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黒ウサギ  作者: 田中利佳
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第八章 再始動

 神戸は、8月の末を迎えていた。まだまだ秋が程遠い。



 その洋館は、神戸のとある山中、断崖絶壁にひっそりと建っていた。

 建物はボロボロで、管理している人間などいないように見える。

 が、周囲をよく見るとそこに向かう道は舗装こそされていないものの、雑草などは生えておらず手入れがされているようだ。

 伊藤は残暑厳しい木々の緑に目をやると、持っていた鍵で玄関を開け中へと入っていった。


 伊藤がその迷路のような廊下を抜け、まるで地下にたたずむスナックのような重い木の扉を開けてその一室にたどり着いた時、すでにその部屋には先客がいた。

「おっそーい!」

 振り向くと、雪乃が壁にもたれ腕組みをしていた。

「ごめん雪乃ちゃん、のんびりしとったわ」

 伊藤は笑って、「あとの二人は?」

「メグはお茶入れに行ったで。ハタノさんはあそこ」

 雪乃は部屋の奥をアゴで指した。なんだか仕草がオヤジくさい。

 よく見るとランタンの光に照らされて男が一人、長いソファで寝そべっている。と思ったらパチッと目を開け、「よう。」と手を上げた。

「どうも。お疲れ様です」

 伊藤は頭を下げた。

「ほんまふはれたわ~」

 ホンマ疲れたわ、というつもりだったらしい。畑野は欠伸交じりに言った。

 しかしここは不思議な部屋だった。壁も床もゴツゴツした岩がむき出しになっていて、まるで洞窟のようだ。一応窓は二つあって、そこから絶景が見渡せるのだがサイズが小さく、そのままだと部屋が薄暗い。だから真っ昼間だというのに壁にランタンが灯されているのだ。

「一体どうされたんですか?」

 伊藤が聞くと、調査の方がギリギリまで終わらんかった、と畑野は言った。

「四班候補のやつ手伝っててな。今年の四班は量が凄いわ」

 畑野は失笑した。

「そうですか・・・」

 伊藤は第四班班長の67歳とは思えない精悍な横顔を思い出しながら言った。

「ま、お前が他の班のこと気にすることないて。うちも質ではええ勝負や。な」

 畑野があわてて言った。

 この人は急に変な所で気を回すところがある。今度は伊藤が失笑して、「気にしてないですよ。それよか・・・」

 そこへ恵が雪乃にドアを開けてもらって中に入ってきた。お盆に人数分のコップと飲み物の入ったピッチャーが乗っている。

「どうやってあの暗号を解いてアレを取りだすか・・・今はそっちで頭がいっぱいですね」

 暗号。

「暗号か…。」

 畑野が誰にともなくつぶやいた。

「それは、シャンデリアの中からアレを盗る方法がまるで暗号や、って言うてる?」

 雪乃が言った。

「そう。」

「え、シャンデリアの中に潜ったらもう盗れるとかやないん?」

 雪乃が言った。

「…って、おもうやろ?」

 伊藤が苦笑になって、「それがそうは行かんのよなぁ」

「ゆきのん、」

 冷たい赤いお茶の入ったコップを置き終えた恵が、「このシャンデリア、下の部品に仕掛けが施されてるってのは覚えとる?」

「うん。むやみに触ると全部落ちてくるってやつ。」

「…この石な、ネックレス、言うんかな。長めのチェーンが付いててな。シャンデリアの真ん中あたりにぶら下がってるんやけど…」

 恵はややあって、続けた。「このぶら下がってるところと下の部品、つながっててな。石を取り外すと…」

「…シャンデリアごと落下してくるん?!」

「そう。」

「えぇ?!どないするんそれ」

 雪乃は頭を抱えた。

「手はもう考えたある」

 伊藤は言った。その表は穏やかながら確信の光をたたえている。

「…とはいえ…」

 畑野はソファに寝転んだまま、「動き出すにはちょお早いんちゃうか?まだ8月やで」

「…んー。そうでもないですよ。畑野さんには申し訳ないですが、さっそく来月から動いてもらいます。」

 と言って伊藤は畑野に紙を一枚、手渡した。

「ほう。」

 畑野はようやく起き上がり、「ん…?何やこれは。」

 それはどう見ても、短期アルバイトの募集チラシだった。

「畑野さんには来月より募集が始まるその会社へ面接に行ってもらいます。そこは東京都内のイベント設営を主にやってるんですが、その中に…」

「あー。分かった。何やるか。」

 畑野はまたソファにどたりと倒れこんだ。一方の恵と雪乃はまだ頭の上に「?」が点灯している。

「今回、畑野さんには"モレロ・エターナルライツ"の点灯式イベントに入り込んで、"仕込み"をやってもらいます」

「伊藤劇場の"仕込み"っちゅうことやな」

 ここまで来て、ようやく恵と雪乃にも飲み込めたようだ。

(うわ、大変な役…)(カズさん一人で大丈夫なんか…?)

「もちろん、一人きりで任せる気はさらさら無いよ。」

 伊藤は、そんな二人の心中を読んだように失笑した。

「畑野さんには、僕らの作った仕掛けをイベント設営中に仕込んでもらうだけや。あと、余裕があれば展示期間中の雰囲気、警備体制、シャンデリアのケースの鍵と…まぁその辺りざっくり見てもらえたら思います。」

「うん…まぁそこまでやれたらな。」

「まぁ警備とか鍵とかは出来ればで大丈夫です。メインは僕らがやりますんで。」

「頼む」

「あれからボーっと考えてたんですけどね。

 例のシャンデリア。日本へやってくるのが10月26日です。展示開始が11月3日。それから丸2ヶ月ちょっと、アレは東京、恵比寿ガーデンプレイス、っちゅう万人の目に触れる所に展示される」

「うん。」

「…で0時には消灯。警備は厳重になるでしょう。でも地の利は悪い。あそこは会場の隣に高層ビルが建ち並んでる。上から襲撃すればひとたまりもないでしょう…そんな状況であんな宝石を出しっぱなしにするでしょうか…?」

「ない、と。」

「…と、思うんですけどねー。」

 伊藤は急にのんびりと言って、ぐーっと伸びをした。「全ては11月です。11月3日に、アレは展示が始まる…全ては、そこからです。」




 この3ヶ月後。

 伊藤のこの推測は正しかったことが証明されることとなる。



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