第十一章 決行 -職人達の逆襲-(中)
2001年1月9日。
火曜日。
この日は日中は晴れていたが、夕方から雲が出始め、夜に入った頃には月も見えなくなっていた。
バラバラバラバラ…。
恵比寿ガーデンプレイス周辺は、上空を飛び交うマスコミの減りの音が高層ビルによって増幅され、予告されていた19時前にはもう隣の人との会話も聞き取れない程となっていた。
最早轟音、騒音である。
広場へ向かう入り口も、大変なことになっていた。
昼間、『100人は越えている』と報道されていたマスコミ、やじ馬の数は、3倍近くにまで膨れ上がっていたのである。
ガーデンプレイスに隣接する百貨店、テナント、また高層ビルに入っていた会社、病院は全て営業を停止していた。
それもそのはずだ。全ての入口は警察によって封鎖されている。営業にならないのだ。広場を歩き回っている人間は全て、警官である。恵が上からざっと見た限りで3~40名というところか。ケースの周りを囲うようにして10名(制服)。その他は私服で、植え込みに不審物などないか(もうすでにそのような調べは特殊部隊によってやられているにも関わらず)見て回っている。
"18時55分。"
インカムから伊藤の声がする。恵は真っ黒いマントに身を隠し、中で大きく息をついた。
この時恵は、恵比寿センタービルの地上2階にある、バルコニーにいた。ここは歯医者と病院がテナントとして入っていたが、どちらも通常は窓を締め切っており、外へは出られない。外も殺風景なものだった。恵たちは非常用の、ここに目をつけたのだ。
案の定、ここまで警察の捜査は手が回らなかったようだ。
「…行きます」
恵はマイクに向かい呼びかけた。そしてすっくと立ち上がると、分厚い手すりを乗り越えた。
するとそこには、広場の真上にあるアーチ状の屋根があった。
恵の体は両腕の力で軽々と持ち上がり、その屋根を四つんばいになって登っていく。
"59分。メグ。"
恵はガラス製の屋根の頂上、端近くに到達していた。マスコミらがいる入口とは逆方向だ。
「…行きます。」
恵は仮面をつけた。そして…助走をつけ、走った!
みるみる屋根の端が迫ってくる。このままでは落ちる。しかし恵はスピードを落とさなかった。そして。
ぶわっ。
恵の体は屋根から外へと飛び出した。
「いたぞ!!」
下で見回った警官の一人が気づいた。
「確保!!!」
と、その時だった。
…ッボンッ!ボンッ!ボンッ!!
鈍い破裂音が何回も轟いた。地下1階の広場にいた警官隊の動きが一瞬、止まった。そして。
「うわぁあああああぁああああぁ!!!」
それは悪夢のような光景だった。
屋根から、大量の黒い紙が舞い降ってきたのだ。折り紙だ。黒いウサギだ。
さらに、まだあった。
次に降ってきたもの。それは巨大な網だった。
逃げ惑う警官隊。しかし、もう遅かった。
その広場にいた警官のほぼ全員が、その網によって一網打尽となったのである。
しかもその円形の網の周りには重しが取り付けられていた。中に取り込まれた人間がもがけばもがくほど、絡まる。そして非常な重さだった。とにかく、動けない。
腰にワイヤーを取り付けて広場上空を滑空していた恵がシャンデリアのケースの上に降り立ったのは、この時だった。
ワイヤーを腰から外し、右手に持ち、ケースからから飛び降りる。黒のマントがふわりとはためいた。中のシャツもズボンも、とにかく黒。黒ずくめだ。そしてその顔には目元が耳の辺りまで逆三日月型に避けた白い仮面がニタニタと笑っている。
恵はそんな姿で、高さ5mほどはあったケースから飛び降りると、持っていたワイヤーをケースのはじにテープで固定し、持っていた一つ目の鍵で中へと入った。
外の喧騒がほとんど聞こえない。
「入りました」
恵が胸元のマイクへ呼びかける。
"了解"
伊藤の声を聞きながら、恵はシャンデリアを見上げた。間違いない。本物だ。感慨にふけっている間はなかった。恵はす早く、次の行動へ移ったのである。
広場は一面、何枚もの投網と折り紙によって占拠されていた。
「こちらA地点!こちらA地点!全員が上から降ってきた網によって身動きが取れない状態、応援を求める!!」
中にいた警官が無線に必死に呼びかけている。しかし。
"こちら三越前。窃盗団の一員と見られる者一名が暴れている、確保に向かう―"
三越百貨店は、明かりが煌々と点いていた。
地上1階、三越百貨店側の通路。
「さぁ来るなら来てみろ!!!」
雪乃の大音声である。仮面で表情までは分からないが、おそらく笑っているのだろう。
「いたぞー!!」「何をしているか!!!」「確保!!!」
何十人もの警官がその通路の両側から怒声を上げながら殺到してくる。
その通路は三越と、ガーデンプレイス広場の間にあって、広場側には柱が何本も並んで建っていた。そしてその上には"X"の形状でアーチが渡されている。雪乃は迷わず、その柱に一瞬足をかけ、そして手をバッ、と上へ伸ばした。するとどうだ。その手首からワイヤーが糸の様に吐き出され、上の太いアーチへくるくると巻きついたではないか。
警官隊の先頭が雪乃のマントへてをかけるより一瞬早く、雪乃の体は宙へ舞い、くるりと一回転して数m上のアーチの上へと降り立った。
「あっはハハハ!!!」
笑う雪乃の手首へ、ワイヤーがしゅるりとしまわれる。眼下では挟み撃ちにするはずだったであろう警官隊がもろにぶつかったり、きりもみ状態になったりしている。大変な混乱だ。
と、その時だった。
「動くなー!!!!」
警官の一人が迷わず銃口を向けた。
雪乃の仮面の内から、笑顔が消えた。…のは、一瞬だった。
次の瞬間。
雪乃の体がふわぁ、と横ざまに倒れた。
…ように見えたが、違った。
雪乃は倒れるようにそのアーチの上から広場の柱へ走りよると…、迷うことなく、その身を広場へと投げ出した。飛び降りたのである。
柱から広場まではどう考えても10m以上はある。
銃を向けたその警官も、その場にいた人間全員も、わが目を疑った。そしてそこから一斉に身を乗り出して下を覗き込んだ。
広場は一面、網と黒ウサギの折り紙の海だった。そして。
一体どうやって降り立ったのか分からないが、その間を縫うようにしてシャンデリアのケースへと走り向かう、雪乃の姿があった。
「あっ!?あれは何でしょうか!!広場の天井から黒いものが降っています!!先ほど、ぼんぼんっと音がして…きゃあ!?」
一方ここは、ガーデンプレイスの入口である。女性のレポーターがテレビカメラに向かいレポートをしていたが、突然何者かに押しのけられた。
それは男だった。背が高い。毛糸の帽子をかぶり、ジャンパーを着込んでいる。目が細く、唇もうすくてしかし大きく、まるで狐のような顔だ。
女性レポーターがムカッとした顔で男を見た、次の瞬間だった。
「さぁて、そろそろ行くかなぁ。」「きゃ!」
ぼぅんっ!
その男から真っ白い煙が上がった。
テレビカメラは、回り続けている。
煙が晴れた。
先ほどの女性レポーターが、げほげほと咳き込んでいる。カメラマンは息を飲みこそしたものの、テープは回していた。
息を飲んだのも、無理は無かった。
そこには、黒いマント、黒のシャツにズボン。腕まである手袋も黒。ニタニタと笑った白い仮面。しかしその口元は恵は雪乃のそれとは違い、仮面がない。つまり顔の上半分のみが覆われた仮面である。
「なっ…!!」
他局の報道陣が一斉にどよめいた。まさかカメラの前に堂々と犯人が現れるとは思っても見なかったのである。
「誰かつかまえろ!」
やじ馬の誰かが叫んだ。
非常線にいた警官数人も騒ぎに気づいた。
「すみませんね。お仕事のジャマを…おお!?」
伊藤は親切にも、その女性レポーターを立たせてやって、埃を落としてやったりしていた、そこへ警官5人が殺到してきた。なぎ倒されるテレビカメラ。脚立。伊藤はあわてて逃げたが、間に合わなかった。警官の一人がマントをつかみしめると背中から思い切り伊藤を取り押さえたのである。
やじ馬からどよめきと、拍手が起こった。マスコミもこぞってカメラをむける。
「被疑者、確保!!20時2分確保!!!」
警官が叫びながら、面体をあらためようと仮面に手をかけた。その時だった。
「おい、それ…人じゃなくないか?」
誰かの声がした。
「…!?」
警官はもしやと、取り押さえていたマント姿の男の体をぐるりと回して、こちらに顔を向けさせた。
何ということだろう。
伊藤の体が、ぶよぶよでボロボロのマネキン人形にすり替わっていたのである。
しかもだ。
「…シューーーーーー。」
マネキンの口元から、何かガスが漏れ出ている。
「ひっ…!」
ぶわっ。
あたりがまた、白い煙に包まれた。人形が大量の煙を一気に吐き出したのである。
さっきのカメラマンは、今度は無事では済まなかった。
煙に睡眠薬が含まれていたのである。
警官数名とマスコミ関係者がこれに巻き込まれ、一時的に意識を失った。そして。
「バイバーイ。」
規制線の向こう。伊藤はそこにいた。
巻き込まれなかったやじ馬たちは、呆然とそれを見送る他なかった。
(少し遊びすぎた…!)
広場へ向かう長い坂を走り下りながら伊藤は焦っていた。
そろそろ広場の網が破られる予想だったのである。
この伊藤の予測はほぼ正しかった。
しかも、先ほど雪乃が相対していた応援の警官隊も、広場へ押しかけようとしていたのである。
走る伊藤の前方、広場の中央では雪乃が、必死に逃げながらその手に持っている特製のネットランチャーで警官を再び網で捕らえている。しかしそれももう限界が近そうだ。
「ユキ、ごめん遅なった!もう一個、今発動する!マスク付け替えろ!!」
"了解!"
伊藤の手には何か、スイッチがついたペンのようなものが握られている。
「3,2,1…!」
伊藤はここで広場に着いた。ケースの中では恵が作業をしている。外では雪乃がマントをつかまれ、今にも捕まりそうだ。
二人の目が合った。伊藤がスイッチを押した。口を押さえる。
ズ…ドォン。ドォン!
と、その時だった。
パリン!ガッシャーン!!!!!
「え?!」「メグー!!」
19時05分。
広場の床、その数ヶ月前に畑野が仕込んだ分の仕掛けが今、発動した。
床から一気に白い煙が上がった。これも睡眠薬が混ざった煙だ。吸い込んだらひとたまりもない。
雪乃はガスマスクに付け替えていた。しかし。
パリン!ガッシャーン!!!!!
「え?!」「メグー!!」
ケースから凄まじいばかりの、ガラスの割れる音がしたのである。
伊藤も雪乃もこれにはがく然とした。
(失敗したか?!)
(まさか…死ん…)
と、その時だった。
"マリアが、おる"
恵の声がした。
もやが、晴れた。伊藤と雪乃以外の人間は全員、眠りこけている。警官隊全員とは行かなかったが、警察はこれで充分だろう。
雪乃がむくりと起き上がった。取り押さえていた警官2人の体がどさどさ、と倒れる。伊藤が途中から助け起こした。そして二人はケースへと駆け寄った。
中の恵は、無事だった。下の床は大量のガラスの破片で、足の踏み場もない有様だ。が恵は縄ばしごに乗り、例の鍵を回したまま、動きが止まっていた。がく然としていた。
その視線の先。
「な…!!!」「なに、あれ…」
シャンデリアは、そのガラスのパーツのみが、全てなくなって骨組だけとなっていた。しかし、その代わりに、ある物が在ったのである。
マリアだ。モレロ・パシフィック社社長、レオン=ウラジーミロヴィチ=ズミエフスカヤの母、マリアの像だ。胸をぴんと張り、大きく口を開き、右手に持ったマイクに向かい歌っている。そしてその首に。
(… あ れ や !!!)
恵ははっとして気がついた。もう迷いはなかった。かけていた縄ばしごを登り、骨組をするすると登って像の前まで来ると、その首にかかっていたアレキサンドライトのネックレスを…外した。
"盗った!!!!!"
「っしゃあ!!」「畑野さん!!」
するとインカムから畑野和宏の懐かしい声がした。
"おつかれ。もう上におるよ。真下、クリア。大丈夫や登っておいで"
この時、すでに恵は縄ばしごをしまい、ケースから出てこようとしていた。その手にはしっかりとアレキサンドライトのネックレスが手袋越しに、ある。こぶし大の大きさ。物凄い大きさだ。
恵は伊藤に、宝石を渡した。
「よし、離脱するぞ!」「了解!!」
恵は、テープで固定していたワイヤーを手に取った。
三人の身体が、恵比寿ガーデンタワーを外壁を伝って、登っていく。
勿論、その腰には太いワイヤーが取り付けている。屋上からそれはぶら下がっていて、今は機会でそれを巻き上げる形で上へ上へと登っているのだ。
アーチ状の屋根がみるみる遠ざかっていく。代わりに広がっているのは、見事なまでの夜景だ。
汗みどろで立ち回っていたため、その汗が冷えてとにかく寒い。
今、すでに宝石は恵から伊藤へ渡っている。恵は大安心だった。
こうして三人はあっという間に、タワーの屋上へと到着した。
エンジンのかかったヘリコプターが一機、停まっている。そしてそのそばには。
(…よっ。)
畑野が右手でちょいと敬礼をした。マントはつけていないが、一応、彼も同じユニフォームだ。
(シャクやわ、かっこええし…)
雪乃が憮然とした顔でガスマスクを取った。
「メグ。」
「うん?」
「あれ、何があったん?」
雪乃が恵の顔を覗き込んでいる。真っ暗で表情は見えないが、多分心配しているのだろう。
「ケガはないんか。」
伊藤も心配していた。(後で聞いたが、あの時本当に『恵は死んだ』と思ったそうだ。)
「大丈夫。耳が少しやられてるけど。…分からへん。あたしはあの時…」
恵はあの時、普通にリハーサル通り例の鍵を外し、鍵を右に回した。すると、
「突然骨組みの外側だけが外れて、ガラスのパーツと電飾だけが下に落下したんよ。あたしは真下におって、あそこだけは何もなかった。それであの中に…」
「マリア=クリスティーヌのガラス製の像があった…」
伊藤も雪乃も、あの像はこの目で見ていた。疑いようがなかった。
「どうした、何かあったんか?」
ヘリを運転していた畑野が聞いた。それはそうだろう、畑野は何も知らないのだ。
「ええ実は…。」
伊藤はかいつまんで説明した。
「ははぁ…そんな事があったんか。なんや、気味が悪いな…」
「設計書にはあんな像のことは書いてませんでした…」
「…よなぁ…」
「じゃあ誰が一体、いつ…?」
雪乃が眉をひそめた。
「…それは後で調べよ。大体見当はついてるけど…。
それより。まだ実行は終わってない。先はまだある。気ィ引き締めるぞ!」
「はい!!」
三人の声がひっ揃った。




