かと言われた方が納得がいくほどの、ものすごいゴリマッチョだ。
なのに、髪型は一筋の乱れもない見事なオールバック。口ひげと顎ひげは、まるでイギリスの紳士のように左右対称に美しく切りそろえられていて、整髪料の良い香りが漂ってくる。
その大男の胸元の名札に【クリス】。
「あらぁ! いらっしゃい。見かけない顔ねぇ、ボクちゃん?」
ゴリマッチョの口から飛び出したのは、野太いが、それでいて信じられないほど艶やかなオネェ言葉だった。小首を傾げ、人差し指を頬に当てる仕草はいちいち乙女チックだ。
オレの思考が一瞬でフリーズした。喉が完全に詰まり、言葉がうまく出てこない。
(うわ……待って。マッチョで、紳士で、オネェって、ややこしすぎるだろこれ……!)
「あ、いや……あの、その、1泊……なんですけど」
ぎくしゃくした声しか出せないオレを見て、クリスは「あらやだ!」と嬉しそうに身を乗り出してきた。カウンターがその巨体でミシミシと音を立てる。
「まぁ、緊張しちゃって可愛いわねぇ!どこから来たの?お腹は空いてない? 大丈夫?」
「っ……! いや、大丈夫、です。迷子じゃなくて……」
ぐいぐい距離を詰めてくるクリスの勢いに圧倒され、オレは思わず半歩後ろに下がった。前世では他人の感情や人間関係を面倒くさがって避けてきた。だから、こういう「想定外の強烈な人間」に対する免疫が完全にゼロなのだ。心臓が嫌な音を立ててバクバクしている。
『マスター、呼吸が浅くなっています。落ち着いて深呼吸を。彼は面倒見が良い性格と推定されます。変に怪しまれる前に、お金を出してください』
頭の中のカカシの冷静な声に、オレは「分かってるよ!」と心の中で叫んだ。大きく一つ息を吸い、ポケットのコインを震える手でカウンターに差し出す。
「1泊、いくらですか……?」
「もう、随分とつっけんどんなお兄ちゃんね。でもそういう子、嫌いじゃないわよ? お部屋は空いてるから、銅貨3枚ね」
クリスは太い指先で器用にコインを回収すると、引き出しから鍵を取り出した。
「ほら、これがお部屋の鍵。2階の奥よ。何か困ったことがあったら、何でもアタシに言いなさいね?」
「あ、ありがとうございます……」
オレはクリスの熱い視線から逃げるように、鍵を奪い取るようにして割り当てられた部屋へと駆け込んだ。
パタン、と扉を閉めて鍵をかける。
簡素だが清潔なベッドと机があるだけの空間。ようやく一人になれた。
オレはベッドにドサリと横たわった。天井を見上げ、大きくため息をつく。まだ心臓がドキドキしている。それから、道中でずっと引っかかっていた疑問をカカシにぶつけてみた。声を出すことで、さっきの緊張を落ち着かせたかった。
「なぁ、カカシ。さっきから思ってたんだけど、この村、なんか不自然じゃないか?」
『何に対する違和感でしょうか、マスター』
「ここは農村だって言ったろ。なのに、人も馬車も多すぎる。この中世っぽい世界観に対して、あの効率の良さはどう考えてもおかしい。なんか矛盾を感じるんだよね」
寝転がったまま、オレは鋭い視線で天井を睨む。他人の感情を読み解くのは大嫌いだが、こういう論理的な「おかしな点」を見つけるのは昔から得意だった。
頭の中のカカシは、少しの間を置いてから、その答えを教えてくれた。
『マスターの観察眼は正確です。エデン村がこれほど綺麗に発展しているのは、隣国であるグランベル王国の公爵令嬢、シャルロット様がこの地にやって来てからなのです。彼女の主導による改革によって、この村は急激に変貌を遂げました』
「……なるほど。都会の頭いいお姫様が、ちゃんとした理屈に基づいて村を大改革したってわけか。なら、あの不自然な便利さにも筋が通るな」
おかしな原因が「有能なエリートの仕業」だと分かり、オレはすっきり納得した。
「よし、謎は解けた。寝るわ」
オレは制服のまま毛布を頭から被り、異世界での最初の夜を迎えるために目を閉じた。




