鬼が出るか蛇が出るか 弐
文月。
今年は雨季が早くに去ったため、夏の蒸し暑さがくるのも早かった。
至る所で蝉が鳴き出し、太陽の日差しが痛く感じる。
この数えきれないほどの蝉の音が重なった時、地獄の亡者達の叫び声を思い出す。
あの叫びがたまに聞きたくなる。
それにしても暑い・・・・。
幸い山の中にいるため、木陰には涼しい風が吹いている。
着物の裾をめくり、穴の空いた扇子で大きく扇いだ。
「こんなに暑いと湖の底に沈みたくなる・・・」
だが湖にはまだ日が差しているため夜まで水浴びは我慢することにした。
鬼は普段、暗い所に永く滞在するため日光には弱い。
こんな時だけ人間の活力には感心してしまう。
そんなことを思っていると、湖の側にある今にも潰れそうな小屋から赤子が出てきた。
赤子と言っていいのだろうか。
もう髪も多く、たどたどしいが歩き始めている。
手を前に突き出し、布を巻いただけの羽織を引きずりながら湖の方へと歩いて行く。
人間の赤子なら半年でここまで成長はしない。
鬼の子であっても鬼になるまで体は人間だ。
そのため成長は人間と同等の早さである。
やはりこの赤子は中途半端に産まれてきたのだろう。
牙がおもむろにそれを示している。
その時、小屋の中から一人の女がやや慌てながら出てきた。
「ちょっと弥生! あんたまだ泳げないんだから湖には行っちゃいけないでしょ!」
そう言ってその女は赤子を抱き上げた。
化粧気も何もなく、ぼろぼろの薄い着物を着ているが、とても整った顔立ちをしている。
大きな目に筋の通った鼻、全体的に薄い色素の肌に黒い髪がよく目立つ。
男が寄り付きそうな美人だ。
だがその顔はいつも疲れてきっている。
目の下にはくまがあり、痩せた体と荒れた手。
身なりからして、生活も苦しそうである。
まあ、我には関係ないことだが・・・
この女の名前は小夜子というらしい。
どうやら小夜子が鬼の子である弥生を拾ったそうだ。
それは半年前に遡る・・・・・
キョウから情報を得て隣の村へと向かった。
隣といってもニ里近くあった気がする。
その村は海の側に位置する漁村だ。
波が岸へと押し寄せるたび、どこか虚しさを感じさせた。
磯の香りと生臭い臭いが鼻をついてむせ返る。
鬼は鼻が利く。
人間には分からないが、鬼は鬼を匂いで見分けることができる。
その赤子が産まれたという家もすぐに見分けがついた。
鬼の匂いがしたからだ。
だが家を訪ねた時、そこには誰もいなかった。
それどころか生活していた跡はあるが、衣服や鍋、そういった日常用品がないのだ。
きっと夜逃げしたに違いない。
赤子も連れて行ったのだろうか・・・。
「考えるより、この強い残り香をたどった方が早いか。」
この村の臭いがやや邪魔をするが、匂いをたどることにした。
その匂いはどこまでも続いていたが、匂いがいつまでも残っているはずがなく、途中で消えてしまった。
あとはてきとうに歩くだけだった。
その際、まだ鬼になる前の鬼をニ、三人見つけた。
それは子供であったり、大人であったりした。
大人になるまで鬼に変化しない者は稀に存在する。
そういう奴らは今まで何の苦労もせずに生きてこれたか、あるいは鈍感者かもしれん。
まあ、どちらにせよ、鬼にならん限りは我の出番ではないしな。
ただ見流すだけだ。
そうこうしている内に、あの赤子の臭いが残る神社を見つけた。
その匂いは賽銭箱の後ろの隙間に濃く染みついている。
「なるほど、ここに捨てられたわけだな。」
どうせ鬼の子が産まれたことで世間から白い目で見られたくなかった親が捨てたのであろう。
人間のやりそうなことだ。
世間の目が恐ろしいなんて。
経緯は予想できたが、その後見つけるまで半年近くもかかった。
なんたってこの拾った当人の小夜子の職が物売りだから、あちこち移動されて見当もつかなかった。
ともあれ見つけた今、ただ木の上から眺めるだけの毎日。
いや、観察と言ったほうが正しいかもしれん。
正直・・・暇だ。
だが鬼の一生から見たら観察時間なんぞ一瞬にすぎない。
どうせ物売りの小夜子について行けば鬼と出会い、仕事の差し支えにはならない。
むしろ前と何も変わらない気さえする。
ただおもしろいのがこの小夜子という女、村や町を移動するたび人々に“葵”という娘について必ず尋ねている。
だいたい見当はつくが。
毎回あんなに必死に尋ねるもんだから、健気な女だな。
人の生涯は短い。
だから必死になるのだろう。
「・・・・馬鹿々々しい。」
キセルを懐にしまい、木から飛び降りた。
「何か捕りに行くか・・・。」
昔は人を食っても鬼の存在が曖昧だったため、熊か狼の仕業だと思われていた。
だが今は鬼の存在があからさまになってきている。
むやみに人を食えなくなってしまった。
人以外に獣も魚も木の実も食えるからあまり問題ではないが・・・
ややこの世が狭くなった気がする。
いや・・・この考えが馬鹿々々しいな。
皆、行きつく先はあの世だけ。
「・・・・・この山は何が捕れるやら。・・・・んっ?」
足元に違和感を感じた。
反射的に足元を見ると弥生が我の着物の裾を掴んでいた。
その真っ白な肌の小さな手で確かに掴んでいるのだ。
「おまえ、我が見えているのか・・・。」
いくら鬼であっても、鬼の姿になる前まではこの世の者以外の姿を見ることは不可能である。
我ら鬼はこの姿を変える前の鬼を明鬼と呼んでいる。
明鬼も人間も我らの姿は見えない、いや、見えてはいけないのだ。
死期の近い者達は稀に見えることもがあるらしいが・・・。
今、弥生は我の裾を掴んでいるということは、やはり見えているのか。
何千年と生きてきたが、このような出来事は始めてだ。
鼓動が高鳴る。
「これを、好奇心と言うのだろうか。」
それからというもの、弥生の反応を見るのが日課になった。
木の枝で頬をつついてみたり、隣に座って過ごしたりした。
たまに小夜子がいない時は捕ってきた兎や鼠を食べながら様子を見たりした。
この血生臭さに反応すると思ったが、弥生は表情一つ変えない。
人間の赤子なら笑ったり泣いた、忙しい表情をするが弥生は視線を動かすだけだ。
弥生がこの世に生を受けて一年が経とうとしている時、姿がもう人間の三歳児ぐらいだった。
この成長の速さと表情の無さ、そしてなによりこの牙からして小夜子は弥生が人間ではないことにもう気づいているだろう。
それでも我が子のように大切に育てている。
言葉を教え、着物を繕い、昔話を聞かせていつも弥生のことだけを優先して生活している。
弥生は表情一つ変えないが言葉の習得が速いため、理解はしているのだろう。
たまに頷いたりしている。
ある時、弥生は口を開いて静かに「か・・あ・さん」と発した。
それを聞いた時、小夜子は一瞬動きが止まり、そしてぽろぽろと涙を流した。
「そうだよ、あんたの母さんだよ・・・。」
そう言って弥生をきつく抱きしめた。
弥生は首をやや傾げている。
小夜子はきつく抱きしめたことに気づき、急いで身を離した。
「ごめんごめん、痛かったかい?」
弥生は首を横に振っている。
今、弥生は不思議でいっぱいなのだろう。
ただじっと小夜子を見つめている。
我も同感だ。
なぜ泣くのだろうか。
なぜ謝るのだろうか。
なぜまたすぐ笑顔になるのだろうか・・・・。
人間とはおもしろいが理解するには難しい生き物だ。
そんな中で、鬼の身を色濃く持ったまま産まれてしまったんだな・・・。
何も知らない明鬼達の方が楽かもしれん。
この運命を呪って鬼になるか、それとも・・・
「おまえはこれからどう生きるんだ、ヤヨイ。我はおまえの生き様が楽しみだ。」




