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黒ウサギ  作者: 田中利佳
12/18

第九章 ぐらり

 11月に入った。

 神戸にもようやく冬の気配が漂い始めた。

 しかし、伊藤貴志ら第二班の面々はそれどころではなかった。

 まず、神戸に居なかった。9月から拠点を東京に移していたのである。



"(女性アナウンサーの声)恵比寿ガーデンプレイスでイルミネーションの点灯式が行われました。

 センター広場に展示されているこのシャンデリアは、もれろグラス製で高さ5m、幅3mと、世界最大級とのことです。"


「お。畑野さん映っとるわ」

 傍らで伊藤が指差した。

 見ると、会場内でインカムトランシーバーをつけ、イベントのタイムキーパーにあたる畑野の姿が一瞬だが映っていた。

「やー…似合におてる」

 恵も笑った。

 が、眼が笑っていない。

(この映像が証拠になって捕まったりせえへんやろか…?)

 ちらと隣の伊藤を見ると、伊藤も同じ事を考えたのか、テレビ画面をじっと見ている。

 と、VTRが切り替わった。現地でインタビューをしているようだ。あれは20代前半だろうか、カップルが映っている。

"(女性)すごかったですー!見てる方向でシャンデリアが青くなったり、赤くなったり。"

"(男性)コレだけ大きいと迫力ありますよねぇ"

"(アナウンサーの声)関係者から話を伺ったところ、『このモレロの光が永遠に続くよう、そしてその永久とわの光が皆様の喜びを照らす光となりますように。今宵は光の魔術をお楽しみいただければと思います』とのことでした。

 このシャンデリアは、来年1月9日まで展示されるとのことです。"

 VTRからスタジオに映像は切り替わった。

"(男性アナウンサー)いやあ…凄い迫力ですね。もうダイヤより凄いんじゃないかと。"

"(女性アナウンサー)本当ですね。現地で見てきたんですけどもう言葉になりませんでした。

 それでは、次のニュースです。"

 伊藤はテレビを消した。

「実は今、雪乃は現場におる。小型カメラを付けにな」

「…それで、展示時間外に何が行われるか見るんやね?」

「そ。」

 伊藤は腕時計を見やった。6時半を指している。

「そろそろこっちにくるはずや。帰ってきたら、仕込んだ場所、聞いといてもらえるか。回収は、お前に行ってもらう。」

 伊藤はソファから立ち上がった。おんぼろの黒ソファが悲鳴を上げる。

「!…どこ行くん」

 恵が怪訝な顔で言った。

「散歩…と、酒と飯買うてくる。今日は畑野さんも来れるそうや、まずは仕込み成功っちゅうことで今夜はプチ打ち上げや。…お前も買出し一緒に行くか?」

「…ううん、いい。」

「そうか。ほな、行ってくる。」

「うん、行ってらっしゃい」

 伊藤はにまっと笑って応えた。




 ギイ、ガチャン。




 重い鉄製の扉が閉まる音がした。

 恵は振り向いていた顔を戻し、ソファの上でたいそう座りになった。

 そのまま、顔をうずめる。

 ついさっきまで外では子供たちの声がしていたが、それも絶えていた。もう真っ暗だ。

 この練馬のかたすみで、伊藤と一緒の生活をし始めてからもうすぐ2ヶ月になる。

 これまで神戸では一人暮らしだった。会うのも黒ウサギの本部では時たまで、それも大抵は雪乃も畑野さんも居て、丸一日二人きりというのはあまり無かったような気がする。

 これだけ一緒だと不思議なもので、向こうの考えてる事も少しは分かってくるものだ。

 さっきだってそうだ。

 どこ行くん、と聞いたは聞いたが、本当は買いに出かけるってことも分かっていた。

 なのに、何故?

 さびしいから?

 これまでずっと一人だったのに、そんなことがあるはずはない。

(…いや…)

 案外、そうかもしれない。

 急に『伊藤貴志』があたしの生活に入り込んできた。朝、人の淹れてくれるコーヒーの香りで目が覚めるなんて以前は考えられなかった。


(そういや最近あのひと、あたしのこと名前で呼ばんようなった気がする…)


 そうだ。先週のあの時からだ。

 あの日も確か、畑野さんにお願いする仕掛けをここで作り込んでいた。

 そうしたら、あの扉が開いて、あのひとはずぶ濡れで帰ってきたのだ。急な雨に降られて。

 あわててタオルを数枚持っていくと、あの人はタオル…と、あたしの手をつかんでほおに摺り寄せ口に寄せながらこう言ったのだ。


「ああ、手ぇぬくい。ありがと。シャワー浴びてくるわ。」





 あの時の伊藤の吐息が急に蘇り、恵はあわてて顔を上げた。

 その顔は、真っ赤だった。




「ほほー!ほー!!」

 雪乃のニヤニヤが止まらない。

 そこは、先ほどの練馬のアパートの一室である。二人はベランダに出ていた。中では畑野と伊藤が何やらわいわいと話し込んでいる。すでにワインが数本空いているようで、結構な盛り上がりようだ。

「…何やそのリアクションは…人が真剣に悩んでんのに」

 恵はふてくされた。

「ごめんごめん、悪かった。」

 雪乃は言って、「…で、あんたはどうするん?」

「うーん…」

 それが分かれば苦労はしない。

「…前から知っててんけど、貴志さん前からあんたにホの字やったで。なぁ?」

「…そうやったんか…」

 全然、気が付かなかった。

「でもそこはそれや。あんた、これまで家族に乱暴されたとか、あったやん?だから、ゆっくり待つって言うとったんよ。」

「…え」

「でもまぁ、そろそろキテたんやろなあ。ここで二ヶ月も二人っきりやってんやろ?そら…まぁよう手ぇ出さんかったわ。ほめてやりたい、むしろ」

 雪乃は一人で頷いている。

「メグはさ、もし付き合うなんてことになったら初めての人になるん?」

「…そう」

 恵はすでに顔が真っ赤だ。

「…比べる対象がないんやねぇ。」

 雪乃は頬づえをつくように頬に左手をやりつつ、「…これは色々と聞きかじった情報なんやけどな。」

「…。」

「まぁそもそも?この稼業してる人って色好みは激しいんよね。特に決行前後ともなると並みの精神やないからな。女を買うっちゅうのも多いんよね。そういうの、何人も、何度も見てきたよ。

 伊藤さんも例外やなかった。特定の女性はおらなんだけど、大阪の…アレですよ。」

「ああ、」

 恵は流石に分かっていたようだ。「その辺りの風俗で買うてたんやね。」

「そうそ。勿論上も黙認よ。実行日現場で強姦されるよりはよっぽどええ。ってんで。うちは盗みの原則にあるやろ、『女に手ごめしないこと』。『人を殺傷しないこと』ってな。

 わたしもその現実知ったときは…イヤぁなもんやった。女買うなんて、って。でもこっちの道入る内に、割り切ったわ。無理。あんなぎりぎり一杯なコトして、並みの精神ではいられないよ。その分より大きいリフレッシュを求めようとするんちゃうかな。結果快楽に走るというか。」

 何となく、言わんとしていることは分かる。

「話、戻すけど。

 伊藤さんはあんたが来てからもその辺りは変わらなかったらしい。ただ、急にその数が減ったそうや。

 一度、上層部の佐藤さんが冗談めかして聞いたことがあったらしい。そしたら何て言うたと思う?

『一人の少女が女になっていくのを見るのは、それは男冥利に尽きるものですよ、佐藤さん』

 その時たまたま他にも実行犯長が顔を揃えてたらしいんやけどな。伊藤さんの顔見て、みんな凍りついてたそうや。どんな顔してたんやろね。その後、こうも言ったそうや。

『まぁそんなワケですから、うちの(メグ)には手え出さんでくださいね。知ってるんですよ?高橋班長。』」

「高橋…って第三班の」

「そ、高橋省吾さん。あの人は『まさか』って言うて、はぐらかしたらしいけどな。あの人も凄いらしい。売却班の若いコも何人かヤられてるってウワサやし…」

「…」

 そういえば。

 恵は昔、第三班班長と引き合わされた時のことを思い出していた。

(あの目はやっぱりそうやったんか…身体を舐めるように見よったわ…)

「あとは、知っての通りのお人やと思うよ?気分屋でマイペース、興味無いもんには見向きもしない。でも優しい人やわ。」

「あっははは」

 恵は笑った。

「よう考えや。別に付きあわないかんっちゅうワケでもないんやし。断る権利だってある。トラブったらうちがぶっ飛ばしたるわ。」

 雪乃は力こぶを突き出した。恵はまた声を上げて笑った。




 劇場型犯罪。

 実行犯第二班の代名詞である。

 予告状は被害者とマスコミに送りつける。

 決行当日は警官隊と衝突、大捕り物を演じる(が、捕まらない)。

 証拠は大量に残す。勿論これはわざとで、その後の操作のかく乱が目的であり、大量なものの決め手に欠くため逮捕に結びつかない。マスコミも巻き込むので映像も残る。

 第二班は、"世間に最も認知された黒ウサギの姿"と言っても過言ではないかもしれない。



 翌日。

 第二班の面々は約二ヶ月ぶりに顔を揃えた。

「皆様。まずは改めましてお疲れ様でした。」

 伊藤は昨日の酒もどこへやら、にこやかに言った。

「何か…すごい帰ってきた感じするわ」

 雪乃がまじまじと三人の顔を見回し言った。

「まさかの四班出戻りくらってたもんな、ゆきのん」

 恵は苦笑いになった。

「あ…そうなんや」

 畑野は雪乃を見た。

「おとといまで神戸におったよ。一人は寂しかったわぁ」

 雪乃はまたも恵に抱きついた。

「はいはい。」

 抱きつかれた恵は受け止めつつ、(…あれ、この子やせた…)と思った。

 雪乃はかなり、四班ではたらいたらしい。

 一方の畑野もかなり、はたらいていた。

 この二ヶ月、彼は完全に『日雇い労働者』を演じきっていた。

 のびた不精ひげ。何日も洗っていないであろうよれよれの服。髪も伸びたくっている。連日、恵比寿だけでなく都内で働きまわった疲労が、畑野の身体には染み付いていた。

「…シャンデリアには一切、触れんかったわ」

 畑野はぼそぼそと言った。何か話し方まで変わってしまったようだ。「点灯式ぎりぎりまでカーテンで仕切られよって…」

「これですね。」

 伊藤はリモコンを操作した。

 雪乃が仕込んだ隠しカメラの映像である。

「はー…別のところで組み立てられて、ケースごとトラックで運ばれて来たんや…」

 雪乃はこの辺りは見ていなかったらしい。

「本体の組み立てはモレロの社員のみで行われることになっとった。外部の人間は一切、触れんようになっとってな。それはもう、内部PC覗き込んで分かっててんけど…」

 伊藤もはたらいていない訳ではなかったらしい。

 そしてずいぶん前に恵が苦労して潜入したのが今も生きているようだ。

「これは…。」

 と恵が、「決行当日まで、触れへんね。」

「決行日は、決めてんのか?」

 畑野は伊藤を見た。

「決行は…」

 伊藤は言葉を一旦切った後、「1月9日にしよ思てます」

 残る三人が少し、息を飲んだ。

 1月9日。展示最終日を狙うのだ。

「だから、仕込みを厳重にしたんですよ。」

 伊藤は苦笑いになって、「何せアレは、ここから二ヶ月もの間、会場に眠りっぱなしにするんですからね」

「…一応俺、明日のイベントの後片付けには出る。その時ちゃんと時限装置が動いてるかどうかは見といたげるよ」

「…ありがとうございます。助かります」

 伊藤が手を合わせ、拝む形になった。



「で、当日の分担は?」

 畑野が言った。

「…この映像頭5分しか見てないんですけど」

 伊藤は笑ったが、「とりあえず一人は確定かな。」

「ほう。」

 ここで突然、伊藤は重大発表をかました。

「今回、あのターゲットをるんは…恵。お前にやってもらう。」

「は?!」

 まさかのご指名に恵は心臓が飛び上がった。

「俺では小柄過ぎる。雪乃も少し高い程度…あのアレキサンドライトに手が届かん可能性があるんや。」

 どうやらあたしがゆきのんに恋愛相談してた間に、すでに畑野はこのことを知らされていたらしい。

「俺やと逆に体格が良過ぎてな…。シャンデリアの骨組が肩でつっかえてしまうんや。お前しかおらん。」

 伊藤は言った。

 …また、お前呼ばわりか。失礼してまうわ。

「…了解。」

 恵は短く言った。

「あとはここの夜中の映像解析してからです。」

 伊藤は肩をすくめ、

「畑野さんはひとまず、今のアルバイト。あと二週間メドで撤退してください。その後は少し休んでいただいて。10日ほどしたら連絡するんで、そこで合流で。雪は一度、会場一緒に歩いてみよか。後々畑野さんにも合流してもらうけど、やってもらうことあるから。恵はこの後映像解析や」

 B型とは思えないような指示ぶりを披露した。






 そのメールが来たのは、伊藤の計らいで都内へ転居うつって来た翌日のことだった。

"明日18時、銀座。来れる?"

 カチっと音を立ててケータイを開いた雪乃は、荷解きの手が止まってしまった。

 何やこれ。

"銀座てどこ?"

 東京、全然分からんし。

"ゆきの、どこ越してきた?"

 何でタカシさんに聞いてへんねん。雪乃は笑ってしまった。

"高円寺?"

 確かそうだ。

 メールの返事が急に来なくなった。

 何やろ。雪乃の心はざわめいた。





 その翌日。

 何と雪乃は、メルセデスベンツに乗っていた。

 しかもオープンカーの。

「悪かったな。寒いな、この後パーキングで止めて上閉めるわ」

 畑野は言った。

「…。」

 雪乃はちらりと左で運転する畑野をみたまま、黙った。

(腹立つくらい似合におてる…)

 濃い目の灰色のセーターにGパンというシンプル過ぎる格好が、余計に畑野の彫りの深い小さい顔を際立たせていた。

 車は待ち合わせた有楽町駅から西銀座インター、高速に入っていた。18時50分。

 眼前には息を飲むような夜景が広がっている。空港が近いのか、時折飛行機の轟音も混じっていた。幸い渋滞にも巻き込まれていない。いいドライブである。

「どこ行くん?」

 雪乃は大声で聞いた。

「…ハマ!」

 どうやら横浜へ向かうらしい。

(どうやら今回の件とは関係ないらしいな…)

 と。

 雪乃の双眸がまた、見開かれた。

 そこには川崎の工場群が、それはまるで巨大な生き物のように沢山の奇麗な眼を瞬かせ、うなり声を上げていたのである。

 いくつもの煙突。丸いガスタンク。煙突や、隣接する建屋たてやのすべてに、はりめぐらされたように通路があって、規則性のあるような無いようないくつものライトが煌々と、そこにいていた。そして照らされている中にあるあの血管のようなそれは、大小さまざまな管の大きさの金属管。中で通り抜けているのは有害ガスだろうか。

「ここが京浜地帯やて」

 畑野が大きい声で言った。

 これが。小学校で習った日本で一番デカい工業地帯。それもこれで一部。

(そら、阪神とは比べもんにならんわ…)

「…スゴい!!!」

 雪乃は畑野に笑いやった。

 ようやく笑ったと畑野は思ったが、彼も笑みを浮かべたままハンドルを握っていた。




「はー!」

 横浜に着くなり、雪乃が上げた感嘆の声である。口があんぐり開いたままだ。

「元町とは比べ物にならんやろ?」

 善隣門を見上げ、畑野は言った。

「いやぁ…もう神戸あっちの元町もうち、好きやけど横浜こっちは…でかい!どれも美味しそう!きらびやか!桁がちがう!」

 雪乃の顔が「わくわく」と言っている。

 畑野はまぶしそうにそんな雪乃を見やり、「どこか食べたいところあったか?」

「いや、それがどれも美味しそうすぎて…」

「分かった。ほな、知り合いの店行くか。」

 畑野は勝手知ったる顔で、もう一度中華街へと引き返した。



 その店は唐揚げと、麻婆豆腐が名物だった。

 二人はその他に好きな物を二品かそこら注文した。

「ここは?」

「知り合いの経営してる店。って直接の知り合いやないけど。

 日雇いやってた時な。よう顔合わせる奴がおってな。そいつの友達が店出すって、そこがここやそうや。」

「ふうん…」

 雪乃はあたりを見渡した。それにしては雰囲気は落ち着いていて、ま新しい感じがない。居抜きで借りたのだろうか。

「今日は仰山ぎょうさん食べや。」

 畑野は優しく言った。

「…うん。」

 雪乃ははにかんだように笑った。

「一昨日顔見てびっくりした。見る影無くやつれて…。大変やったんやな。」

 畑野は、春巻きをほおばる雪乃を見て、言った。

「それはこっちの台詞やわ。ひげは伸びてるし、服はよれよれやし…誰か思た」

 雪乃は春巻きを食べた後、ウーロン茶に口をつけた。

 畑野は元々、お洒落な男なのを雪乃はよく知っていた。それで、女にもそれはもてていたものだ。

 畑野はふき出して、「お互い様か。」

「そ。」

 雪乃はそうやって見てくるその畑野の表情と視線が急にむずがゆくなり、ついと目をそらした。

 この二人の顔を恵と伊藤が見たら何としただろう。

 口を揃え、こう言ったに違いない。

 あんな畑野の慈しむような目をしたのは見たことが無い。

 あんな雪乃の人に甘えた顔は見たことが無いと。




 この後、二人はまるでこのわずか二ヶ月の時を埋めるように、話をした。

 実行犯四班の方も、悲しい現実が待っていたこと。その為にも、あっちのターゲットも盗みおおせられなくてはならないこと。

 日雇いのアルバイトはそれは過酷であったこと。先ほど通った湾岸線からも、バイトで行った倉庫が見えていたそうだ。そして人知れず夢を追って働いている人間の、何と多いことか。ここ二ヶ月で、伊藤と接触したのはメール等も含めわづか二回だったそうだ。


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